散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらいろいろ観察したノート

玉川上水をあるく その3 拝島平和橋から羽村堰へ

玉川上水を四谷大木戸からさかのぼって、拝島まで来た。多摩川の水を取り入れている羽村堰まではもうすぐだ。
前回、拝島まで歩いてきてしまったので羽村まではさほど距離がない。羽村までで終わらせるには少し物足りないので、羽村から繋げる東京水道の送水路沿いに村山、山口貯水池までを連続して歩いてみた。羽村堰から先は別のノートにまとめた。こちらは前半、羽村堰までのノートになる。
本日の行程 拝島ー羽村堰と羽村堰ー山口貯水池(狭山湖

前回は拝島駅近くの平和橋まで来たので、まずそこへ向かう。
拝島駅北口

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駅前広場の先に横田基地への引き込み線線路があり、それを渡るとすぐに平和橋
平和橋のうえからすぐ隣の引き込み線線路と玉川上水

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ここから玉川上水上流側へ向かうために橋の先でもう一度引き込み線を渡る。
左岸側を歩くとすぐに日光橋

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小平監視所から上流はずっとこのようなフェンスがたてられている。流れを障害物なしに見られるのは橋のうえ。
日光橋のうえから玉川上水上流側

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古そうなアーチ橋を渡って再度右岸側へ来ると遊歩道の入口があるのでそこへ、写真左側の道。
途中、国道16号の武蔵野橋の架け替え?、増設?工事で少しだけ迂回しなければならない。その先また木立ち、日光橋公園のなかに戻ると八高線の橋脚の下をくぐる。

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くぐるとすぐ「みずくらいど公園」、漢字では「水喰土公園」。
水喰土についてはまず公園にあった解説板を

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このあたりで、流した水がすべて地中に吸い込まれてしまったために、水路の変更を余儀なくされた場所とのこと。公園の中にかつて開削し(て失敗し)た跡が残っている。現在も水が流れている場所の南側にあたる。

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手前側と向こう側に階段があって、間の低くなっているところが堀跡。本来なら右から左へ水が流れていた。

水喰土堀跡

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下に「水喰土堀跡」とあるところが底面、そこから土手のようになっている部分が掘った跡。流れていれば水は左から右方向へ。
堀跡はこの先消滅してしまっているとのことだが、かつての開削跡は今よりも南側を通り、青梅線五日市線線路の西側の市道付近に達したあと曲がって、現在の拝島駅ホーム直下を通って平和橋付近につながっていたようだ。公園の解説板の図からはそう推定される。
なぜ水が吸い込まれてしまったのか。玉川上水は水を通しにくい関東ローム層のうえを流れているのだが、たまたまこのあたりでは関東ローム層の厚さが薄かったようだ。その下にあった非常に浸透性のよい土の層(礫、小石、砂利を大量に含む層)に届いてしまったことが原因といわれている。
変更した流路は、元の場所と距離では数百メートル程度しか離れていないが、掘りなおしたほうは水が維持できているので、落とし穴にぶつかってしまったようなものなのだろうか。
水喰土公園のすぐ上流側にかかる五丁橋から上流側

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ここで玉川上水の水は崖線をつくる段差を乗り越えている。ここで段丘の上面に出られないと、標高の高い位置をキープしたまま水を流していくことができない。このすぐ下流側で「水喰土」に当たってしまったのだから、開削当時の緊張感は相当なものだったと想像する。新たな水路が見つからなければ玉川上水の事業は失敗になった可能性が高くなる。
水喰土公園より上流側はしばらく上水に沿っての歩道が途切れる。青梅線の線路に沿って歩いたあと、七屋踏切を渡るとキャッチーな名前の熊牛公園、熊牛会館。熊川と牛浜という地名が付近にあり、その中間にあるので熊牛?
熊牛会館の隣は青梅橋(ほたる橋)、その上から玉川上水下流側

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青梅橋(ほたる橋)欄干にあった解説

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橋を渡り突き当りまですすむと段丘の縁で、その縁には奥多摩街道が通っている。

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ここが立川崖線。多摩川はこの崖下の面を流れている。玉川上水はこの後ろ側、段丘の上面、標高の高いところを流すことを意識しているため、このあたりで多摩川との段差がこれだけついている。

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奥多摩街道をすすむ。
かやと橋のうえから上流側

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福生公園を過ぎて、清厳院橋のうえから上流側

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宿橋のうえから上流側

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左側は嘉泉田村酒造場の敷地。上水のなかに用水の取入口が見える。実際、この酒造場とその近辺の水田などにここから水がひかれていた。
宮本橋を望む

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宮本橋近くの陸橋から玉川上水下流方向

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宮本橋を渡り、右岸側を行くと遊歩道となる。その少し手前で

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加美上水橋から

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新堀橋のうえから

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加美上水橋から新堀橋にかけての右岸側は加美上水公園となっている。公園の西側、土手の下はすぐ多摩川河川敷になっているが、現在の玉川上水と多摩川の間、土手の上にはかつての玉川上水の流路跡が残る。ここは玉川上水開削後、度重なる多摩川の出水で土手が崩れ、流路の付け替えを行った場所とのこと。つまり川の浸食を受け、玉川上水川の土手が削られてしまったのだ。付け替え工事は玉川上水開削後約90年経ってから行われている。
新堀橋の先で福生市から羽村市にはいる。
羽村市に入っての上水の流れ

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堂橋のうえから下流側

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羽村堰第三水門と東京水道局羽村導水ポンプ所

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羽村堰で取り入れられた多摩川の水はここで3方向へ分水される。
いちばん手前にある2つのプールはおそらく沈砂池、砂を沈殿させたあとその右側にある(写っていない)設備でごみなどを除去し、この部分は小作浄水場へ送られる。

その向こう、玉石の護岸の下を流れている水は玉川上水の水。
いちばん奥、方向の異なる水門とその右側、階段の奥にトンネルの入口のようになっているのが、村山貯水池、山口貯水池へ送られる水の取り入れ口。(で、たぶん間違いないと思う。)
各分水口手前から

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向こうが村山・山口貯水池向け、右階段手前が玉川上水、その手前が小作浄水場向け。
羽村導水ポンプ所の上流の水の流れ

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玉川上水の幅よりいっそう広く、水量も多い。
もう1枚

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羽村

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一番左側が固定堰、その隣「川をきれいに」がついているところは投渡堰といって、大雨の増水などのとき玉川上水の水門が破壊されないよう、木の板や枝などを柵状に並べておき、万一のときにはこちらを流して水門を守るようになっている。そして右側、水が流れ出しているところは取入れた余分な水を吐くところである。
取水口の後ろ側

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取り入れたての水

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取水口と向こう多摩川のながれ

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取水口、反対側から

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右手前から左に取水され、左側奥へ玉川上水、右側奥へは多摩川が流れていく。

最後に忘れちゃいけない、玉川兄弟の像

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これは多摩川を歩いてここにきたときの写真。
玉川上水を歩く、は、ここまで。
本日ここまでの歩行距離は6.2km。このあと方向転換してすぐ村山、山口貯水池に向かった。

後半へつづく。↓

miwa3k.hatenablog.jp

 こちらは玉川上水その1とその2

 

miwa3k.hatenablog.jp

 

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