散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

荒玉水道を世田谷砧から板橋大谷口まで歩く

荒玉水道(あらたますいどう)は、関東大震災後の都市化で急激に人口が増加した、東京市周辺の13か町村(当時の豊多摩郡:中野町、野方町、和田堀町、杉並町、落合町、北豊島郡:板橋町、巣鴨町、瀧野川町、王子町、岩淵町、長崎町、高田町、西巣鴨町)が連合して建設した上水道である。「荒」は荒川、「玉」は多摩川を示し、当初は両河川から水をひく計画だったが、工事は多摩川を水源とした砧(きぬた)浄水場(現世田谷区)から野方(のがた)給水所(現中野区)を経て大谷口(おおやぐち)給水所(現板橋区)までの区間のみで終わっている。工事期間は1925(大正14)年から1931(昭和6)年。

送水管が埋設された場所のうち、世田谷区喜多見から杉並区梅里までの区間は現在「荒玉水道道路都道428号高円寺砧浄水場線)」として一直線の道路が貫いている。野方給水所の配水塔は建設当時のものが残り、大谷口給水所にも意匠を継承した塔が新たに造られている。

今回は荒玉水道に沿って、砧浄水場から大谷口給水所まで歩いてみた。

荒玉水道を世田谷砧から板橋大谷口まで・足あと

スタートは砧浄水場だが、そこへ行く前に少し寄り道をした。
バスを降りた次大夫堀公園から砧浄水場へ向かう途中、世田谷区喜多見4丁目にある2つの古墳を見た。

稲荷塚古墳

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円墳 直径約13m、高さ約2.5m、7世紀初め築造。
こちら側はだいぶ痛々しい姿、周囲に生け垣を巡らせて立入らないようにしているが…。

第六天塚古墳

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円墳 直径28.6m、高さ2.7m、5世紀末~6世紀初頭築造。
墳丘が竹やぶになっている。

このほか三重塔のある慶元寺にも寄った。この境内にも喜多見古墳群のうち慶元寺三号墳から六号墳の4基が現存しているそうだ。

「墳丘からの眺め」から、2つの古墳について書かれていた記事をリンクさせていただきました。

こちらに限らず、オヤコフン(id:massneko)さんの記事はとても参考になります。

稲荷塚古墳 狛江(岩戸・駒井地域)の文化財めぐり・その5 - 墳丘からの眺め

第六天塚古墳 天神塚古墳(須賀神社) 狛江(岩戸・駒井地域)の文化財めぐり・その4 - 墳丘からの眺め

 

スタート地点へ。
浄水場正門前

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浄水場は現在、野方、大谷口へは送水していないが、現役の浄水場で、東京都の水道水として供給している。すぐ後ろ側は多摩川だが直接取水しているのではなく、河原付近に井戸を設けて川の伏流水をとっている。
多摩川の伏流水を利用するのは荒玉水道完成時から。

浄水場正門前からさきほどと反対方向

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荒玉水道道路、杉並区梅里まで8979mとのこと。

浄水場のある場所は多摩川の氾濫原にあたり、標高も低い。

ふと思ったが、洪水の影響を受ける氾濫原に、このあたりなぜ古墳がたくさん残っているのだろう。そのような場所は自然堤防的に少し高くなっているのだろうか。多摩川などの氾濫で消滅してしまった古墳などもあったのだろうか。
→古墳の存在していた周囲は多摩川河川敷付近よりも標高にして3m程度高く、自然堤防というより、台地状になっているようだ。/アトデシラベタ

幅制限1.7m

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地下に水道管が埋まっている関係で大型車の通行を規制している。ところどころに看板があって、4t車以上は通行禁止と書かれているが、ゲートを設けてしまったほうが手っ取り早い。でも意外に一方通行でもないところが多い。(世田谷区喜多見5丁目)

