散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

国鉄相模線寒川支線跡を歩く 《プチ・ノート》

1984(昭和59)年3月まで国鉄相模線、いまのJR相模線には、寒川から分岐して西寒川に至る支線が存在した。いちばん最初に線路が敷かれたのは1923(大正12)年に相模鉄道によってで、相模川河原の砂利を運搬する貨物線だった。戦時中に西寒川近くの軍需工場などで働く人を運ぶために旅客取り扱いをはじめ、戦後も輸送が続けられたが、相模川の砂利採掘が禁止された事や旅客輸送の採算がとれないことなどで廃止された。
廃止後の線路跡はほとんどの区間で遊歩道や公園として整備され、一部にはレールや車輪のモニュメントなどが残されている。今回、寒川駅から相模川へ向かう途中でこの遊歩道を歩いてきたので簡単なノートにしてみた。
出発はJR相模線寒川駅

f:id:miwa3k:20170223205255j:plain

駅を出たら、最初は相模線の線路沿いに北西(橋本方面)に歩く。500mほど行くと県道が相模線の線路をクロスするが、この付近から寒川支線の線路跡が本線の線路から分岐してくる。
分岐地点から西寒川方面を見て

f:id:miwa3k:20170223205256j:plain

後ろ側に現在の相模線線路。写真左側にカーブしているのが支線の線路跡で、道路をはさんで向こう側の遊歩道の入口につながる。手前にはコンクリートの柵も残っている。
遊歩道に入ってすぐのところ

f:id:miwa3k:20170223205257j:plain

まだ左にカーブしているのがわかる。
残されたレールと車輪

f:id:miwa3k:20170223205258j:plain

遊歩道の途中は公園になっていて、公園の車止めの代わりに車輪が置かれている。写真奥の公園内にもレールが敷かれたままになっている。
敷かれたままのレール

f:id:miwa3k:20170223205259j:plain

枕木や砂利も残っていて、本当に列車が走ってきても不思議のない風景。
公園の次のブロックにも再び、枕木、砂利つきレール

f:id:miwa3k:20170223205300j:plain

寒川駅方向を見ている。この支線は寒川から西寒川に向かってしばらくずっと左へカーブする軌道となっている。
直線区間にはいった軌道

f:id:miwa3k:20170223205301j:plain

直線区間にはいるとそろそろ終点

f:id:miwa3k:20170223205302j:plain

西寒川駅があったあたり。現在は八角広場。

f:id:miwa3k:20170223205303j:plain

国鉄西寒川駅、相模海軍工廠跡の碑

f:id:miwa3k:20170223205304j:plain

寒川駅からの距離は1.5kmとなっていた。
河原での砂利の採掘や工場内への引き込み線など、この駅よりも先に線路が伸びていた時期もあったようだ。現在公園の先を通る県道がその線路跡を通っているようにも見えた。
この近くでは2002年に旧相模海軍工廠で製造されたと思われる化学兵器(毒ガス)が発掘され、その容器を触った作業者が負傷する事故も起きたそうだ。