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散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらいろいろ観察したノート

玉川上水を歩く その2 三鷹駅から拝島平和橋へ

玉川上水を四谷大木戸からさかのぼり、三鷹の駅前まで来ていた。今回はその続き、三鷹駅から、一応最初の目的地は玉川上水駅までだったが、調子にのって拝島まで。
本日の行程

スタートはJR三鷹駅

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前回、南口で駅へ上がってきたが、今回は北口へ出る。駅前へ出たらすぐ左方向へ行くと玉川上水の流れが駅の下へ入っていくところへ出る。
桜通り、三鷹駅北口すぐ西側

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この通りをまっすぐ前へ進むとすぐにけやき橋

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横断歩道の向こう、木立ちの間に玉川上水の流れがある。
この先はずっと木立ちと水路に沿って遊歩道が続いている。これを行けばよいので道を間違える心配はない。
いちょう橋交差点から

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車道を載せているのがいちょう橋でその手前にある歩行者専用の橋がぎんなん橋。(ぎんなん橋はここには写っていない。)ここから玉川上水左岸側に境浄水場が現れる。写真右手の柵のなかが浄水場の敷地になる。
この先に大橋という小さな橋があるが、そこは工事中だった。
大橋については

武蔵野市の説明板から)
この橋は、玉川上水ができた承応三年(1654)以降に現在の武蔵野市域内で最初に架けられた「新橋」「保谷橋」「大橋」の内の一つとされる。その後、明治三八年(1905)と大正九年(1920)に修繕されたのち、昭和七年(1932)現在のコンクリート橋に掛け替えられた。
大橋を通る大師道は、保谷市田無市の境界を通る道と東伏見神社の横から千川上水を越えて武蔵野市に入る道が御門訴の碑付近で一つになり五日市街道を渡る道で、大正七年(1918)に境浄水場が出来るまで、西北は、田無を経て所沢・青梅に通じ、南は甲州街道の調布五宿に達し、開港後は横浜街道と称し、近郷近村の最大の便道であったとされる。また、深大寺調布市)の元三大師堂へ行く道なので大師道とも呼ばれた。
三鷹との境にあるので「境大橋」とも呼ばれ、「大橋」の名の由来は、深大寺の「大」の字をとったとも、旧下連雀村の小字名「大橋」という地名からきたともいわれている。

浄水場付近から井の頭公園までの玉川上水は別の機会にも歩いたところだ。 miwa3k.hatenablog.jp

三鷹駅北口からこのあたりまで上水の左岸側は武蔵野市、右岸側は三鷹市。ここより上流は両岸とも武蔵野市
品川用水の取入口跡

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品川用水の説明板

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その先武蔵境通りが桜橋で上水を横切る。その先にあるのが国木田独歩にちなんだ独歩橋だが、独歩の文学碑は桜橋の左岸にたっている。
右側から五日市街道が寄ってくるところに境橋。ここで千川上水が分水する。
千川上水の分水口

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左側へ流れていくのが千川上水、正面奥へは玉川上水
境橋上流側

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ここから左岸側は西東京市、ずっと五日市街道で車の交通量が多いので、右岸武蔵野市側を歩く。
右岸側はこんなかんじ

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武蔵野市桜堤2丁目付近の玉川上水

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この先、武蔵野市から小金井市に入る。
関野橋と新小金井橋の間に最近架けられた人道橋、橋の名前がわからない。

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この橋を渡ると小金井公園の正面入口に近い。
その新しい橋のうえから

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このあたり上水に沿って「小金井桜」で有名な場所だが季節的に桜には花どころか葉もない。小金井桜については

小金井橋を中心とする玉川上水沿いのヤマザクラの並木は「小金井桜」と呼ばれ、江戸時代から桜の名所として知らてきた。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代の1737(元文2)年に、武蔵野新田世話役の川崎平右衛門定孝が幕命により、奈良県吉野山茨城県桜川から取り寄せ植樹したと伝えられる。現在「小金井桜」は国の名勝にも指定されており、玉川上水とともに整備・保全が進められている。

小金井街道が通る小金井橋はこのすぐ先だが、現在はごく普通の道路橋。いちおう、橋のたもとにあった昔の橋の解説だけ

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見にくい。下には旧橋のアーチが組み込まれているが、これも見にくい。

その先、貫井橋から上水下流側

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喜平橋近くのけやきと桜並木

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桜はすでに葉も落ちて目立たない。そして小平市に入っている。
さらに行くと西武多摩湖線の線路を渡ってすぐのところにある橋がまた桜橋、こちらは小平桜橋とも。
小平桜橋から玉川上水上流側

