散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

松の川の痕跡をたどる・横浜日吉 その1

横浜市港北区日吉あたりを流れていた小さな川、「松の川(まつのかわ)」がかつてあった。
鶴見川の支流の矢上川のそのまた支流という位置づけだが、すでに埋め立てられ、跡地は一部が緑道になり、そうでないところは道路やあれこれに変わっているが、流れていた川の痕跡はたくさん残っている。

そんな川跡をたどって、松の川とその支流がどのように流れていたのかをいろいろ推測してみた。

松の川流路推測地図

歩いてたどり分かった痕跡と、古地図、航空写真なども使って机上でも推測してみた結果が上の地図。もちろん完全なものじゃないことはご容赦。

  • 地図中に描いたラインなどをクリックすると名称などが出ます。
  • 地図中で使用した名称(勝手に私がつけたもの)で以下記録しています。

今回のアプローチは、私事だがずいぶんお世話になっていた東急東横線日吉駅から

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駅前の慶応日吉キャンパスへ入る。
慶応日吉キャンパス(日吉台)から矢上キャンパス(矢上台)方向

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向かいの丘の建物が理工学部のある矢上台。間の谷が松の川の流路があったところ。
手前の8の字をした池の跡は何に使っていたのだろう。ここは戦争中に旧帝国海軍の連合艦隊司令部など、海軍の中枢部が集中していたのでいろいろ遺構が残っているが、そのひとつだったりして?

谷間へ下りていく坂は通称「理工坂」、案外長い。

 

◆松の川下流

松の川は矢上川に合流するが、そこからさかのぼって綱島街道(神奈川県道2号線)、東急東横線との交差地点までを便宜的に下流部とする。

下流部には2回足を運び、1回目は雨に降られ、2回目はよい天気。写真の天気が2種類あるのはそのせい。

下流から。
日吉樋門

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松の川の矢上川合流地点。現在は下水道の出口が設けられているだけで、通常時に水は出てこない。

日吉樋門のすぐ手前にコンクリートの構造物が鎮座している。

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想像だが、ここで下水を回収し、処理センターへ送るための装置か。

もう少しさかのぼると前方は車止めのある歩道となる

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松の川(上記地図では「下流部分流」)が交差点左側からきて曲がり、こちらへ流れてくる。

車止めの向こうからは矢上川の分水が流れてきてここで合流していた。このことが分かったのは明治の古地図。冒頭の「松の川流路推測地図」を見ると分かりやすいが、昔の矢上川は蛇行して現在の流路より少し北側を流れ、その途中から水路が分けられていた。その分水路と松の川・下流部分流がここで合流していた。

車止め向こうの矢上川分水路をすすむ。その先でもう1本道路と交差するが、そこの交差地点も合流点。

さらにこんなところを通って

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前方にまた車止めがあり、その先矢上小学校の前を通過して、
矢上川に出る

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柵の向こうは現在の矢上川本流。古地図によれば本流は昔、もう少し向こう側を流れており、こちら側の柵のあたりは矢上川分水が流れ、ここから手前側へ向きを変えていた。

矢上川本流反対側の岸から

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前方学校校舎左端の壁の前が先ほどの写真の位置。

川が”流れ出て”いたところではないので岸壁に穴などはあいていないし、何も痕跡は残っていない。
分水はもう少し上流(右側)で行われていた。ちなみに現在の流路への改修は昭和初期らしい。

松の川に戻る。

松の川下流部・慶応大矢上キャンパス入口付近

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手前側歩道部分が川跡と思われる。

その先へさかのぼって進むと
歩道部分が建物の後ろへまわりこむ

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追いかけてみると

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この先は、前方の4階建て建物の右側へ回り込み、先ほどの道路わきの歩道として復活する。

そして綱島街道仲の谷交差点へ達する。

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前方は東急東横線ガード。

下流部はもう1本並行した流れがある。
もう一方の流路跡から

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この道路の歩道部分がもう1本の流路跡(「松の川・下流部分流」と地図に記載)と思われる。上流方向に向いて撮っていて、この先で先ほどの”本流”から分岐している地点があるはずだが、2本の松の川の流れの間はかつては田んぼで、正確な分流点ははっきりしない。
横切っているのは東海道新幹線

 

◆松の川中流部と支流いくつか

綱島街道東急東横線を越えた西側へ出る。
東横線ガード付近

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仲の谷交差点を渡った先。ここを川が流れていたと思われるが、道路右側に広めの歩道がある以外に痕跡がない。

ガードを越えてこの道路沿いに松の川の本流が流れていた。そのままたどっていくと

本流上流方向(日吉2-17付近)

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歩道がずっと道路の一方だけにある。古い航空写真を見ると、歩道のある側に川が流れて、その向こうにある住宅との間にいくつも橋が渡っていた。一家に一橋。

歩道にあがって下流方向

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もう少しさかのぼって、日吉町バス停付近までくると歩道が道路反対側に移動する。反対側に移った歩道をみると

コンクリート蓋の歩道(日吉1-4付近)

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このすぐ後ろ側がT字路で2本の流れの合流地点になっている。合流してくる流れは先で松の川緑道となるものでそちらが本流、こちら蓋暗渠のほうがいわば支流である。

ここから上流側は便宜上、松の川緑道となるほうを「緑道流」、蓋暗渠のほうはバス通りに沿って行くので「バス通り流」と呼ぶ。

合流点の緑道流側は痕跡が何もなく、ごく普通の道路になっている。
その道をさかのぼる方向に歩いて行くとこんなところに出る。

松の川緑道のはじまり

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この先はのちほど辿ることにする。

反対側に目をやると、何本か支流から本流へ合流していた跡が残っている。そちらへ進む。

緑道と反対側を向いてほんの少し戻ると、
日吉地区センター下の暗渠跡?(地図では「緑道流続き?」)

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すぐ先が柵のようになっているが、そこから左側へ直角に折れて
こんな歩道が現れる(地図では「分流1」)

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前方逆U字車止めの先はバス通りの本流跡、バス通り右が下流方向。

分流1、バス通り側から振り返って

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もう1本、隣の通りにも支流からの流れが(地図では「分流2」)

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前方がバス通り、そちらへ合流している。ここもバス通り右が下流方向。

「分流2」からはさらに「分流3」が分岐している。
分岐点

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正面向こうへ「分流3」、左右に通っている「分流2」。

分流3を入っていくと

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その先

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人の歩いている先が上りになっているが、道路を交差して向こう側にまたあやしい溝が続いていた。道路(通称浜銀通り)をつくるときに盛り土をした可能性がある。

「分流3」はその先追って行けなかった。

分流2、分流3合流点までもどり、分流2の上流側へ。

「分流2」、合流点のやや上流側

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正面がバス通り方向。

このうしろ側へ崖際まで進むと分流2の流れは左に折れ
こんなふうになる

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前方ガードレールのところから振り返ると

こう見える

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ここでバンクのようなところを暗渠が右に曲がるが、曲がってすぐに何もなくなってしまう。その先は痕跡なし。(日吉1-2)

細かいところへ入り込んでしまった。

ここから本流へ戻って、松の川緑道(緑道流)と「バス通り流」へ移りたいが、長くなってしまうのでここで刻むことにする。
残りはその2に記載予定。