23区の細道とは、都会の路地、細い道、一方通行、階段、公園の真ん中を突っ切るなど、車じゃ自由に通れない、そんなところばかりを歩いて行こうという企て。新シリーズのつもり、だから1回目。(いまのところまだ2回目を歩いていないのだけれど。)
まず最初なのでどのように歩こうかと、少しだけルールをつくってみた。
- ここへ行くというポイントをいくつか設定しておおまかなコースは決める
- ポイント間の移動は細かく歩くコースは決めずに行きあたりばったり
- やむを得ない場合を除き大通りは歩かない
- 疲れたらコースの途中でもやめる
なんだか苦笑してしまうようなルールができた。
まずポイントを設定するんだっけ。今回のポイントと選択のポイント
- 麻布狸穴坂 - 妙な霊気をかんじるスポット(たぶん自分だけだが)
- 日暮里富士見坂 - 富士山は見えなくなった富士見坂を見たい
- 竹芝桟橋 - 隅田川河口を確認する
- 茗荷谷 - その地名が気になる
- 永井荷風断腸亭跡 - 断腸亭日乗を一度通しで読んでみたい
まったく一貫性がないし、選択の理由が即席過ぎる。
というわけで、1回目の訪問予定スポットを地図上にマークし、起点は西日暮里として富士見坂、茗荷谷、断腸亭跡、狸穴坂、竹芝と巡ることにして出発。
23区の細道1回目行程
出発は西日暮里駅、いつもスタート場所にする駅かバス停を最初の写真に収める習わしにしているのだが、いいスポットが見つからずにガード下を撮る。
一応西日暮里駅
駅横の線路に並行した細い坂道を上がり日暮里方面へ、富士見坂へはすぐ。ここまでは何も問題なし。
富士見坂の上から
以前は坂の向こう正面に富士山が見えたのでこの名前があるのだが、間にマンションが建設されて見通しがきかなくなってしまったそうだ。という、ニュースでも取り上げられたことのある場所である。写真に写っている解説板にも「最近まで地上から富士山が見える坂でした」と過去形で付記されている嘆きがおかしくも悲しい。
しかしそもそもこの日は天気がそれほど良くはなく、マンションがあろうがなかろうが富士山は見えなかった。富士見坂を見に来て富士見坂はちゃんと見ることができたし、富士山は見えなくなっちゃったんだよということも確認できたので「良し」。
富士見坂を下ると谷中銀座が近いのでそこに寄ってみることにする。
谷中銀座
地元商店街というより、観光地化しているなという印象。(それが悪いとは思っていないです)
不忍通りにぶつかり、大通りなのでその先へ横断。そこは文京区千駄木、谷根千と言われる地区の谷から千へやってきた。路地の方向感覚がまだつかめずに右往左往していると、団子坂上に出る。
団子坂上交差点
団子坂下交差点は先ほどの不忍通り沿いだから、いくらも進んでない。どうせなら団子坂を上ってきたかったけどこれもまあ良しとする。
「森鴎外の散歩道」という解説が立っていた藪下通りを通り、そこからあちこちを折れ曲がって、ほうろく地蔵尊というところへ出た。
ほうろく地蔵尊の真っ赤な門と奥にお地蔵様
金龍山大円寺というお寺のお地蔵様、この寺には高島秋帆、斎藤緑雨の墓があるとの案内板あり。ほとんど知らない人。
本郷通り、中山道(国道17号)をかわして進むと今度は圓乗寺というお寺の前に「八百屋お七の墓」の案内と石碑が目に入る。
奥が圓乗寺
どういう人がお参りに来るのだろう。これもよくわからない。
すぐ先で白山通りの大きな道路にぶつかり、ここを向こう側へ横断。次のポイントとした茗荷谷へ向かって、まず小石川植物園のほうへ歩く。
植物園の広い敷地を大きく迂回することなく、うまく反対側へ出られた。
小石川植物園入口
今日はひたすら歩きたい気分なのでここには入らない。
播磨坂桜並木を通る。ここは道路は広いけれど中央が桜並木の歩道なので良し。
播磨坂桜並木の緑道
ここは坂道になっていてそこを上っていく。昔、松平播磨守の上屋敷があったので播磨坂、人工のせせらぎもあるけれど、昔は川だったとかではないようだ。坂を上り切ると春日通りに突き当たる。この先が茗荷谷だが、坂をあがってきたのでいまここは谷じゃない。
春日通りを突っ切ると期待通りに谷地形があった。ミョウガ谷だ。
実は私はミョウガという野菜が好きではなく、そのミョウガを冠した地名がある事が以前から(ほんの少しだけ)気になっていたので来てみた、と言っていい。まず坂を下りて谷へ入って見るけど「ミョウガ」谷に来たという実感がない。茗荷谷駅が近くにあるのでとりあえず行って「茗荷谷」を記録。
もう1度谷底(深いわけはない)まで下りると茗荷坂の看板あり。
茗荷坂解説
茗荷谷に単純明快にして想像を裏切らない解説である。ミョウガの畑は見つからなかったし、ミョウガとの距離感はこれからも変わらないと思うけれどこれで十分。
また細い道路を西のほうへ向かって歩く。小日向、音羽という地名の場所を通過。途中音羽通りにぶつかる手前で結構な段数の階段坂道を下る。
音羽通り手前の階段
音羽通りを横断し、並行する首都高速池袋線の反対側に出るとなんのことはない、今度は上り坂だ。
解説
鳥尾坂を上がる
音羽通りの通っている場所がけっこう深い谷であることが分かる。
坂をあがると目白台、目白通りの歩道橋から
反対側は椿山荘入口
和敬塾付近から
胸突坂を下りる
永青文庫は休館中、坂下の関口芭蕉庵はちょっと覗いてきた(怪しいやつである)。
神田川に達する
駒塚橋から下流側。今日スタートの時点では「ここへ出てくる」という計画はなかったのだけれど、音羽のあたりから自然にここを目指していた。この付近に来たのは神田川沿いを歩いて以来だけれど、好きな場所のひとつ。ここも今回のポイントに入れておいてもよかったか。
神田川を渡って新目白通りにぶつかる。このあたりで文京区から新宿区に入るが、街の雰囲気も、同じ住宅街ではあってもなんとなく変わる。
早大通りを渡り、早稲田通りも越える。新宿区立早稲田小学校も前を通り過ぎ、早稲田づくしのこのあたりは快調なペースで細い道をすすむ。
早稲田小学校、たぶん正門前
建物しぶいっす。
さらに喜久井町、若松と歩いて河田町へ。このあたりは韓国人が多いのか、ハングル文字や韓国料理のお店が多い。
河田町の小さな商店街
余丁町の細道に入る
余丁町はかつて永井荷風が住んでいた町だ。*1邸宅の一部を断腸亭と名付け、断腸亭日乗という荷風代表作と言ってもよい日記を書き始めたのもこの地である。あまり詳しいことは知らないのでこれ以上は書けないが、数年前から永井荷風と彼の作品に興味を持ちはじめ、ということで訪れてみたのがここ。
永井荷風旧居跡
この案内板は都道(余丁町通り)沿いの小さなビルの柱のかげにひっそりとあった。断腸亭日乗が記されはじめてから今年(2017)でちょうど100年、いまここにある面影はこの看板以外何もないようだ。
例によって長くなってしまった。まだ先も長そうな気がするので続きは1回目-(2)へまわすことにする。