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季節のせいで流れの上に日が当たらないこともあって、とても地味な風景になってしまう。遊歩道のほうは西武多摩湖線を越えた先でかんじが変わる。

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小川水衛所跡付近

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先の写真の橋のうえから

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久右衛門橋にて

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小平中央公園の新堀用水と西武国分寺線の線路

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小平監視所(玉川上水駅近く)から小平桜橋(西武多摩湖線線路の隣にある橋)にかけて、新堀用水の水が玉川上水と並行して流れている。新堀用水は小平監視所近くで玉川上水から分水されたもので、新田開発と用水の確保のため明治になってから造られた。現在の水路は玉川上水よりは細く、水の流れもそれほど多くはない。新堀用水と玉川上水が並行している区間では遊歩道(玉川上水緑道)が両水路の間を通っていて、左右どちらにも水の流れを見ることができる。ただし、このあたり玉川上水の水路は深く掘られていて、のぞき込まないと流れがみえないくらいである。
新小川橋の先で玉川上水の流れ

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朝鮮大学校付近に架かる寺橋のうえから

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このあたり、水路までの深さは7,8mはあるのではないか。しかもずっと素掘りのままだ。
玉川上水の水がこれだけ低いところを通っているから、この付近一帯に水を供給する新堀用水はこの近くでは取水することができなかったのだろう。現代ならばポンプを使ってくみ上げればよいのだが、そのようなもののなかった時代、ずっと上流の標高のより高いところで玉川上水から水を分け、高い水位を維持するため、水路を深くせずに流してきたということだ。しかし、この原理は玉川上水が多摩川の水を分水している場所とその後の流路の関係とまったく同じである。
さらに進んで小川橋を過ぎ、小平監視所に近づくあたり

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右側にずっとあった新堀用水の水路は地下に入ってしまい、見えなくなっている。右端の土が少し盛り上がっているあたりの地下に水路があるはず。胎内堀という、ところどころに立坑を設けてトンネル方式で掘り進んだのだそうだ。
その先は小平監視所になる。

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ここで失敗。監視所の手前(下流側)に玉川上水の水面にまで下りられる唯一の場所があるのだが、ここを見逃して通過してしまった。野火止用水跡の木立ちのほうに気を取られていたようだ。
この場所は現在の玉川上水についてのキーポイントとなる場所なので一応説明つけておくことに。

現在、多摩川の羽村堰で取水し、玉川上水を流れてくる水は小平監視所からすべて地下の送水管で東村山浄水場に送られる。1965年(昭和40年)に新宿淀橋浄水場廃止に伴うもので、小平監視所から下流の玉川上水は、それ以降水の流れはなくなってしまっていた。その後1980年代にはいり、東京都の清流復活事業の一環として、東京都下水道局多摩川上流水再生センター(昭島市)で処理された再生水を小平監視所まで送水し、野火止用水、玉川上水へ放流をはじめた。(その後、玉川上水から境橋付近で一部分水して千川上水へも放流)
小平監視所下流から玉川上水に放流される下水処理水は、開渠水路を流れ下って浅間橋(杉並区久我山付近、中央自動車道と合流する地点)に至り、そこから暗渠で中央自動車道地下から環八通りにはいって、井の頭線富士見ヶ丘駅付近で神田川に放流されている。一部千川上水に分水された水は練馬区関町一丁目付近まで開渠で、その後暗渠となって善福寺池下方の善福寺川に放流されている。

付け足すと、江戸時代すでに玉川上水から分水していた野火止用水も、現在小平監視所のある場所で分水が行われていた。玉川上水の旧水路のうち笹塚、代田橋付近で現在流れが見られるのは、付近の湧水を流しているとのこと。
野火止用水の水路跡に残る雑木林のみち、のはじまり

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右側の林が玉川上水のもの
小平監視所については、東村山浄水場の原水取入口兼沈砂地で監視所で、水路の管理、水の監視、ゴミ等の除去を行っている。
小平監視所の設備の一部

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下にみえている水が多摩川の水として見られる最後の部分。このあと枯れ葉やごみがフィルターで取り除かれ、細かい砂などを沈殿させたあと、浄水場に水が送られる。
小平監視所2

