散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

五日市から日の出町を通り福生へ歩く

五日市(いつかいち)を少し歩き、日の出町大久野(おおぐの)へ、五日市線岩井支線跡になんとなく沿って岩井まで行き方向転換、再び大久野から平井、あきる野市の草花丘陵の縁を歩いてから多摩川を渡り、福生の街へと歩いてきた。

五日市・日の出・秋川・福生 足あと

スタートはJR五日市線武蔵五日市駅

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五日市は現在あきる野市だが、1995年に隣接した秋川市と合併するまでは西多摩郡五日市町

五日市町の役場は駅から西に歩いて10分程度のところ。
現在はあきる野市役所五日市出張所

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道路をはさんだ反対側は中学校で、その敷地の中には
五日市憲法草案の碑

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碑と解説は校内への出入口が閉まっていたため、微妙な距離をおいた道路から見た。

少し長くなるが文字を起こす。

解説板

五日市憲法草案の碑
五日市憲法草案は、明治一四年に深沢権八を中心とする五日市学芸講談会の有志と、宮城県栗原郡白幡村(現栗原市志波姫)に生まれ、五日市勧能学校の教師としてこの地を訪れていた千葉卓三郎が中心となって起草した私擬憲法草案です。東京経済大学教授であった色川大吉氏らによって、昭和四三年に深沢家の土蔵から発見されました。司法、立法、行政の三権分立が明確に規定され、国民の権利に多くの条文がさかれているなど、自由民権思想に溢れた非常に民主的な内容であり、他の民間草案の中でも屈指のものです。
昭和五四年、この私擬憲法草案を生み出したこれら先人の偉業を顕彰し、後世の人々に広く知ってもらうため、千葉卓三郎の生地宮城県志波姫町(当時)、起草地である五日市町(当時)、墓所仙台市の三カ所において同時に碑を建設することとなり、この碑は地域の人々の協力のもと、五日市憲法草案顕彰建設委員会によって建てられました。
正碑には最もよくその特色を現わす抜粋文六カ条が、副碑背面には学芸講談会の会員三〇名の姓名が刻まれています。
平成一七年一一月一五日設置
あきる野市教育委員会

碑文は6か条のみ抜粋したもの。

五日市憲法草案抜粋
45 日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ 他ヨリ妨害ス可ラス 且国法之ヲ保護ス可シ
48 凡ソ日本国民ハ日本全国ニ於テ同一ノ法典ヲ準用シ 同一ノ保護ヲ受ク可シ 地方及門閥若クハ一人一族ニ与フルノ特権アルコトナシ
76 子弟ノ教育ニ於テ其学科及教授ハ自由ナルモノトス 然レドモ子弟小学ノ教育ハ父兄タル者ノ免ル可ラサル責任トス
77 府県令ハ特別国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ 府県ノ自治ハ各地ノ風俗習例ニ因ルモノナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス 其権域ハ国会ト雖モ之ヲ侵ス可ラサルモノトス
86 民撰議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝ノ起議ヲ改竄スルノ権ヲ有ス
194 国事犯ノ為ニ死刑ヲ宣告ス可ラス 又其罪ノ事実ハ陪審官之ヲ定ム可シ

これは明治憲法の私案だが、現在の憲法が(少なくとも現政権のもとで)改められることのないことを祈ってきた。

 

武蔵五日市駅近くへ戻り、駅の北側へ出る。

武蔵五日市駅北側から五日市線高架

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右手前側に駅ホームがある。現在ここが終点だが、かつては岩井支線と呼ばれた支線があり、その線路が武蔵五日市から分岐していた。分岐部は左にみえる小さなアーチ橋の先にあり、スイッチバック式で、分かれた線路はアーチ橋の向こう側奥を通って左へ伸びていた。

岩井支線にはいる列車は、いったんどん詰まりの武蔵五日市に着き、進行方向を変えて線路を分岐部まで戻り一旦停止、また進行方向を変えて支線に入っていくということをしていたそうだ。
もっとも、この支線は旅客よりもセメントの輸送がメインだった。支線の終点、武蔵岩井付近には日本セメント(現、太平洋セメント)の石灰石採掘場、セメント製造工場があった。現在も工場はある。

旅客列車の営業は1971年、貨物は1982年に廃止され、支線の線路跡は道路などに転用されているとのことだが、何か遺構などが残っているかなと少し期待して歩いてみた。
ただ、線路跡近くを歩いたのは隣の駅大久野から終点の武蔵岩井までの区間

武蔵五日市から大久野へは、線路跡から1本隣りの道を進む。
あきる野市入野付近

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谷間の向こう側の台地上を線路が通っていたようだ。

谷間を横切り、線路があった台地側へ上がる

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大久野駅跡付近

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左側は公園など、そのあたりに駅があったと思われるが、何も残っていなかった。左向こうの大きな屋根はゲートボール場。(屋根付きは初めて見た)手前2階は顔。

