散歩の途中

散歩しながら観察して記録してちょっと調べて書くノート

八王子通り大山道を歩く その4 当麻まわりの道

八王子を通って相模国大山へ向かう”八王子通り大山道”、途中「橋本の棒杭から分かれて上溝、田尻を経て当麻(たいま)の渡しで相模川を越える経路もあった」とWikipediaに記されています。
こちらのルートはまだ歩いていなかったので、久しぶりの大山道歩き、パズルの抜けピースを補ってきました。

今回のスタート地点は相模原市緑区橋本、棒杭(ぼうぐい)と呼ばれる大山道道標です。
そこは街道の追分ですが、どちらに行っても大山道の扱い。以前歩いたときは田名、中津などを経由する道を選びましたが、今回はもう一方を歩きます。

そちらは”厚木道”とも言い、八王子と厚木を結ぶ道でもあります。相模川を渡った先でさらに2つに分かれ、厚木方面へ進むと山際(現厚木市山際)で府中通り大山道と合流します。さらに分かれた他方は中津川、才戸の渡しにおいて、橋本の棒杭で分かれた道に再度合流します。

今回は橋本から当麻を経由、まず府中通り大山道に出会う辻まで行き、次に棒杭で分かれた道に合流する才戸の渡しを目指します。

八王子通り大山道・当麻まわりの道 足あと

 

まず最寄りの橋本駅で下車し、棒杭を目指します。

駅近くを通る大山道の道筋に乗っかります。500mほど行くと突き当り、その路肩には最近建てられ「棒杭」と書かれた標柱があります。
棒杭の新しい標柱

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その側面には

このあたりを「棒杭」といいます。この近くにある石仏がそのように呼ばれているためですが、大山参りの人々が利用した「大山道」はここで田名方面と当麻方面に分かれており、この石仏はその道しるべでもありました。

 

周囲が区画整理されてかつての道が途切れ、上に石仏と記されている古い道標は住宅地の奥まったところに置かれています。

オリジナルの棒杭

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前回八王子通り大山道を歩いたときはこの古い道標を見逃していました。
上部に不動明王のある、大山街道でよく見るタイプの道標、正面に「右 大山みち」、左面に「南 あつぎ道」、右面に「北 八王子道」とあります。

右にある小ぶりな石柱も道標のようです。

前回この付近を通ったときのノートです。

miwa3k.hatenablog.jp

前回は「右 大山みち」へ、今回はここから「南 あつぎ道」に従って歩きます。

しばらく”あつぎ道”は国道に重なってます。まず国道16号、分岐点の橋本五差路交差点からは129号へ入ります。
橋本五差路国道129号側から交差点方面

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地下通路を通り、交差点を渡ってからこの背後へと進みます。
しばらくは古道、街道らしきもの特に何もありません。

 

2㎞ほど南下すると段丘を下る坂道にさしかかります。

相模原市緑区下九沢付近国道129号南方向

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国道は先で高架の陸橋に。その立体交差下、作の口交差点で旧道は左折し、上溝の町に入っていきます。

坂の途中、日枝神社の境内脇に5つの古い石仏、石塔が並んでいました。いずれも風化が激しく詳細はわからない状態でした。

 

作の口交差点から県道508号(国道129号旧道)に入って

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相模原市中央区上溝1丁目付近。

 

県道上溝本町T字路付近

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かつての上溝村、この付近は村だけでなく、この広域の中心地でした。

左側の呉服店、新しくなっていますが昔の建物の雰囲気を残した造りになっています。

 

そのまま県道を南方向へ進むと鳩川、ちとせ橋を渡ります。
ちとせ橋上から鳩川

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川を渡ってすぐのところに不動明王をのせた石塔などが残されています。

一番左が不動像をのせ「不動講供[養]」と読める石塔

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いずれの石塔も風化が進んで、何が書かれていたか判別が難しい状態です。

 

またここから500mほど進むと追分のY字路(現在は田尻交差点)にも風化した石塔があります。
田尻の追分にある石塔

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中央は不動明王をのせた大山道型、不動講供養とかろうじて読み取れます。こちらの石塔もかなり危うい状態です。

大山道はここで右手へ進みます。そちらには最近建てられ「大山道」と記された標柱があり、「大山参りに人々がよく利用した道だったのでこの名があります。この不動明王の石仏はその道しるべでもありました。また「埼玉往還」「八王子道」と呼ばれることもありました。」と側面に刻まれていました。

なお、左手へ行く道は座間、海老名などを経由して藤沢方面につながる古い道のようです。

 

大山道さらに南下して

上溝バイパス入口交差点付近から

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天気が良ければ向こうに大山も見えたと思いますが、あいにくの曇り空でした。

この付近で旧道の県道は国道129号にいったん吸収されますが、塩田原交差点で再び分岐します。

 