かつての荒玉水道道路は全区間歩道扱いだった。制限付きながら車が通れるようになったのは1962(昭和37)年から。

この先で六郷用水跡の次大夫堀公園を越え、野川へ。
野川を渡る

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橋名が水道橋、左が砧浄水場からの送水管。橋の向こうは東名高速東京外郭環状道路のジャンクション工事。

工事現場をぬけると国分寺崖線を上がる坂にさしかかる。
野田橋から砧方向

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道路左側に送水管がみえる。
この橋の下は川ではなく道路。水道道路を建設するときに傾斜が大きくならないよう、坂の下の方を盛り土し、元からあった道路と立体交差になったと思われる。

1回坂を上がると世田谷通りを鋭角にクロスし、反対側に出てまた下り坂。

坂の下はたいてい川が流れている。
仙川を越える、大蔵水道橋

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左側フェンスの向こうに送水管がまた顔を出している。川を越えるそこにもポールが立ててあり、向こうは上り坂。

日大商学部

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ずっと直線だが、ごく普通の道路にみえる。左側にウルトラマン商店街の街灯。

この先では谷を刻んでいない谷戸川とその支流暗渠をなにげなく越えた。上流端に近く、ほとんど周囲は浸食されていないようだ。

小田急線高架下をくぐって
世田谷区千歳台1丁目付近(砧方向)

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環八をこえる

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迂回して環八船橋交差点歩道橋上から。
道道路は右側(砧方向)から環八の盛り上がったところを横切り、赤地の「P」の目立つ建物の後ろを通過、左奥からの千歳通りとの交差点を横切って左(杉並梅里方向)へ消えて行く。

千歳通りとの交差点を左折するとまっすぐな道路と住宅街が続く。

道路は直線だが地形の凸凹には忠実で、時々谷地形を横切る。
一旦下って、向こうでまた上がる。

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谷底はたいてい川が流れている、か、流れた跡がある。(さっきも書いたっけ)

上の写真の谷底では、

烏山川緑道を横切る

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ここは目黒川支流の烏山川が流れていた。現在は暗渠化で流れは見えない。

荒玉水道道路はここ武蔵野台地上で一般的に川の流れる方向と直交しているため、小さな上り下りを繰り返していくつも川(や川跡や用水路)と交差する。

北沢用水の小さな暗渠を2本確認することができ、その先で

こちらは北沢川の支流跡

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北沢川も目黒川の支流、ここも現在は暗渠化されている。横切っているのが荒玉水道道路

京王線桜上水駅前の踏切へ出てくる

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水道管は踏切直下でなく、右端、電車先頭付近の下から向こうの建物の右、建物がないところへ通っている。ちょっと電車が目立ちすぎた。

踏切反対側から

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「水道用地」と書かれている。
この真下を通過して後ろは甲州街道、そこへの出口には石の車止めが大きな車の侵入を防いでいる。

甲州街道を横切り、その先にまた谷が見えるがその前に
玉川上水跡を横切る

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左右の緑地が玉川上水跡。
江戸時代に人工的に開削された水路は土地の高いところを通している。ポンプがなかったので、遠くまで水を運ぶにはなるべく高い位置をキープして少しずつ流下させる必要があった。
荒玉水道ではポンプが使用され、水を運ぶのに高低差は気にする必要がなかった。

そして前の坂を下ると谷底で神田川と交差。

神田川、神田橋手前から

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橋を渡るとすぐまた上り坂。

京王井の頭線踏切を越えて、井の頭通りと交差するところは
荒玉水道交差点

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道道路側には重量4t、幅2.0m、一方通行の道路標識と、道路両側にも「水道道路では4tを超える大型車両の通行はできません」のお願いが。

どこまでもこの通りまっすぐ

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また谷に下りて善福寺川をこえる(砧方向を向いて)

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向こう和田掘公園に向かってのぼり。足元はまた下がってるけど気にしない。橋は済美橋。