その先、幸神神社横

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ここも道路左、柵の向こう側が駅構内だったと思われるが、町の老人福祉センターなどが建ち何も残ってなかった。

老人福祉センターの反対側から振り返って大久野駅構内方向

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大久野駅先で(武蔵岩井方向)

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足元にかつて踏切があり線路が交差していた。その先、車の轍がついているところが線路跡。ようやく痕跡らしきものが見つかった。
ここをたどってみたかったが、私有地につき立入禁止ということで断念。

戻ってから調べてみると、この先で武蔵岩井駅へ向かう線路と日本セメント(現太平洋セメント)工場内へ向かう線路が分かれていたそうだ。

少し戻って、鉄道とは関係ないが、国指定天然記念物だそうでちょっと寄ってみた。

幸神神社(さぢかみじんじゃ)のシダレアカシデ

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解説板から

幸神神社のシダレアカシデ
アカシデは、カバノキ科クマシデ属のなかにあって、別名ソロノキと呼ばれる落葉高木で、北海道から九州の山野に自生する。幸神神社のシダレアカシデは、その変種であり、その名が示すように大小の枝が根元から屈曲して分かれ、らせん状によじれ垂れ、珍しい姿をしている。全体からみると、ちょうどお椀を伏せたような優雅な形をしている。幹周が二・一二メートル、樹高が五・八メートル、樹齢は七百年以上であるといわれ、その大きさは全国でも希である。春先の新芽と緑、冬の枝垂れとそれに瘤々とした樹幹はみごとである。

武蔵岩井駅方向へ進む途中で川をのぞき込む

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川底が白く、川横の岩も白い。川の水には石灰成分が大量に含まれていて、それが水の少ない今の時期、析出している。白い岩も石灰岩が露出しているのだろう。

向こう森の手前に路盤跡

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川(道路下)と森の間、堤防のようになった一段高いところに線路が通っていた。

岩井橋交差点

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左が岩井橋で、渡ると太平洋セメントの工場がある。かつては工場の奥にある石灰岩の勝峰山(かつぼうやま、かつほやま)から石灰をとり、セメントを生産していた。

岩井橋を渡ったところが岩井支線の武蔵岩井駅のあった場所。

現在の武蔵岩井駅

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工場従業員駐車場になっていた。

駅跡に

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看板の写真に写っているのが駅舎、ホームの跡。工場従業員の駐輪場として使われていたが、2016年に解体されてしまった。周囲も整地されて何の跡形もなかった。

工場の奥へ向かう道路

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この先は立ち入りできず、引き返す。工場構内の奥には貨物専用線の線路があったはずではある。
岩井支線、鉄道が通っていた跡はもうあまり残っていないようだ。

 

再び大久野方面へ戻る。

向殿橋、平井川

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先ほど覗き込んだ、川底が石灰で白い川の続き。

左側、木のないところがある山が勝峰山

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あるいはタイムスリップしたのかもしれない風景があった(2枚)

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字名で羽生というところ。

そこから北方向へ少し行き、東京都天然記念物、大久野のフジ(樹齢400年の自生フジの木)がある付近を通る。

前後の上り下りは急勾配である

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フジの木は、真冬に見ても…というか、どれがそのフジだったか気づかなかった。(ので勾配標識でごまかしている)

平井川と玉の内川合流点から西方、山側を見る

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町役場もある平井というところに出てくるとその先地形はだんだんなだらかになる。

日の出町役場近くまで来て、西側を振り返る

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ここまでくるとあとはずっと住宅地かその近辺、完全に人間生活のテリトリーを歩いて行く。

平井橋上から平井川下流方向

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さらに東へ進むと日の出町から外れ、あきる野市の旧秋川市地域へ入る。

圏央道の下

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この先に日の出IC。

小さな祠と竹やぶ(あきる野市菅生)

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草花丘陵(くさばなきゅうりょう)東南の端のほう

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あきる野市草花というところ。この付近を含め、多摩川南側の羽村市、日の出町北部の丘陵地帯を草花丘陵という。この付近は丘陵の中腹から下の方なので住宅地になっている。

もう少し東へ歩いて行くと多摩川に近づく。

丘陵の端、崖の上から多摩川方向

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下の住宅地の向こうに多摩川、その向こうは福生の街。

多摩川を永田橋で渡る

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永田橋から多摩川上流方向

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左向こうの丘が草花丘陵の一部。

橋を渡ると福生市

玉川上水を渡る

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新橋の上から上流方向。
ここまで来れば福生駅も近い。

JR青梅線福生

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この日はここまで。

     *     *     *

五日市には町の南側を流れる秋川を歩いたときに寄った。あきる野市も秋川沿いに歩いていた。

福生付近の玉川上水

多摩川も歩いた。

miwa3k.hatenablog.jp