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手前から向こうへ水が流れ、ひしゃげたガードレールの向こうにみえる柵でまず大きなごみなどが除かれる。その向こうに沈砂池がある。
小平監視所の先はすぐに玉川上水駅。そして小平市から立川市にはいる。
ところで、この近辺を含む武蔵野台地には、国分寺崖線という大昔の多摩川の流れが削ってつくった長い崖があり、以前、それに沿って歩いたことがある。国分寺崖線はどこから始まっているのかをカシミール3Dで調べたとき、この玉川上水駅近くからで、ここからスタートした記憶がある。玉川上水の流れの南側からかすかに段差がはじまっていた。
つまり玉川上水も、この国分寺崖線の段差なく乗り越えるのにぎりぎりとなるここに水路が設けられたということだ。ここより下では永久に国分寺崖線のつくる段差を下から上へ乗り越えることはできない。なるほど納得したのと開削当時の測量、設計の精密さに驚く。
駅自由通路の入口と向こうは西武拝島線のホーム。上には多摩モノレールが通っている。

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南口駅前に玉川上水が流れ、清願院橋が架かる。(広場やバスターミナルになっていて橋があることが実感できないが)
清願院橋から玉川上水上流側

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小平監視所から上流の玉川上水は雰囲気が大きく変わる。まず水路の幅が広く、底までが浅くなる。水量が増える。両岸が素掘りではなくなり、玉石などで護岸整備されている。
立川市砂川町4丁目、金比羅橋付近の流れ

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そして両岸、道路との境にあるフェンスが小平監視所下流側より高く、厳重になる。羽村堰から小平監視所までは現在でも水道水として使用される原水が流れているため、下流の下水処理水とは管理が別格になるのだ。
立川市砂川町3丁目付近

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このあたりを地図でみると、西から東へ流れてきた玉川上水の流れが南東の方向へ折れ、少し南東方向へ流れた後、徐々にまた東の方向へ向きを変えている。この理由は、ここに立川断層があるためである。断層が北西から南東の方向でずれた断面をつくっており、東側の面が少し高くなっている。そこの段差をかわして越えるために一旦流れを変えているのである。ちなみに立川断層が最後に動いた時期は、いまから1万3千年~2万年前とのこと。この断層が動くとマグニチュード7.4程度の地震が発生するといわれている。
見影橋のうえから上流側、源五右衛門分水の取入口を望む

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左側にあるのが取入口。現在も使われているのかは不明。
その先には残堀川と玉川上水の十字路がある。
交差地点の残堀川の川岸、川底まではこのくらい。

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川は左上方向から右下方向へ流れる。玉川上水は左後ろから右前へ流れる。
玉川上水の残堀川を挟んだ前後の水の位置はこれくらい。

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玉川上水のほうが高い位置を流れている。「前」の地点で玉川上水の水は穴に引き込まれて残堀川の下をくぐる。そして「後」の地点にも穴があり、「前」穴に落とされた勢いで「後」穴から水が吹き上がってくる、サイフォンの原理をつかった「伏越(ふせこし)」が設けられている。
ただしこの川との交差部分は、玉川上水開削時の状態がどうであったかはよくわからない。現在の伏せ越しは1963年(昭和38年)に施工されたもの。
玉川上水上流側から、伏せ越しの穴に入ってゆく前の部分。伏せ越しを詰まらせないためのフィルターが手前に設けられている。

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季節柄、フィルターに引っかかった落ち葉などが向こう側に積まれているのが見える。この時期、毎日の作業になるのでは。通りがかったときにも作業の人がいた。
立川市一番町2丁目付近の遊歩道

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右フェンスの向こうは玉川上水、左に砂川用水の細い流れがあった。砂川用水については、この付近、昔の砂川村地域の新田開発などに使用された用水で、現在も農業用水として利用されているとのことである。
この先で松中橋を渡り、その先へすすむとほどなく玉川上水の流れが暗渠から出てくるところがある。
暗渠の出口

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写真右側から上流側がしばらく暗渠になっている。その上は現在広場になっている。

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ここの南側は戦時中に飛行場があり、その滑走路が玉川上水を横切っていた。そのために上水は蓋をされて、下を流れることになり、今に至るということである。南側はいま、ゴルフ練習場とゴルフ場になっている。
立川市から昭島市にはいり、美堀橋をすぎると遊歩道が途切れ、ゴルフ場北側の歩道を歩く。
玉川上水と向こうは昭和の森ゴルフコース

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ゴルフ場の敷地が尽きると右側に昭島エコ・パーク、その真ん中を西武拝島線の線路が横切る。
公園の端から西武線

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西武拝島線を渡り、でこぼこした上水沿いの歩道をしばらく歩けば拝島駅近くに出てくる。
拝島平和橋のうえから玉川上水下流方向

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きりがよいのでここで本日は離脱。拝島駅は目の前である。
この日の歩行距離は21.0km。当初玉川上水駅までの予定が、拝島駅まで来てしまった。玉川上水を歩く距離は、この先6km程度しかない。次の計画はどうしようか。

 

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