散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

大岡川を歩く 横浜みなとみらいから遡って源流まで

横浜の観光スポット、みなとみらい地区に河口があり、市の中心部や歓楽街なども通って流れる大岡川を、海への出口からさかのぼって源流域まで歩いてきた。源流も市内にあって、横浜市ひとつで完結する河川だが、周囲の風景は様々に変化する。

お花見案件で来られた場合はこちらがよろしいかと

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大岡川足あと

今回のアプローチはみなとみらい線みなとみらい駅から。
地下深い駅ホームを見通せる大きな吹き抜けから撮りたかったが、タイミングを逃した。
結局地上に出てからクイーンズスクエア入口あたり

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背後には大岡川をはさんでコスモクロックの大観覧車がある場所。

国際橋交差点を渡って、ヨットの白い帆をイメージした建物のインターコンチネンタルホテルの下へ出ると、そこからは海、ちょうど河口になる。
大岡川の河口

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左は海、右側が川。後ろ側はぷかり桟橋、パシフィコ横浜などがある。

川上を向いての風景

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歩道を歩き出す。遡上開始。

国際橋を通過してから河口方向を望む

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前方橋の下から河口がわずかに見えている。

日本丸メモリアルパーク付近から”汽車道”の鉄橋など

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帆船日本丸の近くにある道路交差点名はそのまんま「日本丸」。
そこを渡ると川沿いに歩道があるので下りてみる。

ウッドデッキの歩道から川の下流方向

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左側はすぐに桜木町駅前になる。

その駅前からかかる歩道橋の上から下流方向、
手前は弁天橋

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同じく上流方向、大江橋、JR根岸線橋梁

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都橋の上から下流側、桜川橋を望む

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宮川橋から下流側、都橋方面を望む

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左岸の弧を描いた建物”都橋商店街”、商店街と言っても建物のすべては飲食店で占められたちょっと怪しげに思えるところ。吉田町、福富町、野毛町という横浜の歓楽街にはさまれたこのあたりの名物スポットのひとつ。(いまやここは観光地化している)

なんでも元は東京オリンピック(1964年のやつ)開催にあたって、市がこの界隈の屋台や露店を整理一掃、ここに集約したのだそう。
夜になると灯りがいろんな色にともって、それが川面に映る。

川の反対側はこんな様子

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まだ昼間だし、先へすすむ。

長者橋

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この付近の橋は、関東大震災で落ちたり焼けたものが多く、震災以降に架け替えられたものが多い。ここもそのひとつで昭和3年の竣工、見るからに頑丈そうではある。

川のこちら側は長者町、左は日ノ出町
橋の左下にある浮き桟橋は2015年にできた「横浜日ノ出桟橋」。

少し先へ、京急線黄金町駅付近にて
栄橋から下流側太田橋を望む

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下流の長者橋付近から上流に向かって、川の両岸はずっと桜並木になっている。ここから見える川岸もソメイヨシノの木。
大岡川プロムナードと名付けられた長い桜並木は横浜の花見スポットとして有名だ。

今年の春にも訪れたのでその時のを1枚だけ。
もう少し上流の井土ヶ谷橋あたりから

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咲く花が川の中へこぼれて行くよう。このときは歩くのも滞るほどの人出だった。

絵はこちらからの引用

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蒔田(まいた)公園の対岸から 

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対岸は蒔田公園、上は首都高出口のランプウェイ。

ここの手前に大岡川中村川の分流点がある。
中村川は分岐して大岡川の南側を流れ、中村町から石川町、元町を通って山下公園の横で東京湾に注ぐ。
大岡川中村川にはさまれた一帯はかつて蒔田湾、大岡湾と呼ばれた遠浅の入江だった。この湾は江戸時代はじめから埋立てられていき、新田として開発されていった。
自分もそうだが、小学校時代を横浜で過ごした人は授業で、ここに開かれた吉田新田の話を聞いたことがあると思う。
現在の横浜の中心部はこのときに埋め立てられた土地の上に成り立ち、その名残りとして大岡川中村川の流れがあるのだ。と誇らしげに語っておいて、川の分流点を確認し忘れたのはどうしたものか。

先へすすむ。

蒔田公園を対岸に見て上流へ歩くと横浜商業高校(Y校)、グラウンド前を通過する。周囲はマンションも多いが、古くからの住宅地というかんじになってくる。河口近くとはだいぶ雰囲気が変わった。

蒔田橋付近から下流側井土ヶ谷橋を望む

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その上流側、蒔田から弘明寺にかけて川が蛇行しながら、流れが南の方向に変わっていく。

その途中、川辺に下りられるところもある

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もう少し行くと弘明寺商店街にさしかかる。
大岡川の橋の上から弘明寺商店街アーケード

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弘明寺京急線駅方向。ここはいつも多くの人で賑わっている。

商店街アーケードの屋根は橋の上にもかかってのびている

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商店街からさらに南の方へ歩いて行く。途中で県道21号(鎌倉街道)与七橋の下をくぐる。

ちょっと頼りなさげな橋、中里橋

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たぶん古い橋なのだろう。

このあたり一帯が地名では大岡というところ。駅名にもなっている「上大岡」のほうが通りがいいが、大岡川の名称の由来となった。

少しの間、住宅地の裏手といったところを通っていくが、再び県道21号(鎌倉街道)に出てきて最戸橋の下をくぐる。
最戸橋上から上流側には京急線橋梁(南区大岡5丁目付近)

