東京の下町に今も残る、江戸時代に開削された人工河川(運河)とその跡をそぞろ歩き、橋の写真をむやみたくさん撮ってきた。
これが普通に散歩というものなのかもしれないけれど、だいたいこのあたりを歩くと大雑把な道筋だけを決めてあとは気分次第にまわってみたら、続けてまた歩きたいという気持ちがおきて、都合2回の下町散歩となった。
例によって川沿いばかりを歩いていてあまり立ち寄った場所もなかったのだけれど、場所柄、江戸東京の歴史があちこちに刻まれたところ。もう少し界隈の史跡、名所などに触れながら歩く散歩というものを取り入れるといいのかなと、まあそれはゆくゆく考えていくことにして。
東京下町運河散歩/行程1(青色のコース)
今回の散歩は江戸時代、隅田川左岸でいちばん下流に開削された大島川(現在の呼称は大横川)をスタート、ゴール地点は特に決めなかったのだが、小名木川沿いのどこかで終わりにしようと漠然と考えていた。大島川と隅田川の合流点にいちばん近いのはJR京葉線越中島駅だろうか。でもなんとなく東京メトロで月島駅へ。
月島駅入口
有名な「もんじゃストリート」などとは反対方向、佃側へ出る。清澄通りを歩き、相生橋を渡ると越中島。
道路の反対側に東京海洋大学のキャンパスや保存されている明治丸の姿をちら見して、越中島公園にはいる。
現代東京の水辺として象徴的な風景のひとつがここでしょう。
角度を変えると
隅田川の向こうに永代橋
本日いちばん広い風景。
そしてこの風景の近くに大島川と隅田川の合流点があり、大島川水門がある。
◆大横川(大島川)
大島川水門
大島川練兵衛橋脇の歩道橋から撮影。
現在ここの川の名前は大横川となっているが、かつてこの付近では大島川と呼ばれていた。1965(昭和40)年の河川法改正で呼称は上流側の大横川に統一されてしまったとのこと。
大島川を少し遡る、とはいっても高低差のないこの地域に碁盤の目のように削られてできた水路が通っているのでどちらが上流、下流かよくわからない。そしてこれから歩いて行く先、川にはたくさんの橋が架かっているのだが、全部の橋を紹介しているときりがないのでかいつまんで。
石島橋に達する
橋の向こう側は門前仲町、たくさんの飲食店が密集する横丁に通じる。
東富橋
橋のたもとに「松平定信 浜荘(はまやしき)跡」の解説板あり。2つの池と築山を持つ庭園つきの屋敷があったそうだ。松平定信の屋敷になったのは1816(文化13)年ということなので、そのときにここの大横川はすでに存在していたはず。
東富橋の東側には川の十字路がある。大横川に交差する水路は平久川でそちらも江戸以来の人工河川。
東富橋を渡り、平久川を潮見橋で越えて、さらに大横川の平野橋を渡ってから東富橋方向を振り返る。最初にいた場所からコの字型に3つの橋を渡ったところになる。
大横川と平久川の交差
向こう左側に東富橋のトラスが少しみえている。
さらに平久川を平久橋で渡って、元いた「島」に戻る。平久川を50mくらい下ると古石場川との合流点となる。
平久橋
◆古石場川
古石場川は大横川から平久川へのバイパスのような形で掘られた運河、現在はすべての区間で水は流れておらず、親水公園としてその跡が残されている。
古石場川親水公園の入口
平久川合流点近く。ここから先、大横川との合流(分流)点まで流れの跡が公園となっている。
親水公園と関口橋
公園内にはかつての流れが再現されたせせらぎがある。もっとも、運河としてここは木場との間で木材を流通するために使用されていたとのことで、川を流れていた水の量は昔の方が圧倒的に多かったはずではある。
古石場橋と牡丹園
この付近は地名も江東区牡丹、その南側が古石場といい、江戸時代には幕府の石置き場だったそうだ。江戸城の石垣にでもしたのだろうか?
