散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

相模川を歩く その3 相模原・大島から三ヶ木まで

相模川の遡上歩きは河口から相模原市の大島まで進んだ。今回はその続きで相模原市緑区大島、相模川自然の村公園展望台付近からスタート、小倉橋、城山ダム、津久井湖の三井大橋で湖の北に出てから名手橋で南側に戻り、又野地区を経て相模原市緑区(旧津久井町)三ヶ木の三ヶ木バスターミナルへ。
この日の行程

過去分はこちらからも

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前回雨が降って途中で断念した場所である相模川自然の村公園をまず目指す。JRと京王線橋本駅からバスで上大島バス停へ
上大島バス停

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上大島のバス停近くに「相模川自然の村」への道案内があるのでそれに従って進むと10分ほどで自然の村入口の駐車場のところへ出る。(大嶋坂を下る方ではなく、老人施設渓松園近くのほう)駐車場の先はすぐ相模川河岸段丘の崖で展望台になっている。
相模川自然の村展望台付近から

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前回雨で断念した場所、今回は良い天気、だが暑い。(この日東京の最高気温は36℃を超えたのにノートを今頃まとめている秋である)
ここから河岸段丘の崖を下りる。段丘の上が標高約121mで下が66mだから55mの段差ができている。だんだん川の上流に行くにしたがって段差が大きくなっている。
河原の近くは上大島キャンプ場

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キャンプ場近くからの相模川と対岸小倉山方向

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キャンプ場から遡ると諏訪森下橋

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左側は相模川の大きな中州で、中は水田になっている。この地域は周囲が台地や山で水が得られず、このような場所にしか水田がつくれなかったのだろう。この中州は江戸時代末期にはすでに水田として開拓されていたとのこと。
諏訪森下橋から下流側

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上流側

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上流側にすでに橋が見えているが、そこから歩道を行くとほどなく小倉橋に着く。
手前小倉橋、向こう新小倉橋

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小倉橋
1938年(昭和13年)に開通。4径間連続の開腹式上路アーチ橋、橋長は176.6mある。アーチの美しさから1979年(昭和54年)にかながわの景勝50選、1986年(昭和61年)に相模川八景、1991年(平成3年)にかながわの橋100選、2008年(平成20年)に土木学会選奨土木遺産に認定されている。

ただし、橋の幅は4.5mしかなく欄干が低い。そしてダンプカーや路線バスなどの大型車が頻繁に通る。橋の上は実質交互通行になっているが、歩いて渡ることはお勧めしない。

新小倉橋
小倉橋の交通量の増加と道路幅の狭さによる渋滞を回避するために片側2車線の新小倉橋を建設。2004年(平成16年)に開通。橋長は193m。小倉橋より標高の高い地点に大径間の橋梁を建設するために、小倉橋と新小倉橋が重なる景観に十分配慮し、各部位を軽快に見えるようにデザインされている。

ここは良い風景だと思う。別の角度から2つの橋

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おまけ:別の日に新小倉橋のさらに上から撮影

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小倉橋の手前で遊歩道が途切れるので、橋を通る県道に沿って坂道を上がると川尻に出る。Googleマップを見ると坂の途中から階段を上がって川尻石器時代遺跡の場所に行ける細い道が記されているのだが、実際には草ぼうぼうで道などなかった。遺跡も特に何かを展示していたり公園になっていたりするわけではなく、ただの草むらになっていた。

川尻石器時代遺跡 (相模原市観光協会HPより)
城山にある相模川流域左岸の河岸段丘上に残る、縄文時代中期から後期にかけての集落跡です。様々な種類の遺物遺骨とともに、敷石住居、配石遺構、配石墓群などの礫石を多用した遺構もあります。23,356.62平方メートルにおよぶ遺跡は、全て国指定史跡として認定されています。

遺跡の隣が谷ケ原浄水場で、その周囲をまわってから神奈川県立城山高校の方へ進む。高校の先が展望台のようになっていてそこから城山ダムを間近に望むことができる。
城山ダム

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ダムの上を通っているのは国道413号、向こう側貯水池は津久井湖