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このあたりから上大岡の繁華街近くに入っていく。道路上は人も車も多く行き交うが、川はいたってマイペースに流れている。

上大岡の繁華街にも近い場所、久保橋から下流方向

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川の両岸は親水施設風に歩道が設けられているが、ほとんどメンテナンスされておらず現在は機能していない。水辺に下りて行く階段もあるが、というか下りて行けない階段のほうが多い。

青木橋上から上流側

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左上部に青木神社の屋根が少し。下の遊歩道ここは歩けそうだけど、この前後はまた草だらけ。

もう少し先で、大岡川日野川合流(港南区上大岡西2丁目、港南1丁目)

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左から回り込んでくるのが大岡川、右の橋の下から日野川大岡川はここから上流側で笹下川(ささげがわ)の名称ももつ。笹下も日野もそれぞれの川の上流側にある地名。

左側、大岡川(笹下川)に沿って上流へ進む。すぐにまた(三度の)県道21号(鎌倉街道)との交差があり、その先は県道22号(笹下釜利谷線)に沿う形で流れをさかのぼる。

大岡川のこの付近から弘明寺にかけて、昭和初期から昭和40年頃にはスカーフ用の絹布に模様をつけるため染色を行う、捺染(なっせん)の工場がたくさんあったそうだ。染料で捺染をした後に川で水洗いをしたため、川がものすごい色に染まる事もあったらしい。

川の左岸側を歩いていたら、ちょっと微妙な雰囲気の場所に出た。横浜刑務所と横浜少年鑑別所の敷地だった。横の道路を通ってよいものかちょっと迷ったが、向こうからわらわらと人がやってくるのが見えたので入っていった。

横浜刑務所の壁

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向こうからやってくるのは近くにある中学校の生徒のようだ。こんなところが通学路になっているのね。
ちなみに左側や向こう奥の建物は刑務所職員宿舎らしい。職住近接、それはそれでいいのか。

結局そこは一般の公道というわけではなかったようだが、中学生たちが一般道へぬけていく道をついて行き、その先
笹下台団地入口交差点付近にて(港南区笹下1丁目)

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さらに先へ進むと水門が現れる。
大岡川水門

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水門の下流側から撮影。この上流側には大きな遊水地と大岡川分水路の入口がある。

大岡川水門は大雨時などに川の下流へ大量の水が流れないよう制御するためのものだろう。その水は遊水地から分水路へと誘導される。

遊水地の一部と分水路のトンネル入口

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流路はずっとトンネルだが、これも大岡川の分流。1981(昭和56)年に大岡川の洪水を防ぐためにつくられた。普段は分水路への流れ込みはないが、大雨時など、この西側で日野川からも水を取り入れ、こちらとあわせて流れ下り、磯子区新中原町付近で根岸湾に注ぐ。

トンネル入口はここに1つしか写っていないが、右側、壁に隠れているところにももう1つおなじ大きさのものが口を開けている。

巨大ともいえる分水路をつくったが、それより上流の普段の川の姿はいたって静かだ。
港南区笹下4丁目、県道22号新川橋付近から

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この後方、丘の上には中世の頃、小田原北条氏家臣間宮氏の居城と言われる笹下城があった。遺構の一部が残っていたそうだが、昭和の高度経済成長期の宅地開発で壊され消滅してしまった。

この先の大岡川は上流域まであまり変化がなく、細々とした流れがずっと続き、所々で小さな沢と合流している。

磯子区に入り、松之内橋の上から下流方向(磯子区田中1丁目)

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西側は県道22号(笹下釜利谷線)、東側はこのあたりで”かねさわ道”と呼ばれ、鎌倉街道下の道、東浦賀道でもある古道が通る。その間を大岡川が流れている。

根岸線線路と交差(磯子区栗木付近)

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さらにさかのぼって歩くと県道22号氷取沢(ひとりざわ)交差点、ここまではほぼ住宅地が続いてきたが、大きな道路から離れて山あいとでもいうようなところへ入っていく。

氷取沢町、住宅もつきるあたり

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この先は「横浜市指定農業専用地区」となる。

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ここに見える建物は牧場のものだった。(以前は観光牧場?があったようだ)

”農業専用地区”のいちばん奥までくる

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横浜横須賀道路が上を通っている。この下を通って前方の森の中、傾斜地帯へ入る。

畑から森の中へ、また風景が変化する。
氷取沢市民の森から

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この沢が大岡川の源流域のものだ。森の中でたくさんの小さな沢と合流してしだいに水量を増やしている。

逆に上流へたどると水が減るのはあっという間。
少し先ではか細い流れ

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もう雨が降ったときにぐっと水量が増える山あいの沢と同じ。しかし横浜中心部のランドマークタワーや大観覧車があったところからは想像できない場所、風景だ。

そこからは坂道がきつくなって、少し上がった場所で

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この付近がGoogleマップでは”大岡川源流域”と示されているところ。脇の水みちは湧水がつくったものか人が溝をつけたのかよくわからない。

とりあえず人が通れるところで水が湧いている場所がここらあたり、周囲はあちこちで少しずつ水が浸み出していた。

これで源流に到達としよう。
大岡川遡上はここで終わりとなる。

これより上へあがると水の流れは見えなくなり、市民の森の「尾根道」へ出る。標高153mと横浜市で2,3番目に高いはずの円海山頂上もすぐ近くである。

その尾根道をしばらく歩き

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栄区庄戸という住宅地へ出た。
そこからはバスに乗って最寄りの駅まで移動。