散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

多摩川右岸を歩く その1 河口、そして川崎区殿町から二子橋

またまた多摩川を歩いた。前回は左岸ばかりを歩いたので、今度は右岸、下流域では川崎市となる側だ。左も右も風景は同じだろうというご意見はごもっとも。だが聞き流す。
最初に断っておくと、今回、多摩川右岸その1コースは時期的にミスチョイスだった。こんなにも堤防の土木工事があちらこちらで行われているとは想像できなかった。冬の、川の水量が少なくなり、大雨の心配も少ない時期というのは、堤防や河川敷の工事期間として最適なのだろう。そしてすべての工事区間の工事完了期日が、そろいもそろって3月末。これには苦笑するしかなかった。まあ、「その1」で歩いたのが川崎市という単一の自治体の中だけだから、という理由もあるのかもしれない。
というわけで、最初から出鼻をくじかれる。京急線小島新田駅から多摩川堤防へ出て、河口に向かおうとしたら、そこが堤防工事中。多摩川右岸側の河口まで行くためには、最後の約1キロは堤防のうえを行くしかないのだが、そこが塞がれていた。※後日、撮影してきた写真を見たら、堤防に出るためのう回路は設定されていたようだった。あとのまつり。

河口から殿町までは、以前に散歩してきたときの写真を使ってさりげなくすすめてまいります。

 

◆河口から川崎市川崎区殿町まで

多摩川右岸河口

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手前、少し波が見える部分が京浜運河の水、その向こう左から右に向かって多摩川の水が流れ込み、そのまた向こうは羽田空港国際線ターミナル付近となる。
河口から歩き出して、振り返ったところ

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正面の柱が立っているところが取っつきで、最初の写真を撮影した場所。ここが河口だよとか、特に意思表示するつもりはないようだ。そこからもうちょっとさかのぼったところに、だれが立てたか多摩川河口と書かれた柱が

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河口から1キロさかのぼると、「多摩川右岸海から1K」のポスト

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1キロポストからもう少しさかのぼったところ

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向こう岸にはまだ羽田空港が見えている。
このあたり、堤防の外側が殿町第2公園。ここらあたりから新しく撮った写真と新しい散歩ノートへ引き継ぐことにする。

 

◆川崎区殿町から上流へ

多摩川右岸その1 行程

改めてスタート。京急大師線小島新田駅

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多摩川の堤防を目指して住宅地のなかを歩いていく。堤防に近づくとなんだか嫌な予感。
殿町第2公園と工事している堤防の間

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通行を拒否するフェンス

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この場所から下流側で工事が行われていたかどうかは、行っていないのでわからないが、上流側は、この日歩いた区間では、ごく小さなものを除いて、全部で10か所の工事区間があった。そのうち8か所は六郷橋よりも下流側。
これだけ工事個所が連続するとこちらもあまり愉快ではない。工事区間に入るところで全部写真を撮ったが、1枚ずつアップするのもバカバカしいのでまとめてしまった。
本日の工事状況

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結局なんだかんだ言っても、河口近くを除けば、この日の予定通り目的地の二子橋まで歩けたのだから良しとする。で、いつまでもこだわらずに散歩再開。
堤防に上がれたいちばん下流側

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向こう岸には、羽田空港にとまっている飛行機もまだ見える地点。
大師橋と首都高の橋

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1本の橋のようにも見えるが、塔のある斜張橋大師橋の手前に首都高の橋(こちらはごく普通の橋)が通っている。よくみると大師橋は左のほうで下がってきて、向こう側に桁が見えている。実は大師橋産業道路の上り線、下り線独立した2本の橋。
反対側から

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手前で少し桁が下がっている。
(多摩川に架かる橋の説明は、左岸側を歩いたときにそこそこ書いたので今回は原則省略。)
大師の渡し跡碑

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多摩川六郷より下流で、古くからあったのは羽田の渡しで、江戸時代からあった。大師の渡しは川崎市のHPによれば1877(明治10)年に新設された。羽田、大師の渡しとも川崎大師と対岸の穴守稲荷への参詣客を多く運んだとのこと。大師橋が開通したためにどちらも1939(昭和14)年廃止。
川崎河港水門(川崎市川崎区港町)

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水門の柱に取り付けられたプレート

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登録有形文化財で近代化産業遺産。解説は例によって近くにあった看板で

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河港水門のすぐ近くに「海から5K」のポスト

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向こうには六郷橋が見える。
その六郷橋に近づいて

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このあたり多摩川の流れは右岸側に寄っていて、こちら側には河原がない。向こう岸の大田区側は広い河川敷でゴルフの練習場や野球場などたくさん。
橋のたもと、六郷の渡しのモニュメントの前には中年のグループがたむろしている。おそらく、あちらは東海道を歩いているのだろう。モニュメントの横に、橋の下を横切る歩道に通じる階段があるのだが、そのグループが階段を塞いでしまっていて通れず難儀。
六郷橋の下をくぐるとすぐに京急線六郷橋梁で、そのすぐ下流側に「海から6K」ポストがある。

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京急線の橋の下もくぐるとその上流側はすぐにJR東海道線京浜東北線の橋梁
京急とJRの橋の間から

