散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

湯河原・真鶴 海と木と岩を見ながら歩く

神奈川県の西の端、湯河原と真鶴を歩いた。
山がちのこのあたり、今回はあまり山登りしないで済みそうな湯河原町真鶴町の海岸近く、歩きやすそうなところを選んだつもりだが、海岸線近くまで山の傾斜が迫り、坂道が多かった。

湯河原・真鶴 足あと

まず最初に湯河原駅

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湯河原と言えば温泉だけど、いきなり入ってのぼせたりすると後が思いやられるのでまずは歩く。

駅前、土肥実平(どいさねひら)と妻の像

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歴史には疎いので、自分のためにメモる。

土肥実平とは桓武平氏の血をひく相模の豪族中村氏の一族で、湯河原、真鶴周辺を本拠としていた平安時代末期~鎌倉時代初期の武将。 1180(治承4)年の源頼朝挙兵に一族を率いて参陣し、石橋山の戦いで大敗した頼朝を真鶴から安房へ渡らせる手引きをし、その後も平家討伐、奥州討伐に参陣するなどの功績を残した人。
湯河原駅南側一帯に現在も「土肥」の地名が残る。

最初にその土肥一族の墓所がある城願寺(じょうがんじ)へ向かった。駅の裏側に位置する。

城願寺山門下

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境内にある柏槙(びゃくしん)の古木

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湯河原のパワースポットだそう。
樹齢800年とも900年ともいわれ、国の天然記念物に指定されている。神奈川県内ではもっとも樹齢が長く、神奈川の名木100選にも選ばれているとのこと。

源頼朝七騎堂(石橋山合戦に敗れた源頼朝主従七人の武者像が安置されている堂)なども見て境内から出る。

そこから西の方へ歩き、五所神社へ。

五所神社

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ここも土肥実平の逸話が残る神社。

御神木の楠

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県道をはさんだ反対側にも「明神の楠」なる楠の木があって、これもパワースポットとして紹介されてたりする。

明神の楠

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この神社から山側へ入っていくと湯河原温泉だが、川を下って海岸方面へ進む。

千歳川

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温泉街の方から流れてくる川。この川が神奈川県と静岡県の県境になっている。

神奈川県側へ向けて静岡県を主張する物体

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反対側に神奈川県と刻まれていて平等に県境を主張しているのかと思ったら、裏側は何も書いてなかった。

県境の公園は河津桜が見ごろ

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国道135号を渡って海岸に出る。

湯河原温泉入口交差点近くから熱海方向を望む

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この日は天気がいまいちだった。

湯河原海浜公園の人工岸壁に沿って歩く。
岸壁南端から真鶴方面

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岸壁北端まできて

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海岸線にずっと沿っているのは真鶴道路。そのすぐ隣を国道135号が通る。

吉浜橋や箱根外輪山

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この日は天気が…以下省略。

もう一度国道を渡って坂をあがる

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また国道へ戻って歩いていると歩道にタイルが埋め込まれていた。そこには

豆相人車鉄道 吉浜駅
豆相人車鉄道の駅の一つ吉浜駅は、ここにありました。ちなみに、ここ小澤宅の屋号は「テイシャバ」と呼ばれていました。

明治時代に、人間がトロッコのような客車を押して走る人車鉄道が小田原と熱海の間を結んでいた。その駅のひとつがあった場所。 ”豆相”は”ずそう”と読む。

駅跡周辺の現在の様子

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バス停も「吉浜」。右側真鶴道路の向こうは吉浜海水浴場。

前に見える坂を上がって向こう側へ出る。次に坂を下りると漁港のある福浦という場所へ。

福浦、醍醐院横から

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寺院横は三方に急な階段

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ここから真鶴半島が巨大な恵方巻のように横たわっていて、その傾斜を上がっていかなければならない。

階段の途中から湯河原熱海方向の海岸

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下に見える屋根は醍醐院の本堂。

細い道を先へすすむと
何だこの巨大煙突?

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地下を真鶴道路トンネルが通っていて、その通風、換気塔とのこと。わざとこんな色に塗っているのか。

しばらく山道のようなところを通っていくと真鶴半島を一周する道路とぶつかる。
ここまでくると、湯河原町から真鶴町へ入っている。

半島をまわる道路から、こんな森の中を岬に向かって歩く

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いわゆる照葉樹林。そのなかで楠の大木が目立つ。

真鶴岬にて

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前方右が伊豆半島、少し左には初島

崖下へ下りて行くと三ツ石海岸。

その途中から

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先端にある、3つの岩が突き出ている(角度によっては2つに見える)ところが三ツ石(みついし)。大潮の干潮のときには歩いて渡ることもできるとか。

三ツ石海岸の突端

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三ツ石までは無理として、すぐ先の石がごろごろしているところまでは行けると思ったが、石に付着している海藻でひどくすべるので断念。

真鶴半島は15万年前の箱根と周辺火山噴火の際に噴出した溶岩が流れてきてできたもの。半島の突端もよく見ると黒い溶岩だ。

真鶴溶岩の海岸 2枚

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ごろごろころがっている石の中には、赤や褐色の赤ボサ石(複輝石安山岩)と呼ばれる石があり、海岸がなんとなく赤っぽいのも特徴。

三ツ石海岸から戻り、半島の北側を通って付け根のほうへ歩く。

半島北側、琴ヶ浜付近から小田原方面

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真鶴港

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上の写真で向こうに見えていた住宅街から、真鶴港方向を見返して

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またひとつ丘を越え、次は岩(いわ)海岸に出る。

岩漁港と真鶴道路岩大橋

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岩海岸、弁天島

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海岸北側の海食崖

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こちらも箱根火山の噴出した溶岩でできているが、真鶴半島よりも古く18~22万年前のもので、ここの地名にちなんで岩溶岩類と総称されている。

これくらいにして本日は引き上げる。
真鶴駅

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この駅前広場の一角にも豆相人車鉄道城口(じょうぐち)駅跡の碑があった。当時は真鶴駅ではなかったようだ。

 

今回、真鶴町湯河原町を歩き、神奈川県の全市町村、政令指定都市の全区に足跡を残し、それをこの場に記録することができた。
よくあるきました。

実は東京都もあと残るのは奥多摩町だけ(伊豆・小笠原諸島は勝手ながらエリア外)だったりする。まあこちらもそのうち歩くことでしょう。