この前後でもいくつか小さな暗渠などと交差し、杉並区堀ノ内まできてお寺の立ち並ぶところへ入っていく。

修行寺の前から

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前後左右寺院に囲まれた場所を1本水道道路が通る。

本佛寺裏

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荒玉水道道路最後のこのあたりは少しカーブが現れる。

青梅街道に突き当たって杉並区梅里1丁目、ここが荒玉水道道路終点(行政上はここが起点で砧が終点だが)

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右側すぐに環七との交差点、高円寺陸橋。

 

この先にも荒玉水道の送水管は続いていたはずだが、その道筋が的確に分かる資料が見つからない。

野方給水所を通って大谷口給水所に達しており、さほどあちこちを蛇行していたとは思えないので、地図上で直線を引き、そこを大きく外れない道を辿っていくことにした。
途中中野の早稲田通り交差から北は都道420号(中野通り)がよく一致するのでそこを歩くことにした。

途中は適当に端折りつつ。

また小さいけど下り坂で谷へおりると思ったら、いちばん低いところで
桃園川緑道と交差

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地形は正直、ここも昔は川が流れていた。

そしてJR中野駅西側へ出た。
明治大学中野キャンパス前

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野方警察署前で早稲田通りを渡り、新井五差路交差点から中野通り(都道420号)へ出る。
西武新宿線を渡ると、哲学堂公園西側へまた下り気味。

哲学堂公園妙正寺川

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妙正寺川を越えて北へ上がり、新青梅街道蓮華寺下交差点先の細い坂道を上がっていくと、野方給水所の塔が見えてきた。

野方配水塔、上部

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みずのとう公園の中から配水塔後ろ姿

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フェンスのすぐ向こう側には塔を囲う柵の名残りもある。

野方配水塔
大正時代から山の手地域は人口が急増しました。そのため水道の敷設が急務となり荒玉水道が敷設されました。これは世田谷区砧から多摩川の水を引いて中野・杉並・豊島・板橋・練馬・北区に水道供給をするためのものでした。野方配水塔はこれらの地域に配水するために昭和4年(1929)に建てられました。高さ約34メートル・径約18メートルの円筒形の塔は約2,000トンの水を貯水することができます。各戸への配水はこの塔の中に水を溜めて水圧による自然降下によって行うものでした。現在はその役目を終え、地域のランドマークとして、また東京の都市形成の過程を示す遺構として重要なものとなっています。
(中野区ホームページから)

野方配水塔、正面から

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手前は幼稚園。建物の後ろに配水塔の出入口があるが、隠れてしまって見えない。

側面

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全貌が確認しづらい。Google Earthで見るのが分かりやすいかも。

再び中野通りに出てさらに北の方へ進む。目白通り西武池袋線などを越えると、江戸時代に開かれた千川上水跡に沿って歩く。

ずっと川や古い用水路とは交差していたけれど、千川上水とは並行していた。地域が変わって地形も少しずつ変わってくる。

要町3丁目交差点

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横断歩道向こうの細い道が千川上水跡で、現在は公園になっている。

ここは谷端川を歩いたときにも通った場所。かつてはこの付近で谷端川へ千川上水の水を分けていた。現在は道路下を東京メトロが通り、千川駅前。

そのまま中野通り沿いに7~800m進むと東京都水道局大谷口給水所に至る。

大谷口給水所ポンプ棟

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以前は同じ場所に大谷口配水塔があった。1972(昭和47)年まで使用されていたが、老朽化で取り壊され、同じデザインでポンプ棟として現在の塔が建てられた。

道路反対側から

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前のバス停名は「水道タンク前」。

現在のポンプ棟は2011(平成23)年に完成。
昔の大谷口配水塔は1931(昭和6)年完成、高さ33m、直径15m、2845tの貯水が可能で、野方配水塔より少し小さい。
ここからは主に現在の北区王子、滝野川方面の工場などへ配水されていたそうだが、荒玉水道としてはここが終点。

ということで本日はここまで。