散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

三浦海岸 《夏2018》 金田、剱崎、江奈を経て岩堂山から三崎口へ

平成最後の夏が来た。
今年は威勢よく6月中に梅雨明け宣言しちゃった関東地方、よい天気が続くのかいまいち信用できないところもあるし、今日の晴れを逃さずにとりあえず外に出る。

行き先はあまり考えてなかったのだけれど、京急の優待乗車券が手元に残っているという理由で三浦半島に決定。行程も以前歩いたときと結構重複してたりして、突然飛び出した感ありありである。

三浦海岸駅で下車

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駅正面が工事中で少し窮屈な場所から。

この日の足あと

早速、三浦海岸海水浴場に出る。駅から歩いて5分もかからないくらい。

三浦海岸海水浴場の砂浜から

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すでに海開きしているようで、海の家も営業中。でもウィークデイということもあって、お客さんほとんどいません。

前方、金田湾沿いに先へ進む。砂浜と海岸通りの車道の間に遊歩道がある。

三浦海岸の隣りに位置するのは菊名

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ずっと砂浜でつながっているが、こちらは海水浴場にはなっていない。
少し沖に顔を出している岩礁は「沖ノ島」。その向こうは房総半島。

砂浜が一旦途切れるあたりから、三浦海岸方向を振り返って

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閑散としている。

ここから海岸後ろの高台へ上がる。
高台から金田方面

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いったん下りて金田漁港

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駐車場に空っぽの観光バスが1台とまっていた。この漁港には朝市があるので団体客が来ているのかもしれない。

また漁港背後の高台へ上がる。
金田漁港を上から

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丘の尾根、細い農道を通って”鯖”で有名な松輪へ。
松輪バス停近く

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(松輪の周囲は台地の上にあり、松輪港という港も存在しないのになぜ”松輪サバ”の呼称になったのかな?)
左はスイカ畑。真夏が来るのが早すぎて、まだ大きな実になってない。
現在、前方正面あたりの戸津浜海岸に向かっているところ。

海岸の少し手前

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前の森をぬけると海岸だ。

戸津浜海岸(2枚)

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海水浴の設備は何もないけど車で進入可能。2、3組のグループが遊びに来ていた。

戸津浜海岸北側から

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手前が戸津浜、岩場の向こうにちょっとだけ見えているのは隣りの大浦。大浦にはこの後訪れる。

まず背後の岩場を越えて次の海岸へ。
戸津浜北側の小さな海岸から

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名前もなく、ごく小さな砂浜の海岸には誰もいなかった。

その波打ち際にて

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その隣りの海岸にも足を伸ばす。
海岸伝いにそこへ行くにはきちんとした道はない。草に覆われて消えかかったけもの道を少々進み、岩場に吊り下げられたロープを頼りに砂浜へ下りなければならない。
下りたロープの目前に、公然ナントカ状態のおっさん出た。(ネットには「出る」という情報は前々からあった)

でも、浜はきれいなのだ

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長居はせず、海岸背後の細い道を上がる。

ふり返って海を一枚

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農道へあがって、また高台へ。周囲は日当たりのよい畑で、その中に
剱ヶ崎(つるぎがさき)砲台跡

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1920年代に東京湾要塞のひとつとして築かれた砲台の遺構。近くにもうひとつ同じ構造のものがあり、格納庫の遺構も残っている。
砲台跡は周囲の農地などで出ただろうゴミ捨て場と化していた。

農道を進み、先ほど戸津浜海岸へ出た道を横切って、その南側の大浦海岸へ。
大浦海水浴場

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ここは海の家もある海水浴場。

海岸から南側の岩場

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南側の岩場から砂浜を振り返って

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左手前の砂浜が大浦海岸、正面右奥には先ほど通った戸津浜海岸が少し見える。両海岸間は直接行き来できないことになっているが、以前このあたりを歩いたときはずいぶん近道ができたような気もする。

大浦海岸の隣りには間口漁港

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松輪サバはこのあたりにもあがってくるのだろうか?

間口漁港から坂を上がり、歩道をさらに上がると
剱埼灯台入口

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案内板文字抽出

剱埼(つるぎさき)灯台
東京湾の入り口にある灯台
この灯台は1866年(慶応2年)の江戸条約に基づき、明治政府が1871年明治4年)に設置したもので、三浦半島の南東端に位置し、対岸の房総半島にある洲埼灯台と対で東京湾の入口を表しています。
晴れた日は灯台から 房総半島の館山から伊豆大島、新島さらに伊豆半島までを展望できます。
剱埼の名称は萬治(1660年)の頃、徳川幕府の管財を積んだ船が岬の沖で難破した時、岬の突端から海南神社の神主が剣を海に投じ、竜神の怒りを鎮めたことから生じたといわれています。
灯台は船舶が安全に航行するための大切な施設です。
この施設の異常を発見した場合や何かお気づきの点がございましたら、下記の管理事務所までお知らせください。
位置 北緯35度08分29秒
   東経139度40分38秒
光り方 30秒毎に白光を2閃光と緑光1閃光(複合群白緑互光)
光の強さ 48万カンデラ
光の届く距離 17.5海里(約32キロメートル)
高さ 地上から灯台頂部 17メートル
   水面から灯火 約41メートル
管理事務所 第三管区海上保安本部
(以下略)

間近から

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灯台の真下から見えた富士山

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前に来たときはここから海岸に下り、波打ち際の岩礁の上を歩いたが凸凹で異様に疲れた。今回は普通の道路を歩いて行く。

江奈湾の漁港を望む

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漁港に隣接して地魚料理を食べられる店がある。

ここは遠浅の湾で、湾奥には干潟がひろがっている。
右へ湾奥方向

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干潟だが海水も入ってくる、というあたり

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この奥は一面の葭原で草しか写らないので、その手前から。

ここからは台地へあがり、おもに畑の中を通っていく。海の風景はこのあたりまで。

江奈湾干潟のさらに奥の坂を上がり、
辻に白浜毘沙門天への道標と馬頭観音

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今回は毘沙門堂へは寄らず、反対の岩堂山(いわどうやま)の方へと進む。

岩堂山周辺の畑地

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海岸から高台に上がったが、さらに少し高いところが正面に見えてくる。正面は岩堂山ではなく、その向こうにある。

だらだらと坂を上がっていく途中で
南を向いて

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肉眼では伊豆大島が見えた。

来た方を振り返り気味に南東方向

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海の向こうには房総半島の南端あたりが見えている。

岩堂山を越えてから振り返る

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正面畑の向こうのこんもりしたところが岩堂山、三角点のある標高は82.1m。現在立っている場所も80m近くあって、山っていうほどのものでもないけど、数字上三浦市では一番高いのではなかったかと思う。

ここからは帰路。
県道26号に出て引橋交差点からは国道134号、数ヶ月前に城ヶ島を往復したときと同じ道を歩き、京急三崎口駅へ向かう。

引橋交差点先の国道134号

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一直線のゆるい下り坂、その途中に駅がある。

暑くて少し涼みたかったが、三崎口駅周辺は適当な場所がない。しかたないので一応冷房のある電車内へ直行。
横着して車内から。
みさきまぐろえき

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最後に2年前に訪れたときのノートを。半分近くがかぶってる

miwa3k.hatenablog.jp