散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらいろいろ観察したノート

目黒川から烏山川へ その2 烏山川を歩く

目黒川は烏山川と北沢川の合流地点からはじまる。その1は河口から合流地点までのノート、その2では合流地点から烏山川をさかのぼって烏山川源流までのノートになる。
烏山川(からすやまがわ)の名前について調べると、世田谷区内をかつて流れていた川と出てくる。
いろいろ調べてみたのだが、現在、烏山川という川が行政上存在しているのか、河川としては廃止されているのか、実はよくわからなかった。かつては世田谷区北烏山付近を源流に、世田谷区池尻の北沢川との合流点までを流れる、ごく普通の河川だった。合流点より下流は目黒川と名前を変えて流れ下る、これもごく普通の河川だった。それが1970年代に烏山川の流れの上にほぼ全面的に蓋がされて暗渠となった。そして下水道として転用され、下水道烏山幹線となった。つまり、元の川の流路をそのまま暗渠にして、下水道として使用しているのである。周辺は合流式下水道ということなので、周辺の雨水、汚水が流域の街々の下水管を通して、あちこちで烏山幹線下水道に流れ込む。これに元々の川の水も合わさって流れている。北沢川についても同様であり、普通の河川だったが現在は下水道の北沢幹線となっている。現在、烏山川と北沢川については下水道となっているので、その水は通常、目黒川にそのまま流れ込んでいない。目黒川が開渠となる少し上流部からは下水道管を通して、そこへ2つの河川(下水道)の水を引き込み、その水は大田区にある東京都下水道局森ケ崎水再生センターへ送っている。大雨が降るなどして水量が大幅に増加したときにのみ、溢れた水が目黒川に直接放流されているそうである。
となると、目黒川に流れる水は何かという疑問が出てくるが、通常時目黒川に流れている水は、新宿区にある東京都下水道局落合水再生センターで処理再生された「下水の高度処理水」が、目黒川が開渠となる手前あたりに放流されて川の水となっている(ほんの一部は緑道上のせせらぎの水としても使用されている)、というのが真実のようだ。東京都の清流復活事業というのがあってこのようになったそうだが、昔は1系統の川だったけど、現在その水はつながっていないということ。ちょっと驚きだった。

(目黒区HPより)
清流復活事業とは:東京都環境局が河川の水量確保及び水質改善対策として、平成7年3月から目黒川、呑川渋谷川・古川の3河川に新宿区の落合水再生センターから下水の高度処理水を送水しています。

また烏山川で調べると烏山用水とも出てくる。そして烏山川緑道という言葉も出てくる。
烏山用水というのは、江戸時代、安定的な農業用水、生活用水を確保する手段として、烏山川に玉川上水の水を分水、流入させて流量を増やしていた。その用途として呼称されていた名前である。玉川上水からの分水は少なくとも昭和のはじめ頃までは行われており、分水口や流路も何回か移動しているとのことで、烏山川との合流地点なども何回か変わっているようである。
烏山川緑道は、暗渠にした烏山川流路の上部を緑道にしたもので、本日この先歩いて行く道である。「烏山川緑道」と定義されている部分の距離は約7kmだそうだ。
前置きがずいぶん長くなった。

その2行程は下地図の○に小さな□のアイコンからスタート。○のなかに☆のアイコンのある地点は烏山川源流。

烏山川と北沢川の合流点

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左側、烏山川緑道のほうへすすむ。
世田谷区内にはいくつか暗渠になった川の上を緑道にしているところがある。烏山川緑道、北沢川緑道もそのうちのひとつ。今回は烏山川緑道を選んだが、機会があればそのほかの緑道とあわせて北沢川緑道にも足をのばしてみたい。
合流点から烏山川緑道側

