散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

隅田川を歩く その4 隅田公園から

前回は浅草の対岸、東武線の鉄橋をくぐった先で、墨田区側の隅田公園(浅草側の台東区にも隅田公園がある)まで来ていた。

前回分

続きをさかのぼる。

言問橋(ことといばし)、隅田公園の横から

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近くに寄って

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ゲルバー橋と呼ばれるタイプで地味にうつるのだが、よく見ると欄干、橋灯などのデザインがバランスよく橋に映えている。(架橋当時の写真では欄干も橋灯も異なるデザインで、もっと地味。)
この橋も関東大震災復興計画に基づき、新たに架橋された。竣工は1928(昭和3)年、橋長は238.7m、形式は3径間ゲルバー鈑桁橋。

1945(昭和20)年東京大空襲により起きた大惨事が象徴的な橋で、隅田公園内には慰霊碑があるほか、親柱には現在も黒く焼け跡が残っているのがわかる。(写真はなし)

橋の下から

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色違いのパイプはたぶん水道管。

上流側から振り返って

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上を通るのは国道6号、個人的には「言問通り」のほうが馴染む。

 

もう少しだけ隅田川左岸側をさかのぼる。

次は桜橋(さくらばし)

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歩行者専用橋で、川の両岸にある隅田公園間を結んでいる。遠くからだと普通の桁橋にみえるが、実際はⅩ字形になっている。

近くに寄る

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公園に解説板があった

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桜橋
桜橋は隅田川両岸に沿って広がる「隅田公園」の台東区側と墨田区側を結ぶ歩行者専用橋です。姉妹都市である台東区墨田区の象徴として、1980年(昭和55年)から建設がはじまり、1985年(昭和60年)に完成しました。
優美な曲線を持つX字型の美しい橋のデザインは、周辺の景観に配慮したもので、橋の色彩などにも工夫を凝らして建設しています。

桜橋 諸元
構造形式 3径間連続X形曲線箱桁橋
橋長 169.45m
幅員 取付部/6m、中央部/12m、合流部/19.6m
着工 1980年(昭和55年)11月
竣工 1985年(昭和60年)3月
施工主体 台東区墨田区

スカイツリーを入れて

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ここから隅田川右岸、台東区側を歩く。

上流に向かって(@台東区今戸2丁目)

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下流方向(@台東区橋場2丁目)

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桜橋から少し間があいて次は白鬚橋(しらひげばし)。髭ではなく鬚。

白鬚橋、全景

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残念なことに今回2橋目、ネットに覆われてミイラ状態。おまけに歩道もこの先橋に向かって工事で塞がれていた。

白鬚橋、工事中

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この付近は古くには、「橋場の渡し」という当時隅田川でもっとも賑わったという渡し舟があったところで、両岸には「隅田宿」があったという。鎌倉街道下道もここを通過していたようだ。
ここにはじめて橋が架かったのは1914(大正3)年。その後ここも震災復興事業の一環として現在の橋に架け替えられ、1931(昭和6)年に竣工している。

現在橋の様子がわからないけれど、橋長168.8m、形式は下路式ブレースドリブタイドアーチ橋、小名木川にかかる萬年橋と同じ(白鬚橋は3径間、萬年橋は1径間)だ。

白鬚橋たもとから上流側

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この先右岸側は荒川区南千住。この先はスーパー堤防上に遊歩道が続く。

川の手通りに架かる、左は瑞光橋(ずいこうばし)、右隅田川

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隅田川本流ではないが、橋がひとつ架かっている。

ここにはかつて人工的につくられた運河があって、その運河は西側にある旧国鉄の隅田川貨物駅に伸びていた。隅田川駅構内には水路が導かれ、貨車で運ばれてきた石炭や砂利などを船に積み替える場所となっていたそうである。
その運河(水路)の隅田川との連絡部分が残され、周囲は瑞光橋公園、水路の名残りに瑞光橋が架かっている。

 

瑞光橋を渡ると向こう側のスーパー堤防上は汐入公園など。

神大橋(すいじんおおはし)

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竣工は1989(平成元)年、橋長157.0mの3径間連続ニールセンローゼ桁橋。
この付近で隅田川東西をつなぐ橋がなかったことから、ひとつ上流側の千住汐入橋とともに近年建設された。
昔は「水神の渡し」があったが、いつまであったのかは未調査。ここでの「水神」とは、近くにある隅田川神社に因むものである。

近くには昔の堤防、いわゆる「カミソリ堤防」とよばれた、が残されていた。
隅田川旧防潮堤

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この付近はどえりゃあ立派なスーパー堤防に変わったが、まだ上流のほうにはこのタイプのカミソリ堤防が多く残っている。なぜに名古屋弁

