散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

三浦の海を歩く 三浦海岸から岩礁のみち

三浦海岸から砂浜づたいに金田、農道を通って名もないような小さな砂浜と岩場を回りながら大浦、間口、剱埼灯台。ここで関東ふれあいの道三浦・岩礁のみちに合流してトレース、江奈湾、毘沙門湾、盗人狩を経て宮川湾、宮川町までを歩いたが、宮川町でのバスの都合上、三崎の栄町までさらに歩いた。距離の長さよりも、砂浜、岩礁と、足元が不安定で足腰に大きな負担がかかり想像以上にハードな散歩になった。

三浦海岸の砂浜へは京急三浦海岸駅からアプローチ

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駅から海水浴場として有名な三浦海岸の砂浜までは歩いて5分くらい。国道134号線を渡ると遊歩道があってその下はすぐに砂浜だ。散歩に出かけたときはちょうど海の家の建設中。シーズン前で泳いでいる人もいないので釣り人くらいしかいない静かな海岸。
三浦海岸の砂浜と釣りする人

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砂浜は砂に足を取られて歩きにくいので遊歩道をすすむ。
菊名海水浴場の先で久里浜方面を振り返って

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駅付近の砂浜からは1.5kmくらいだろうか。このあたりまでで遊歩道が途切れ、砂浜も途切れるのでいったん県道に上がる。県道がカーブしてホテルの前を通過するとまた砂浜となるのですぐに下りる。こんどは遊歩道はないので砂の上をしばらく歩くが、小さな川のところでまた県道へ。
金田漁港の手前から

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漁港とその向こうにみえるのは房総半島。
金田漁港にさしかかる

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この日通った港の中ではここがたぶん一番規模が大きい。
金田漁港の先で

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金田湾側の散歩ははここらへんで終わりになる。少し行くと道路が右にカーブして上りになる場所がある。
そのカーブ手前から

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左側に細い道が分岐していて、そちらへ行くと三浦市東部浄化センターというところに突き当たってその先は立入禁止で進めない。しかし立入禁止の先には雨崎海岸という、おそらく三浦一の秘境海岸がある。秘境だけあってアプローチする道もないに等しい。ネットで検索するとどうやってたどり着くかの方法を書いてあるブログなどが出てくるくらい。最初はここへ行くつもりで情報を集めたが、浄化センターは立入禁止で通り抜けられず、反対側は崖と岩場で道は崩壊しているということだ。でもまあいちばん安直には浄化センター手前の消波ブロックを伝って行けばいけないことはないらしい(でも危険なのでヨイ子はまねをしない)。ちょうど通りかかったときもそんなチャレンジをしている人たちを見かけてしまった。
で、もうひとつの行き方

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県道がカーブしているところを少し上がるとすぐに住宅の間にこんな細い通路がある。まずこれを入ると林の中の細い坂を上がって、道かよここという草むらを「やや」藪漕ぎでさらに上がると畑のあぜを横切って農道に出ることができる。
こんな農道に出られたらオッケー

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これをしばらく進んでから枝道に折れると雨崎神社という祠の近くまでは行ける道があるということなので、その先は自己責任で。自分は行かなかった。
農道の途中から見えた金田湾

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その農道を雨崎海岸に行くのとは別の場所で折れて坂を下る。
下り坂の手前で

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坂を下ると雨崎海岸のとなりの砂浜に出ることができる。ここの海岸は名前があるのかないのかよくわからないが、金掘塚という表記をしているものを見つけた。
金掘塚海岸?の波打ち際

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通りかかったときにはここで海水浴をしている人が1組いたが、ここだって十分プライベートビーチ気分は味わえるんじゃないか。
おなじく浜の風景

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十分水はきれいだしとても良いところなのだが、となりの海岸へ行く手段はこれ
ロープ

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このロープを使って岩場の上にあがる。写真は上から見下ろしたもの。高さは3mくらいか。これを越えれば次の浜にでるのは大したことはない。隣の海岸もさきほどと同じようなプライベートビーチ。ここは「名なし」海岸でよかったのかな?
「名なし」海岸の波打ち際

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ここはだれもいなかった。
岩のあいだを水が

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水はとてもきれい。
これも「名なし」海岸から

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ここからまた隣の浜へ移る。ここは特に難しいことはない。次の海岸は名前がついている。
遠津浜海岸