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世田谷区太子堂2丁目付近

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右側に人工的なせせらぎがつくられている。このせせらぎに流れる水は目黒川に放流されているのと同じ、落合水再生センターで処理された下水の高度処理水を、さらに処理したものとのこと。下水処理場で処理された水って消毒薬的な独特のにおいがあるけど、この水はそのにおいもない。
緑道のゆったりとした曲線がかつての川の流れをイメージさせる。
世田谷区若林5丁目付近

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前方の建物は国士舘高校
世田谷区豪徳寺2丁目付近

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ここの手前で緑道の整備工事中で200mほど通行できないところがあったが、通れなかったのは1か所だけ。
豪徳寺橋跡

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かつては普通の川だったのであちこちに橋があって、その跡が残されている。(多くはこの写真のように名前だけだが)ここは烏山川の流れに沿って左側に道路があったのだろう。いまは2本の道となっている。
東急世田谷線踏切

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川の流路はこの写真右手にあるが、線路にさえぎられているのですぐそばの踏切を渡る。右手方向すぐのところに宮の坂駅があり、その近くには豪徳寺の寺院がある。
踏切を渡るとすぐ緑道に復帰する。その先の緑道内に「万葉の小径」と名付けられた一角があり、万葉集に詠まれた草花が植えられている。ただ季節のせいか、ちょっと寂しい状態。
世田谷区宮坂1丁目付近

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左側は鴎友学園女子中学高校の建物。この先経堂の街の中を横切り、商店街の脇を通ったりするので生活道路になってくる。スーパーマーケットの横で少し北の方へ方向が変わると
小田急線高架

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このあたりで烏山川緑道を歩きはじめて5.4kmほど。小田急線は経堂駅と千歳船橋駅の中間付近。この先はまた閑静な住宅街になる。
世田谷区船橋7丁目付近、希望ヶ丘団地内

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URの団地のなかを斜めに横切る川の跡。ここは川の流れの跡を埋めてしまわず、橋の下を歩道としている。
希望丘公園の先で

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手前の希望丘公園から続く遊び場の一部になっている。じゃぶじゃぶ池という親水施設もある。(冬場で水をいれていなかったけど)
この先緑道はやんわりと環八通りに寄り添っていく。環八に出るところで、西側の蘆花恒春園のほうから、かつては水無川という支流が烏山川に合流していた。水無川も現在は暗渠となって流れを見ることはできないが、この川も一部が緑道になっている。
ここで烏山川のかつての流れは、環八に沿って東側をしばらく流れていたようだが、気づかずに通りの西側へ出てしまい、環八の歩道を歩いてしまった。緑道がここでいったん途切れているのも、判断をあやまった原因かな。
環八通りの歩道から

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道路の向こう側は都営八幡山アパート。あちら側が流路跡。
途中で烏山川は角度を変えて環八を横断し、西側へ出てくる。方向を変えたところの流路跡がふたたび、「ふれあい散歩道」として歩道になっている。
散歩道の看板

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団地とマンションの間をとおる「散歩道」

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右側、川の流れを再現したようになっているけど、”枯山水”だ。
世田谷区南烏山2丁目付近

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この前方で緑道、散歩道のたぶん終点。
ここより手前、芦花中学の先で歩道が2つに分岐しているところがあったが、かつての烏山川と烏山分水(玉川上水の分水路)が合流していたところかもしれない。その分岐の少し先に世田谷文学館の建物があり、そこが合流点ともいわれているが、烏山分水の流れは何度か改修されているという記録もあったので、年代によって複数の合流点があったのかも。
この写真の先で川筋は右の方へ折れているのだが、行き止まりになってしまうので前の道路へ出る。ここから先は推測で進んでいく。
烏山神社