対岸、旧綾瀬川合流

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首都高の下にアーチ橋が架かって、その下。その左側、クレーンのあるあたりは造船工場とか。
現在の荒川がこの向こうに流れる以前は綾瀬川の合流点。荒川が流れるようになってからは、荒川と隅田川の間の水路として残されている。アーチ橋の名前は綾瀬橋。

 

隅田川はこの付近で流れの方向を大きく変える。その先に千住汐入大橋(せんじゅしおいりおおはし)。
東側から

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西側から

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2006(平成18)年開通の新しい橋。橋長158.6m、形式は2径間連続鋼床鈑箱桁橋。ごく普通のガーダー橋。

千住汐入大橋先の堤防上

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もう少し先へ行くとスーパー堤防が終わる。

これより先(上流側)はスーパー堤防の未整備区間が所々残る

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未整備区間は先ほど少し記した「カミソリ堤防」になる。壁がそびえるような感覚で、川の方向に何があるのかが把握しにくい。
次に通過する橋は、上の写真の前方に少し写っている3本の鉄道橋だが、堤防が視界を遮って間近からほとんど窺うことができなかった。

カミソリ堤防際を歩く

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鉄道橋については、いったん通り過ぎて次に架かる道路橋の千住大橋上から撮った。
JR常磐線(手前)、つくばエクスプレス(真ん中)、東京メトロ日比谷線(奥)隅田川橋梁

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と言っても、3つも橋があることが認識しづらい。

同じ位置から、JR貨物コンテナ通過中

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JRとつくばエクスプレスの橋梁は同じ形式、同じ色かな。向こう側の東京メトロの橋梁は背が低い。いずれにしてもはっきり撮影できず。

そして今いる場所が千住大橋(せんじゅおおはし)。

千住大橋、新橋南詰から旧橋も望む

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この橋は現在、新橋と旧橋の2本架かっている。向こう側のアーチ橋が旧橋で竣工は1927(昭和2)年、こちら側新橋の竣工は1973(昭和48)年。通っているのは国道4号で、下りが旧橋、上りが新橋を通る。
橋長と形式は旧橋が91.6m、ブレースドリブタイドアーチ橋、新橋が502.5m、3径間連続鋼箱桁橋。新橋が長いのは先の交差点を立体交差で通過する陸橋部分が含まれているため。旧橋は付近の隅田川に架かる橋より短いようだが、理由はわからなかった。

新橋途中から旧橋と隅田川上流側

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旧橋の向こうに写っているのは東京電力隅田川送電橋 。

旧橋南詰から

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千住大橋は1593(文禄2)年にはじめて架橋され、隅田川に架けられた最初の橋。当時は単に「大橋」と呼ばれたが、ほかの橋ができるにつれ、千住大橋と呼ばれるようになっていった。ここに橋ができたことにより、それまで橋場の渡し経由だった多くの街道の道筋が大橋経由に改められている。(道すじってこんな風に変化していくのね、まあ現代でもバイパスできればそちらへ、というやつではあるが)
現在の橋梁(旧橋)は関東大震災復興事業の一環として架橋(昭和2年)されたもの。
旧橋の下流側には新橋、上流側には別途水道橋がすぐ寄り添っていて、旧橋をきれいに撮影できるポイントが現在ない。

千住大橋のすぐ上流側を通る、東京都水道局の千住水管橋はちゃんと写せてなかった。

その次の東京電力送電橋も堤防が視界を遮り
こんなかんじ

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堤防整備が終わった地点から振り返って

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東電送電橋の向こうに千住水管橋、そのまた向こうに千住大橋が見えるには見える。

再び堤防整備が終わって土手の上を歩ける区間が少しだけあり、
そこから見た隅田川上流側

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荒川区南千住6丁目から荒川8丁目に変わるあたり。向こうには京成本線の隅田川橋梁が見えているが、土手はそこまで続いていない。
この付近からは対岸、足立区側に渡ったほうが川の様子が観察しやすそうだ。

荒川区側から見た京成本線隅田川橋梁の一部

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眺望がきかないのでとりあえずここでこの日は撤退することにした。

町屋へ出たら都電が走っていた

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物置をひっくり返していたら、スカイツリーから撮った写真が出てきたのでおまけで。

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写っている川が隅田川。上流(写真右側)から、厩橋、蔵前橋、蔵前専用橋、総武線橋梁、両国橋、いったん川が途切れて左上へ行き、清洲橋中央大橋永代橋が確認できた。