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いろいろあってJRの橋の下は通りにくいので、いったん堤防の外側の道路に出る。国道409号の歩道でJRを渡り、堀川町交差点を過ぎたところでまた河原に戻る。
下流側にJR京浜東北線の橋梁

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六郷橋からJRを渡るところまでが、右岸側ではカオスなところ。左岸側は広々した河川敷なので、このあたりでどちらか一方を通るなら左岸(大田区)側をおすすめする。
JRの橋梁付近で川崎市幸区に入り、高層マンションが立ち並ぶ堤防をすすむ。
このへんは多摩川の流れが大きく逆S字(Sを裏返しにした形)に蛇行している。

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川が大きく蛇行している場所にできた広い河原の中に、川崎競馬の練習馬場がある。堤防の土手の外側に厩舎があって、時々練習場に馬が引かれてくるので、こんな標識が土手の上にある。

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馬場はこんなかんじ。小向練習馬場

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広いので全体を1枚に収めることはできなかった。馬も人もおらず、練習風景も見られなかった。厩舎の近くでは動物のにおいがしていたが。馬場の隣にはラジオ日本の大きな電波塔も立っている。
練習馬場の手前から、堤防の土手の上は整備された歩道が復活するのでそこを歩く。
多摩川大橋手前にある、東京電力の送電線専用橋

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遠くから見ると国道1号(第2京浜)の多摩川大橋と一体になって見えるが、この位置だと多摩川大橋が見えない。
反対の上流側へまわると多摩川大橋も見える。

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多摩川大橋よりも上流側はサイクリングコースとしても整備された道となる。土手の上がサイクリングコース、下の河原がマラソンコースと区分けしているようである。
「海から9K」ポスト付近

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河原の向こうはゴルフコースで、ボールに当たらないように歩道にネットが張られている。川崎市側の河川敷は、東京都側に比べるとゴルフコースやゴルフの練習場が多い印象。
海から10Kポストを越え、川崎市中原区へ。
ガス橋にさしかかる

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橋げたの上に顔を出しているのはキヤノン本社ビル。
このあたり向こうの左岸側は大きなビルやマンションがたくさん。

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こちら右岸側は、逆光なので…。
「海から12K」ポスト付近

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JR横須賀線湘南新宿ライン多摩川橋梁

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すぐ隣は東海道新幹線多摩川橋梁。
新幹線などの橋の下をくぐるとその上流はすぐに
丸子橋

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このあたりの川の流れは左岸側に寄っているので、右岸のこちら側には広い河川敷ができている。左岸側丸子橋から東急線橋梁の先までは川岸のすぐ脇が車道と崖で、歩道がせまいところを縫うように通っている。
丸子橋の先が東急東横・目黒線の多摩川橋梁

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東急線の橋をくぐると、その先の土手に観客席が現れる。

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これはかつて1936(昭和11)年からここにあった、日本最初のサーキット場、多摩川スピードウェイのメインスタンド跡。本当の観客席だったものだ。サーキットは、一周1,200m、幅20mのオーバルダートトラックのコースがあったとのこと。正式に廃止された期日ははっきりしないが、跡地はその後、プロ野球日本ハムの多摩川グラウンドとして使用されていた。
現在はこんなかんじ

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ここから少し遡ると、等々力緑地に達する。
等々力緑地を後ろに控えたところから多摩川の様子

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対岸、住宅がたくさん見えるところは田園調布とかいう場所。こちら側の後ろ(写ってないが)、陸上競技場(等々力スタジアム)や野球場などもある一帯は、昔の多摩川が蛇行して流れていた流路の跡。地図では1960年代くらいまで手付かずの湿地のようになっていたが、その後ここにいろいろ施設、公園などを作り、現在のようになった。また、明治時代の古地図を見ると、東京と神奈川の都県境が、現在の等々力緑地側に大きく食い込んでいる。それほど古くない時期まで実際に多摩川が流れていた証拠でもある。
川崎市中原区宮内1丁目付近から

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手前の水門は、おもに川崎市内で使用されている用水、二ヶ領用水(にかりょうようすい)の余水を多摩川に戻すためのもの。対岸に小さく見える水色の水門は、矢沢川の合流点。矢沢川は世田谷の等々力渓谷を流れている川。
このあたりから川崎市高津区に入る。
第三京浜を越えて

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河川敷のなかに一定間隔で植えられている木があるが、多摩川大橋あたりからずっと続いている。これも河川整備の一環で植えたものなのだろう、けれど考えてみたらすごい本数だ。
「海から17K」ポスト

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対岸には二子玉川の高層ビルが間近。
東急田園都市線多摩川橋梁

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田園都市線の線路のすぐ向こうは、本日の目標地点である二子橋。
二子橋の歩道上から

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川崎市側の二子橋のたもとには東急の二子新地駅があるが、ちと所用を思い出し、橋を渡って二子玉川へ。
本日の散歩のノートとしてはここでおしまい。殿町公園から二子玉川駅前まで、歩いた距離は18.3kmであった。
次回、続きは二子新地駅からスタートする。

余計なお世話ながら、対応する多摩川左岸のノートはこちら。

miwa3k.hatenablog.jp

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