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ここは何台も車が駐車していた。その向こう、写真正面奥にちょこっとみえているのは大浦海水浴場。この2つの海岸は距離的にはすぐなのだが、一般道を通って行き来するとものすごく遠回りになる。というわけで写真の2つの砂浜の間に見えている岩場を通って向こう側へ行くことにする。まあ行けるらしいという情報があったので試したのだが。
遠津浜の波打ち際から

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水があるのかないのかわからないくらいきれい。
それで隣の海水浴場へ行くのに選んだ「道」。

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道があるようなないような、なのだが何とかすすめる。いわゆる難所は特になかった。でも波が高い日は無理かもしれない。
無事に大浦海水浴場の端っこにたどりつく。

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同じ場所から振り返って

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砂浜に柵があったり、がけ下に立て札が立っていたりするのが見えるが、海水浴場側からは進入禁止扱いになっていた。
ところでこのあたり一帯の海岸の岩場はどこもこんなようにうす茶色と黒っぽい灰色しましまの層になっている。薄茶色の部分は大昔に海底に泥が堆積してできた泥岩の層、黒っぽい部分はやはり海底に砂や火山灰、軽石が堆積してできた凝灰岩質の層、だそうである。これが何層にも積み重なり、押し固められて岩になったとのこと。このあたりの岩はおよそ500万年前のものだとか。特にこの大浦海岸あたりは黒い層が多く、黒いところは火山灰など火山活動由来の物質が多いので、そのような活動の活発な頃に海底に積もったものではないかと学者さんが言っている。油壷火砕岩層(油壷層)という名前がつけられているとのこと。油壷とここで同じものが見られるらしい。
大浦海岸海水浴場から

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海水浴場は準備中。ここを一周して一般道へ上がる。地元の軽トラックとかも通る細い道を少しすすむと間口漁港。
間口漁港から

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船は浜に上げられてのどかな風景になってる。写真左側の丘のうえ、向こう側が剱埼灯台。ここから写真中ほどの少し低くなっている丘へ上がってから左側へ行き剱埼灯台を目指す。ここから岩礁を通って剱崎へ向かう方法もあるのだが、その手は使わず。
いろいろ重なってるが灯台がみえてきた

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岩礁から回り込まずに林の中からショートカットで丘の上にのぼってきた。
剱埼灯台入口側から

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灯台後ろ側から

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子供のころここは「けんざき」と習った覚えがあったのだが、灯台近くにあった解説では「つるぎさき」灯台となっている。ネットで検索かけてみても「つるぎさき」だ。でもその中に、岬の名前は「剣崎(けんざき)」、灯台は「剱埼(つるぎさき)」だよ、字も違うよと丁寧に解説されているものがあった。恐れ入ります。
灯台の後ろ側へ回ったところ明治4年(1871)初点灯との記録があった。ちなみに初代の灯台関東大震災で壊れてしまったそうで、いまあるものは大正14年(1925)に再建されたもの。灯台のとなりにあるのは「無線方位信号所」つまり船の電波灯台とのこと。
灯台付近から間口漁港を望む

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さっき通ってきたところ。
こちら、三浦・岩礁のみちへのアプローチ

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灯台から踏み分け道のような下り坂を海岸まで一気に下っていく。
海岸に下りたところ

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長い岩礁歩きがはじまる。このあたりから関東ふれあいの道の神奈川県コースのひとつ、「三浦・岩礁のみち」に合流している。以降この「みち」に沿って最終ポイントの宮川町まであるく。
洞窟のようになったところ

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海岸の崖下がところどころ波で掘れ洞窟のようになった場所がある。この近くでこのような洞窟(たぶんもっと大きい)に古代の人の生活跡が見つかったらしい。
江奈湾に向かう途中

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江奈湾の入口付近の岩礁風景

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さきほど岩のうんちくを披露した場所に比べてこちらは白い部分が多いように見える。しかしこの岩、三浦半島のどこへ行っても平らに積もっておらず、傾いている。昔、洗濯板というものがあったが、あれの巨大なものの上を歩いているよう。しかも黒い層のほうが白い層に比べて硬いようで、白い層が削れて歯が立っている。立っているとき、歩くときに踏ん張りどころがなく、足首を意識して高く上げて歩かないとつま先が岩の「歯」に引っかかってつまずく。疲れる。
江奈湾の湾奥から停泊中の漁船

