散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

新河岸川 隅田川に続く人工水路な部分を歩く

隅田川を岩淵水門まで歩いた同じ日に、その先につながる新河岸川を歩いた。

新河岸川は埼玉県川越市内を起点として南東方向に流れ下り、かつては新倉(現在の埼玉県和光市新倉)付近で荒川に合流していた。大正から昭和初期の荒川の大改修事業のとき、新河岸川も新倉付近から新たな水路が造られて荒川と分離され、岩淵(東京都北区岩淵)付近で現在の隅田川に合流するようになった。

今回は隅田川との合流点から人工水路な部分の新河岸川をさかのぼって歩いた。かつての荒川との合流点、現在は朝霞水門があるところまでは行かなかったが。

この日歩いた足あと全部(隅田川・新河岸川) 紫マーカーから新河岸川

隅田川との合流点

f:id:miwa3k:20171216165211j:plain

荒川堤防上から、右岩淵水門、左奥から新河岸川、水を交えて左手前へ隅田川。

荒川の旧岩淵水門付近から反対側の新河岸川

f:id:miwa3k:20171216165217j:plain

ここまでは隅田川のノートにも使った写真。

miwa3k.hatenablog.jp

隅田川では橋をじっくり見ていたせいか、新河岸川に移っても橋の写真ばかり撮っていたこと、先に記しておきます。
そのわりに、新河岸川下流の新志茂橋(しんしもばし)を忘れている。

岩淵橋(いわぶちばし)

f:id:miwa3k:20171227142429j:plain

下流から数えて2番目の橋。人道橋。

次はすぐに新荒川大橋(しんあらかわおおはし)

f:id:miwa3k:20171227142430j:plain

荒川と新河岸川の間から撮っているが、橋は右方、荒川の上も一体になっていて、長さは810mになる。通っているのは国道122号、岩槻街道
個人的には鎌倉街道中道の通過地点ということで荒川の向こう側、川口に向かって渡った橋だ。

新荒川大橋を過ぎるとJR新河岸川橋梁。

JR新河岸川橋梁は3本

f:id:miwa3k:20171227142431j:plain

下流側の橋はほかの2本と形が異なる。手前、下流側が京浜東北線、まん中が上野東京ライン経由、奥が湘南新宿ライン経由の列車が通る、はず。

真ん中の橋の下から

f:id:miwa3k:20171227142432j:plain

上流側から

f:id:miwa3k:20171227142433j:plain

JRの3つの橋をくぐってすぐ上流に中の橋(なかのはし)。
中の橋、上流側から

f:id:miwa3k:20171227142434j:plain

車は通れない、人道橋である。この先もそうだが新河岸川には人道橋の数が多い。

中の橋を過ぎ、浮間橋との間

f:id:miwa3k:20171227142435j:plain

前方に小さく見えているのが浮間橋で、そのすぐ向こうは川の上にあるJR埼京線北赤羽駅。駅の後ろは東北新幹線が通っているが見えない。

浮間橋(うきまばし)と浮間橋の碑

f:id:miwa3k:20171227142436j:plain

「浮間橋の碑」解説板

f:id:miwa3k:20171227142437j:plain

浮間橋の上流側に回って振り返る

f:id:miwa3k:20171227142438j:plain

手前は東北新幹線の橋梁、その向こうによく見えないが北赤羽駅、下にのぞいているのが浮間橋。景観的にはいまいちかな。

板橋区に入るとすぐ、小豆沢河岸(あずさわがし)のあった場所が公園そして水上バスの乗り場になっている。
小豆沢河岸跡の公園から

f:id:miwa3k:20171227142439j:plain

この付近の新河岸川は近年の開削のはずだが、なぜここに河岸が残る?→調べてみたら
この一帯はかつての荒川の流路だった。北側を流れる荒川はこの付近で南に蛇行して現在の新河岸川流路(まさに小豆沢河岸周辺)を流れていた。荒川改修時に流路は直線化され、その跡を新河岸川の流路に付け替えたので荒川の河岸が新河岸川に残ることになった。
荒川が蛇行していたころの痕跡は現在も浮間公園として残っており、北区と板橋区の境界ともなっている。(現在の北区部分、浮間付近は荒川改修前には埼玉県(北足立郡横曽根村の一部)だった)

公園の上流側に新河岸大橋(しんがしおおはし) 2枚

f:id:miwa3k:20171227142440j:plain

f:id:miwa3k:20171227142441j:plain

そこからしばらく行くと
新河岸橋(しんがしばし)

f:id:miwa3k:20171227142442j:plain

こちらは「大」がつかないが、新河岸大橋と大きさ的に差はない。形も色も似ている。

新河岸橋から下流側を振り返って

f:id:miwa3k:20171227142443j:plain

堤防は隅田川にもあった「カミソリ堤防」というやつ。長い塀のようで、高いところへ上がらないと川の様子がわからない。

次は「長後さくら橋(ちょうごさくらばし)」

f:id:miwa3k:20171227142444j:plain

ちょっと特殊用途な橋。歩行者の通行は自由、車道は1車線分あるが一般車両は通らない。右岸側にある水道施設への物資運搬用か?