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京王線踏切

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烏山神社から京王線の踏切までは、歩いてきた道路の少し東側に水路がある。近くまで行けば暗渠となっているコンクリートの蓋の列が見えるようだが、ノーチェック。
烏山神社近辺から源流域までは、あらかじめ明治40年代から昭和初期の地理院地図や明治期迅速測図などを見て、烏山川の流路を確認したのだが、谷筋に玉川上水からの烏山分水流路と2本の川筋が入り混じり明解でない。大体の流路跡と思われる筋をマップに落とし込んで歩いてみたのだが、2つの川筋を混同していたり、はずれの場所もあるかもしれないことを一応言い訳しておく。
京王線踏切から先は通ってきた道路を北上して旧甲州街道を渡り、そのまま向こう側の、道路としては不自然な曲線を描く細い道にはいる。ここは流路跡のような気がするのだが、そのサインカーブの道路を途中で右折し、国道20号を横断する。
烏山北住宅の建物と建物の間にある歩道がそれらしき匂いがしたので

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そのまま歩道をすすむと道路をななめに横断する、これは水路だ。

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 そのままたどって行くと
その向こうに柵で覆われたところは水路

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ここは通れないのでいったん迂回して水路の続いている先と思われる場所へでて、中央高速の高架下をくぐり、細い道路を通って都営烏山アパートの南東端へ。アパートの建物をいくつか北上してぬけ、西へ折れて大きな道路を横断。
玄照寺の北側の細い歩道へ

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歩道をすすむとこのカーブの具合、マンホールなどもある。

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その先道幅そのままで路地のようになって

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突き当りが柵

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この先は高源院という寺院の方向へ向かっている。人は進めないので迂回して高源院を目指す。
高源院門前

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中へ入れさせていただく。

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高源院の鴨池

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池のうえから

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この池が烏山川の源流になっているというのが一般的、定説である。一応、源流に到着ということになる。
きちんと確認していないのだが、上の写真の正面向こう側の住宅方向に池から流れ出す水路があるようだった。そして写真右方向、墓地があるのだが、そちらへも水が流れ出しているように思えた。
墓地のいちばん奥まで入り込んで塀の向こうを撮ったもの

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ここはやはり水路で、住宅の間を通って、何枚か前の写真、フェンスで通り抜けできないようにされていた場所へつながっているようだ。もう1本の水路の行先はわからなかった。
このあたり、地形的には台地の上にあたる場所で水が湧きだす要素がないのだが、この池は湧水でできている。世田谷区のまとめた資料をみたところ、この付近には地下数メートルのごく浅い場所に水を通しにくい土の層が存在し、そこに降った雨水がたまって流れ、池のあるところで湧き出しているらしい。宙水(ちゅうすい・ちゅうみず)と呼ばれている。
水量としては少なく、完全に雨の量に依存するので枯れやすい。かつてこの水からなる川はやはり枯れやすかったのだろう。その水を使っていたこの近郊の農家は、安定した水の供給を求めて、近くを流れる玉川上水からの分水を行うようにしたことが想像できる。
烏山川とは直接関係ないのだが、このあたり烏山寺町と呼ばれる。
付近案内図

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烏山寺町についてはWikipediaの解説「烏山寺町」が妙に詳しいのでそちらを参照してください。
高源院のある寺町から北の方向へすすむとすぐに世田谷区と杉並区の境界。その先ですぐに玉川上水の流れに出会う。
玉川上水脇から

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木のはえているところの下を水が流れている。残念なことにこの付近道路工事真っ最中で烏山分水口(北沢川へ通す北沢分水口も近くにある)の確認はできなかった。以前玉川上水を歩いたときも気づかなかったので…一応リンクだけ

 

miwa3k.hatenablog.jp

玉川上水を離れ、坂を下りると人見街道に出て久我山駅へ。
神田川をはさんで京王井の頭線久我山駅

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本日の総歩行距離は22.4km。烏山川緑道からでは12.8km。
きちんと川の跡を辿れたかといえば、手抜き、いい加減のところも多々あって、あまり自信はない。帰ってからノートにまとめるのにあたって、自分と同じところを歩いた記録をいくつか見せていただいたけれど、ほんと丁寧に歩いて丹念にまとめておられる方がいて感服した次第。
変な終わり方になってしまったけど、無事到着。