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ここにも漁港があって船が泊まっている。江奈湾の漁港付近からは再び一般道を歩く。下が平らな道はなんと歩きやすいこと。
江奈湾のいちばん奥は干潟になっている

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干潟には一面に葦が生えている。この先一般道の坂を上り、白浜毘沙門天を目指す。
毘沙門天へ向かう辻

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関東ふれあいの道の案内標も立っていた。これを写真右手方向へすすむと白浜毘沙門天の小さな神社があった。神社の手水鉢の中に真っ赤な蟹が2匹いた。
毘沙門天に向かう途中の畑はこんなものを作っていた。

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すいか
毘沙門天の先でまた海岸に出る。砂浜のようになっているところもあったが基本的にまた岩のうえを歩く。
江奈湾で撮った写真と区別がつかない。

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そういえばこういうところはどこでもふなむしがうじゃうじゃいる。すばしこいし慣れるまでは少し気持ち悪いが、人のいる方向へ寄ってくることは決してないのでたかられたりすることはない。
剱埼灯台のあたまがぽちっと少しだけみえた。

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反対側を見ると城ヶ島城ヶ島大橋

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まだ城ヶ島までは少し距離がある。

岩山

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この小山も積もった層が斜めになっているのがわかる。

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こいつを渡って向こう側のせまい通路をすすむ。
毘沙門湾湾奥から

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ここも小さな漁港になっていた。湾全体が小さな港になっていてそのまわりをぐるりとまわるように歩く。写真の右側に写っている建物の手前で右方向に折れ、再び岩礁伝いの歩きとなる。
毘沙門湾の先、盗人狩に向かう途中

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ここでも斜めになった岩の層がずっと続く。全体に黒い層が白い層よりも硬いのか白い層は削れてしまっている。黒い層だけが残ってせり出していてのこぎりの目かおろし金のようにもみえる。
盗人狩近くの磯

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盗人狩(ぬすとがり)

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次の写真に解説があるが、この断崖に盗人を追い詰めて捕らえたということらしい。捕物は崖の上で行われたということだ。
盗人狩の解説板と橋(PCでは写真をクリックするとすこし大きくなります)

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この木橋、悪天候でしばしば流されるらしい。この区間通行禁止だったとか、通れませんでしたという情報も検索すると見つかる。それほど悪天候でなくても、波の高い日、満潮時ですら通りにくいのだろう。この「三浦・岩礁のみち」は危ないと思ったら引き返せ、天気の悪い日は通れない、というような情報があちこちに書かれている。
城ヶ島、右観音山

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もうすぐ宮川湾だ。
何かの電波塔3本

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なんだか立派にそそり立ってる

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さらにすすんで観音山の裾を通ると宮川湾へ出てくる
宮川湾ヨットハーバーから通ってきた方向を振り返って

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宮川湾に出てヨットハーバーを通り過ぎてから振り返った風景。右側のこんもりしているところが観音山でその左側の崖との間を通ってこちらに出てきた。
ようやくここで岩礁歩きは終わりとなる。
宮川湾の漁港の近くで

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ここで海岸沿いのみちも終わり。ここから写真の後ろ側、急坂を上って宮川町のバス停を目指す。岩礁歩きの直後の上り坂はこたえた。
宮川町のバス停で

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関東ふれあいの道の案内板もあった。

バス停の直前までずっと坂道でだいぶ参ったが、バス停につくとどちら方向のバスも1時間近く来ないことがわかった。商店が1件あるだけで時間をつぶす場所もなく、バスの便数が多い県道までさらに歩いた。こちらも途中坂道があり、先ほど上った分をほとんど下りきり、そこからすぐに上り返すという行程でくたくたになった。バス停のミスチョイス、東岡へ向かえばよかった。
三崎の栄町バス停から京急三崎口駅へ出た。本日は17.7km、関東ふれあいの道では海とふれあいすぎて距離の2乗くらい疲れた。

三浦半島三部作その1

その2

miwa3k.hatenablog.jp