散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

国立から埼玉県境へ歩く

今回は自分の歩いた場所の単純な備忘録です。

国立から埼玉県境付近まで歩いた記録、足あとは多くが住宅街の生活道路に。

スタートは国立市南部、南武線谷保駅から

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駅から南へ行けば東日本最古の天満宮といわれる谷保天満宮、その逆方向へ。

 

フェンスの向こうは一橋大学キャンパス

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国立駅から南に延びる大学通りは桜並木でも有名ですが、開花直前。
そのメインストリートでなく脇道を歩いてます。

 

富士見通りから

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国立駅前から放射状に広がる通りのひとつ。駅と逆方向を見て。
通りは普通に商店街。

 

国立駅前は旧駅舎の再整備中

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旧国立駅舎は創建当時の姿に戻して完成目前。
2020/4/4にオープン予定でしたが、イベントは中止に。〈国立市HPより〉

信号機向こうの桜は色づいてました。

 

旧駅舎正面付近拡大

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国立駅北側へ出て、国立、国分寺の市境界付近(国分寺市光町1丁目)

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国分寺崖線にかかる坂道。
坂の上が国分寺市、下が国立市というイメージを持っていたけど駅北側はどちらも国分寺市。

坂下の住宅地から坂上の住宅地へ、歩いている風景にほとんど差はありません。

 

しばらく歩いていくと突然不自然に細長く開けた場所、
大きな道路の新設工事現場

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調べてみると新府中街道が延長されるらしい。
新府中街道は都道17号で現在の鎌倉街道、町田、多摩市方面から東村山、所沢などへの幹線、その途中の新設拡張ということです。

 

その先、線路と駅に突き当たりました。

西武国分寺線恋ヶ窪駅

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歩道橋の上から。

 

そして五日市街道に(小平市上水本町2丁目)

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右側窪んだところに用水路があって水が流れていました。

たぶん玉川上水から分水した砂川用水

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すぐ近くを玉川上水本流も並行して流れています。

玉川上水、小松橋上から

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水路に沿って緑道、北側にはもう1本、玉川上水から分水された新堀用水。

新堀用水と玉川上水緑道

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左、柵の向こうが玉川上水の流れ。

 

玉川上水緑道の北側へ出ると一橋大学小平キャンパス、そこから東方向へ。

このあたり、長い直線の道が多い印象です。

一橋学園駅(西武多摩湖線)近くから、歩いてきた方向を振り返り

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踏切から一橋学園駅ホームなど

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駅北側の商店街

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小平市鈴木町で大沼田用水と交差。玉川上水を分水した用水路、鈴木用水をさらに分水した用水。
用水路が多いわけ=この一帯、昔は水に乏しく、開墾にあたり玉川上水に大きく依存した歴史のなごりです。(江戸時代中頃の事)

 

狭山・境緑道(多摩湖自転車道)を交差

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こちらは近代の上水用水路(大正14年頃開通)、地下に村山貯水池(多摩湖)の水を武蔵境にある境浄水場に運ぶための水道管が通っています。その上を最近歩道、自転車道に整備、特長は10.7㎞におよぶ直線道路であることです。

ここを歩いた記録

狭山・境緑道を歩く その先井の頭公園までの散歩 - 散歩の途中

 

すぐに西武新宿線と青梅街道の挟間、畑と庭のあいまいな境界、開放的な雰囲気につい1枚。
色づいたしだれ桜を入れて

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青梅街道、新青梅街道などを横切って北へ歩くと東久留米市。

謎の細長い駐車スペース

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ずっと向こうまで車置き場。その右側を通りぬけたものの、道路じゃなかったかも、よくわからない場所。

 

広い滝山団地の中を通り、滝山公園手前の歩道から

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左側中学校では卒業式が終わり、帰宅しかねている卒業生の輪があちこちに。記念写真のシャッター押しに協力。

 

住宅街をさまよいつつ北の方向へ、また水場に。

黒目川に出ました、降馬橋から(東久留米市下里1丁目)

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東久留米は湧水が豊富というイメージ、その水を集めるのがこの川、この日も澄んだ水が流れてました。

 

降馬橋から坂をあがっていくと新小金井街道と野火止通りが合流する押出し橋交差点。

交差点と野火止用水

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押出し橋は野火止用水にかかっていた橋の名前でしょう。何か謂れがありそう。
あとは、坂の上、台地上に人工の用水路、下に天然の河川、それがよく分かる場所でした。

野火止用水に沿って東久留米市と清瀬市境界。

 

現在の周囲の風景的には大差ないものの、清瀬には結核の療養所、病院などが集中していたという歴史があり、現在も広い敷地をもつ大きな病院、医療施設などがたくさんあります。

現国立病院機構東京病院の裏手、林の中

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これは外側の道路から見たものですが、かつて結核療養所東京府立清瀬病院、傷痍軍人東京療養所があった場所に、歩道と多くのタイル張りのベンチ(のようなもの)が目につきました。
いずれも現在はうち棄てられ、放置されていますが、同じデザインのものがあちこち散在しています。結核患者の外気浴、日光浴などに使用したのでしょうか。

大きな病院、あるいは国立ハンセン病研究センターなどの間を通り、さらに北へ。

 

住宅地をぬけてまたも水場に出てきました。空堀川(からぼりがわ)

野塩橋から

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文字通りの空堀川でした。先ほどの黒目川と対照的です。

川沿いに歩道があったのでひとまわりしてきました。

西武池袋線橋梁付近

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水は溜まっているだけ、相変わらず涸れてます。

 

道は清瀬市柳瀬川回廊、プロムナードへ

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空堀川、柳瀬川合流

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両河川とも最近大規模に改修されてここが合流点になったようです。

 

古い流路も残っていて、柳瀬川新旧流路合流

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左に架かる橋は境橋といい、東京都清瀬市、埼玉県所沢市の境界を渡っています。

 

空堀川旧流路跡は親水公園に

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柳瀬川との合流点あたりまでをまわってから駅へ。

最後は西武池袋線秋津駅

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この駅もちょうど都県境に位置し、東京都清瀬市、東村山市、埼玉県所沢市、3つの境界が駅構内にあります。管理などが面倒くさそう…

今いる位置は所沢市。

 

 

足あと地図