その次はまた人道橋の「平成橋(へいせいばし)」

f:id:miwa3k:20171227142445j:plain

平成元年の完成ということで。

 

志村橋(しむらばし)

f:id:miwa3k:20171227142446j:plain

国道17号(中山道)が通り、交通量がとても多いはずだが一台も車が通りかかっていない。
機能一辺倒の地味な橋にみえる。1971年の竣工。

蓮根橋(はすねばし)

f:id:miwa3k:20171227142447j:plain

こちらは1996年に開通。

蓮根橋の上流へ行くと、川が分岐したようになっているところがある。
蓮根橋上流から新河岸川下流方向を見る

f:id:miwa3k:20171227142448j:plain

本流は手前から右奥へ。そこから分岐しているところは、左側にある新日鐵住金の工場へ資材を下す、「河岸」になっているようだ。
現在分岐部分は奥へ行くと行き止まりになっているが、この部分は昔の荒川の蛇行した流路の名残りである。小豆沢河岸のあったところと同じ。荒川は左奥へそのまま流れて出ていた。のちに新河岸川に付け替えられたが、ここは少し余らせて左側に昔の流路を残した。

ということで、上流側を見るとかつて荒川がここへ流れてきた流路跡も残っている。
上流側、右奥は荒川の蛇行していた旧流路跡

f:id:miwa3k:20171227142449j:plain

かつて荒川が流れてきていた上流側も今は仕切られて水は入って来ないが、流路跡は舟渡水辺公園となっている。

そのすぐ新河岸川上流側に「舟渡大橋(ふなどおおはし)」

f:id:miwa3k:20171227142450j:plain

2階建てで、下は歩道、上は車道になっている。歩道は北側の舟渡水辺公園とつながっているからか、橋の上も公園内のようになっていてにぎやか。

舟渡水辺公園の一部

f:id:miwa3k:20171227142451j:plain

荒川の旧流路を埋めたところ。向こうの建物は新日鐵住金の工場。ちょっと殺風景だが、左奥のほうにも公園が広がっていてそちらはOK。

舟渡大橋から200m程度で実用本位の「西台橋(にしだいばし)」

f:id:miwa3k:20171227142452j:plain

もうこのあたりは高島平地区。

その次は人が通れない、東京都水道局の水管橋

f:id:miwa3k:20171227142453j:plain

名称があるのかどうかわからない。

ガスタンクの前を横切る「徳丸橋(とくまるばし)」

f:id:miwa3k:20171227142454j:plain

ガスタンクの向こうにガス管橋がある

f:id:miwa3k:20171227142455j:plain

こいつも名称有無不明。

次は芝原橋(しばらばし)

f:id:miwa3k:20171227142456j:plain

これも人道橋。構造形式はバスケットハンドル型ニールセンローゼ橋。アーチ部分がバスケットの持ち手(ハンドル)みたいだから

この先、川の左岸側は巨大な下水処理場(東京都は「水再生センター」という)。
対岸はずっと水再生センター

f:id:miwa3k:20171227142457j:plain

そこを通り過ぎると
早瀬橋(はやせばし)

f:id:miwa3k:20171227142458j:plain

早瀬橋、上流から振り返って

f:id:miwa3k:20171227142459j:plain

右側は板橋市場(正確には東京都中央卸売市場板橋市場)。ここは青果、花きを扱っている。

早瀬人道橋(はやせじんどうきょう)

f:id:miwa3k:20171227142500j:plain

早瀬人道橋から見た笹目橋(ささめばし)

f:id:miwa3k:20171227142501j:plain

笹目橋は首都高速5号池袋線国道17号新大宮バイパスが通り、北側を流れる荒川も越える大きな橋で、全長は621mある。

早瀬人道橋から新河岸川下流

f:id:miwa3k:20171227142502j:plain

東京都内の新河岸川に架かる橋は笹目橋までである。

荒川のときもここまで歩いた。

この先は荒川経由で黒目川へ足を伸ばしたことがあった。

miwa3k.hatenablog.jp