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城山ダム Wikipediaから抜粋
城山ダムは、高さ75メートルの重力式コンクリートダム。目的は相模川の洪水調節、横浜市相模原市川崎市及び湘南地域への上水道・工業用水の供給である。寒川取水堰(相模川本川・固定堰)から相模原沈殿池(アースダム・18.5m)を経て各地へ送水されているほか、相模導水を通じて宮ヶ瀬ダム(中津川・国土交通省関東地方整備局)や道志ダム(重力式コンクリートダム・31.4m)との間で貯水を融通し、効率的な水運用を図っている。
目的の一つに発電があり、揚水発電用のダムとしても利用されている。神奈川県営発電所、城山発電所境川の本沢ダム湖城山湖)を上池、城山ダム湖津久井湖)を下池として水を往来させ、主に昼間の電力消費をまかなうことに特化した発電を行っている。尚、発電時に落水させた水をダムに戻すのにも電力が必要であるが、これは夜間に各発電所で発生する余剰発電分を使用している。揚水発電所は電力会社が主体となって運営されることがほとんどで、城山発電所のように地方自治体による例は極めてまれである。
ダム天端を国道413号が通過しており、城山大橋とも呼ばれている。国道16号及びJR 横浜線 橋本駅等の相模原市中心部へ通じる主要幹線道路となっている。ダムが幹線道路に使われる例は全国でも珍しい。
相模川河水統制事業」によって相模川には既に相模ダムが1947年(昭和22年)に建設されていたが、横浜市を始めとする神奈川県内の人口急増に伴い、新たな水源確保が重要となった。そこで神奈川県は相模川に新たなるダムを建設して水需要に対応しようとした。こうして補助多目的ダムとして建設が開始され、1965年(昭和40年)に完成した。

ダム堤体と上を通る国道

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ダム湖側から

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ダムの上を通る国道を越えたところに津久井湖記念館がある。その庭園から

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庭園内から見た津久井湖

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同じく城山

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ダムの上(天端)の橋、城山大橋から

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城山大橋のうえから見た津久井湖

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ダムの上を渡って反対側へ出ると津久井湖観光センターがあり、そこから城山へ向かって遊歩道がある。
国道413号をまたぐ歩道の上から

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遊歩道からみた津久井湖

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城山の縁に沿って伸びている歩道を歩いて諏訪神社に出てから、国道413号の太井交差点をめざす。交差点で国道を越えて三井(みい)方面へ行く道路を進むと三井大橋がみえてくる。

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以前は1本の橋しかなかったが、最近歩行者用の吊り橋が架けられて2本の橋になっている。

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ちなみに歩行者用の橋は「三井そよかぜ橋」だそうだ。三井大橋は1964年(昭和39年)完成、長さ212m。三井そよかぜ橋は2012年(平成24年)完成。

橋のうえから

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渡った先から橋を振り返る

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橋を渡ったこちら側の地名が三井。橋を渡っている道路が県道513号で、これに沿って進んでいくが途中から県道515号に入って西方向、名手(なで)を目指す。小さなお寺を過ぎると人家もなくなって山の中に入っていく。
落石注意(まあこれは山道ではよくある。)

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せまい(幅1.7m)

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すごい制限、幅1.7mじゃ軽自動車くらいしか通れない。実際に道幅は狭く、路肩も軟弱で向こうは崖、一方通行でもない。ところどころに行き違いのためのスペースはあるがそこもせまい。
そんな「県道」がくねくねと1キロ半くらい続く。途中、車が来たらいやだなと思いながら歩いていたが結局車も人も出会わなかった。
当然反対側にも幅1.7mの標識と制限用のポールはある。

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名手に入る。集落の上から見た名手橋

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ここから県道と別れ急な坂を下りて名手橋を目指す。余談になるが、県道515号はここ名手から西側、赤馬までの区間は全面通行止め、落石、崖崩れが多発していてすでに廃道状態である。津久井湖上流の相模川を忠実にたどるのであれば、そちらの道を行く手もあったが、やめ。
坂を下りきったところに名手橋

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橋のたもとから

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橋の途中から津久井湖と北側の山

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建物がいくつかみえるあたりから右のほうへ、いままでたどってきた県道が通っている。
橋の上で振り返って

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名手橋 (神奈川県HPから)
津久井湖に架かる道路橋のつり橋。
橋長180m、幅員3.5mの鋼吊橋で、補剛桁には鋼トラス桁が用いられている。
昭和39年に完成し、地元の生活道路に架かる橋として、地域に長く貢献している。

ワイヤーの間にカメラを突っ込んでみた

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名手橋まで下ってきた分、橋を渡った先はまた上りの道となる。又野の集落を通り、尾崎咢堂記念館の裏を通って野尻という場所に出る。政治家であった尾崎咢堂こと尾崎行雄はここ又野(当時は又野村)が生誕地とのこと。
川も湖も見えなくなり、普通の住宅地のなかを通って国道412号と413号の分岐点になる三ヶ木(みかげ)の交差点に出る。

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交差点のすぐそばが三ヶ木のバスターミナル。本日はここまでとして橋本駅ゆきのバスに乗った。
この日歩いた距離は16.6km。暑さで後半はかなりしんどかった。

続く。

なお、横浜水道みちを歩いたときにこの周辺で似たコースを歩いている。

 

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