牡丹園の先で川は大横川の分流点となり、先ほど歩いてきた場所、石島橋のたもとへ戻る形になる。古石場川はこれでおしまい。
◆大島川西支川
いったん石島橋を渡って門前仲町駅前に出るが、また来た道を戻って大島川水門近くに出る。水門の脇で合流している川があり、これが大島川西支川(おおしまがわにししせん)。
永代通り福島橋のうえから大島川西支川
この川は仙台堀川から分岐して大島川(大横川)まで820mの長さの運河。長さは短いが江戸時代から明治大正にかけては倉庫などが立ち並び、当時の舟運による物流拠点であったらしい。明治大正時代の実業家渋沢栄一氏宅もかつてこの川沿いにあったとのことで、説明板があった。
その先松永橋近くにあった川の解説
そのすぐ先に仙台堀川との分流点
向こうを左右に流れるのが仙台堀川。
◆仙台堀川
仙台堀川も隅田川左岸に合流する、江東区を東西に流れる江戸時代に開削された運河のひとつである。最初に開削されたのは17世紀前半だが、横十間川より東側は明治以後になってから新たに延長された。現在は大横川との交差地点より東側、小名木川との分流点までは埋め立てられ、親水公園として利用されている。
仙台堀川にぶつかったのは西の端、隅田川との合流点、清州橋にも近い場所で北側は清澄公園。そこから東へ向かって歩く。この川にもたくさんの橋が架かっているけれど、適当に。
木更木橋
それほど特徴のある橋ではないけれど、名前が少しユニークだったので。近くに人気(いまでも?)の青瓶珈琲あり。
亀久橋
この橋の東側で平久川が分岐している。
平久川の分岐点
ここは十字の交差点ではなく、T字の分流点。左奥に亀久橋。
大島川東支川分岐点
ここでは大島川東支川は埋め立てられてたぶん暗渠になっていて、その上が歩道となっている。向こう側葛西橋通りは流れはないけれど、要橋という橋になっている。
木場公園の東端まで来て、うしろを振り返ると
崎川橋と向こうに巨大な木場公園橋
公園内歩行者専用の木場公園橋がこの川にかかる橋でもっとも巨大。
崎川橋の東側で大横川との交差地点があり、仙台堀川はその東側で埋め立てられて仙台堀川親水公園となる。
石住橋から仙台堀川親水公園入口
橋の上だが、下の川は埋め立てられているので普通の道路。反対側へ渡ると
仙台堀川親水公園入口から
ちょっと泡立っているけど結構大量の水が注ぎこまれている。運河の水を入れているらしいのだが、このあたりだと海水が混じるので泡立つようになるのかもしれない。親水公園内も元の川幅の半分くらいの幅で水が流れていた。
横十間川との交差地点
横十間川も埋め立てられて親水公園になっているので、2つの川の交差地点は十字方向どちらも公園の一部になっている。そしてここは次回横十間川を歩くときにも通ることになる。本日は仙台堀川をさらに東へ。
尾高橋
その先で仙台堀川は東向きから北向きに方向を変える。北側から流れていたのはかつて砂町運河という名称だったらしい。さらに東側にもかつては運河が伸びていた。
砂町運河跡解説板
ここも昭和の河川法改正で川の名前が仙台堀川に統一されてしまったということだ。親水公園の続く砂町運河跡にはいる。
砂町運河跡の親水公園
こちら側は東西に伸びていた親水公園側に比べて地味なかんじ、率直に言えば整備にあまりお金をかけられていない。普通の遊歩道がずっと続いて行く。
その先へ黙々と歩き、小名木川の分岐点、歩行者専用の塩の道橋に到着する。
◆小名木川
塩の道橋から東方向へすすむ。
小名木川両岸には歩道が整備
小名木川東端、旧中川との合流点に達する。
旧中川合流点
向こう側からこちらに旧中川、左が小名木川。
小名木川は旧中川から隅田川までを一直線に結ぶ、江戸時代初期に開削された運河。千葉県行徳付近の塩田の塩を江戸に運ぶ目的で計画され、のちに様々な物資や人も運ぶための大動脈となった。当時は舟による運搬がメインだから、現在の高速道路のような役割である。中川との分岐近くには船番所が設けられ、川や船の管理も行われていた。
旧中川にかかる平成橋を渡って対岸の大島小松川公園に入る。
大島小松川公園から見る荒川
公園は旧中川と荒川の間にある。
公園内にある旧小松川閘門
現在は半分以上土に埋没しているとのことだが、ここは旧中川と荒川の間で異なる水位を調整して船舶などが行き来できるようにしたゲート(閘門)である。完成したのは1930(昭和5)年、閘門は両側の川をはさんだ2つのゲートで1セットとなり、間のプールに水を入れたり出したりして両側の川の水位に合わせ、船が行き来できるようにしている。ここに残っているのは2つのゲートの片方だけということになる。
閘門ができる前はどうなっていたかというと、このあたり荒川がなかった。なのでゲートも不要、小名木川は旧中川(かつては中川本流)と現在と同じように合流し、中川はそのまま現在の荒川の川筋を海(東京湾)へ流れ下っていた。
ちなみに荒川がいまの赤羽付近から葛西のほうへ放水路が開かれたのは昭和5年、閘門が必要になった年と一致する。さらにちなみに現在、荒川と旧中川の水位差の解消は荒川ロックゲートという施設が近くにあるので、それを利用している。
大島小松川公園から北側へぬけ、中川大橋で旧中川を再び渡り、小名木川へ戻る。
中川大橋の近くに中川船番所資料館があった。
小名木川を今度は西にひたすら歩く。先ほども通った両岸に整備された遊歩道をすすむ。
進開橋
橋を通るのは明治通り。
JR総武線の貨物線の橋梁
小名木川と横十間川の交差地点、十字に交わる川の上を×字形に架け渡した橋になっている。歩行者専用橋。橋のうえからはスカイツリーなども望めて開放的。
小松橋
きれいに整備された歩道はとりあえずここまで。この橋の西側に扇橋閘門があり、左奥に「後扉」として写っているのがそのゲート。
さらに先へまわり、扇橋閘門前扉
扇橋閘門は昭和52年完成、川の東西で水位差が大きいため、水位を上下させて船舶が通行できるようにここにも閘門が設けられている。江戸時代にはゲートはなかったのだが、昭和に入って東側の江東区一帯の工業化に伴って大規模な地盤沈下が起こり、川の東西で段差が生じてしまったことでここに閘門が設けられた。施設の見学もできるらしいのだが現在は工事中で中止している。
大横川と小名木川の交差地点
ここも川の十字路。
新高橋
扇橋閘門の西側にも、東側ほどきれいではないけれど古くに整備された歩道が川沿いにある。
さらに大富橋、東深川橋、西深川橋を通り過ぎ、高橋(たかばし)へさしかかる。いい加減疲れてきたので隅田川を目前にしてここで離脱。
高橋のうえから西深川橋方向を望む
橋を渡ると清澄白河駅が間近。
清澄白河駅入口
なんだかんだで結局18kmくらいは歩いて疲れてはいたけれど、もう1回この近辺を歩くことを決める。また出直してくる。