その先から当麻(當麻:たいま)地区へ入っていきます。少しうす暗い坂道を下ると「天満宮」と書かれた看板があり、そちらへ折れる道が古い道の名残りです。

折れると脇に小さな流れがある古い集落に入ります

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鳥居付近から来た方を振り返り

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この道は先で再び県道に合流しますが、その近くに”無量光寺”があります。

 

これは脇の出入口

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時宗 当麻大本山初開根本道場 無量光寺」でしょうか。

 

こちらが山門と本堂

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時宗の開祖一遍上人が1261(弘長元)年に創建、その高弟の真教が無量光寺に改号したといわれる古刹。明治時代には時宗大本山だったそうです。

 

山門から下ってくるとまた先ほどの県道に出てきます。少し先の交差点名が「宿(しゅく)」、古い地図を見ると”當麻宿”の表記があり、道沿いに建物が並んでいるのが分かります。無量光寺門前、また街道の宿であったのかもしれません。

宿交差点付近

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ここからもう少しで相模川、昭和橋へと出ます。大山道の頃、相模川は渡し舟で越えていました。

 

右の旧道から”当麻の渡し”へ通じていました

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現在は左から昭和橋へ出ます。

 

昭和橋歩道橋から、大山が見えない

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あっちのほうに見えるはずなのですが。

渡し舟は橋の近くにあったようです。

 

この橋を渡ると厚木市に入ります。古くは上依知(かみえち)村と呼ばれた地域です。
旧道から

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相模川の渡舟、こちらからは”上依知の渡し”と呼ばれており、川岸からは少し離れた場所、旧道の横にその標柱などがありました。

標柱、他阿上人名号碑など

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台座左側が三十代目他阿上人による六字名号(南無阿弥陀仏)の碑。当麻山無量光寺の歴代住職は他阿上人と称し、その三十代住職によるものとのことです。

 

相模川を渡ると今度は中津原台地の段丘へ上がることになります。
旧道にある坂は「堂坂」です

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険しい坂道の途中には(たぶんこの坂で)愛馬を亡くした人が建てたという大きな馬頭観音供養塔がありました。

そこから急坂をもう少しあがるといきなり台地上の平らな面へと出ます。

 

旧道を少し先へ行くと、道の分岐点に不動明王をのせた道標がまた現れます。

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この道標は明治26年(1893)建立、比較的新しいものです。その分(?)情報量も多く、東西南北様々な地名、名所が刻まれています。(その情報は持っているのですが、書き写すのが面倒なので)

とりあえず大山は西面に刻まれています。
南面には厚木があり、そちらへ進むと府中通り大山道との合流地点がそれほど遠くないので、まず南へ合流地点まで行き、またここへ戻って西、大山方面へ向かいます。

上の写真、左が厚木方面への道です。

 

かすかに昔の雰囲気が残る道を1キロ半程度南下すると府中通り大山道との合流地点です。
厚木道・府中通り大山道合流

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左から来るのが府中方面からの大山道。大山へは左折して向こうへ行き、先で厚木道とは分かれます。

中通り大山道から来たときのノート

miwa3k.hatenablog.jp

この付近、厚木市山際というところですが、街道沿いは古くからの集落で上の写真左端には「山際漢学研究所跡」の石碑が見えます。
ネットで調べてもあまり出てこないのですが、明治時代の依知村長が当時の専門家の協力を得て開設した塾のあったところ、だそうです。

 

合流して少し先の街道

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この先はすでに歩いたので、また先ほどの大山道道標まで戻ります。

 

次はこちらへ

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西、大山方面の道です。すぐに国道129号が横切り、歩道橋で対岸へ渡ります。

 

その先は単調な道を1㎞ほど進むと、台地の縁まできます。

諏訪神社があります(厚木市下川入)

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神社の向かい側はすぐ崖、神社にちなんで?諏訪坂という坂を下ります。

諏訪坂の途中から

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坂の下は中津川の氾濫原、低い平らな土地に出ます。

 

ほぼ田んぼ、から段丘の崖線を振り返って

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このあたりからは長く立派な崖線が望めます。

 

昔の渡し場へ続いていた旧道分岐

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右へ曲がっていく道が旧道の名残り、先で中津川、才戸の渡しへ通じていました。今は先で行き止まりのようなのでこのまままっすぐ行きます。

 

直進すると才戸橋手前に県道との交差点があります。そちら愛川町方面から来る県道が橋本の棒杭で分かれた八王子通り大山道の一方、田名、中津経由の道です。ここで再び合流しています。

そちらから来たノート

miwa3k.hatenablog.jp

道路が合わさって才戸橋、昔は”才戸の渡し”にかかります。

才戸橋から中津川下流方向

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上流方向

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こちら側に渡し舟があったようです。

歩いた日は中津川、相模川とも水量が多かったです。どの程度まで水が増えると川止めになっていたのでしょう、なんて考えてました。

この先の八王子通り大山道はすでに歩いているので、この日はここ、橋の上までです。

 

天気は回復傾向でしたが結局大山の頂上は望めず、でした。

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