単なる散歩か足慣らしのウォーキングをする予定で出かけたのですが、先へ歩くにつれて周囲の花の種類、数が増え、最後は遅咲きの桜が満開でした。
意図せず今回も花見ができてめでたしめでたしの散策でございました、というお話しになります。
先出しでまず桜を1枚
歩いた順番としてはここから。
はじめは『横浜水道みち』に向かってる途中の風景からです。
最寄りとは言えないJR相模原駅から歩き出したこともあってあちこちを巡りながら歩いてました。
相模原市緑区田名付近の畑の中から
市街地の方向を見てます。
反対方向は
途中相模川が流れてますがその向こうに新緑の丘陵地帯、遠くは丹沢です。
相模川まで出る手前に横浜水道みちが通り、その地下には横浜市の上水道となる水、その導水管が通っています。
1887(明治20)年日本ではじめての近代水道として創設されたもので、現在も〈当然改修はされてますが〉使用されています。
創設時から送水管の通る(っていた)道は現在の相模原市緑区三井を起点に横浜市西区野毛山浄水場まで延長約44㎞ありますが、今回は起点から約9㎞下った緑区大島あたりから歩いてます。
その付近の水道みちは現在一般道路です。
段丘崖上のへりを通る横浜水道みち(相模原市緑区大島)
崖下は相模川が流れています。
しばらく行くと専用道というか、創設時からさほど変わってない直線の道が続きます。
舗装路、砂利道、遊歩道化されたところなどいろいろ変化がありますが。
右下に頭を水色に塗られた杭があります。ここのものは天面に"114YWW"と記されていて、意味は水の取入れ口(相模原市緑区三井)からの距離11.4km、YWWは"Yokohama Water Works"の略です。100mおきにあるとの情報がありましたがあまり気づきませんでした。
そしてこんな案内板(水道みち「トロッコ」の歴史)が全部で26ヶ所にあります。
これは第5番目「田名」の看板
横浜水道みちはもう7年前になりますが一応全区間歩き、26ヶ所の歴史看板を見てきました。
横浜水道みちを歩く その1 青山水源池と三井から上大島まで - 散歩の途中
横浜水道みちを歩く その2 上大島から南町田まで - 散歩の途中
横浜水道みちを歩く その3 南町田から野毛山配水池まで - 散歩の途中
など。
少し下って中央区田名付近にて
砂利道になりました。ここも左側に頭水色の距離標杭がありますね。〈数字は読んでなかった〉
このへんまで花見になるとは思ってなくて、ただ淡々とあるいていました。
歩道がきれいになって花や木が植えられるようになって
ハナミズキ
桜は終わったけれど道端には色とりどりの花
〈右のつつじは咲きはじめ、その奥、桜は散り終わり〉
畑ごしに丹沢方面
姥川(うばがわ)を渡る横浜水道導水管(相模原市南区下溝)
水道みちの下には現在こんなサイズの水道管が通ってるようです。
小さな川を3つ渡り、上り坂で段丘をあがると水道みちは相模原公園の中を横断します。
公園内、『水無月園』という花しょうぶ園
準備中、花はもう少し先です。
公園の広場を通り抜けます。
正面は『グリーンタワー相模原』
公園の展望台ですね。
水道みちに相当する園内通路をふり返り
公園の先もまっすぐにみちが続いてます
相模原公園を過ぎると周辺は住宅地が続きます。
南区双葉、ここにもトロッコの歴史看板
起点から20㎞地点との標示でした。
もう少し行くと
右側は在日米陸軍相模原住宅地区、導水管はその敷地内を通りぬけますが米軍施設のため一般の通行はできず、水道みちはいったん行き止まりになります。
米軍住宅地区をぬけるとまたまっすぐな道が続いていますが、この日は行き止まりとなる少し手前まで歩きました。
続いて近くを通る別の遊歩道を歩くことにしました。
そちらへ移る前にまず米軍住宅地区を迂回。
ここは『国境』の一角
次の遊歩道に出ました。(相模原市南区相模台)
この道はかつて『相模原畑地灌漑用水』が通る用水路でした。
相模原市内だけでなく神奈川県中央部の各市町にまたがる大規模な用水路でしたが市街地化が進んで不要となり、いまは遊歩道などに再整備されています。
同じく相模原市内の遊歩道
〈選挙ポスター掲示板が写ってしまいました〉
このままもう少し行くと座間市に入ります。
座間市では名称が『相模が丘仲よし小道』となり、またの名を『さくら百華の道』。1600mの緑道に64種類の桜が植えられているそうです。
早咲き、遅咲きを場所ごとに分けて植えていて、遅咲きの桜がちょうど見頃でした。
すべての木に品種名が書かれた札がつけられているのですが、いかんせん品種が多くてほとんど覚えられません。〈「名札」も記録してくればよかった〉
早咲きはすでに葉桜
こちらは満開
枝が上へ伸びる桜もあるんですね
「天の川」という品種
あとは黙って並べていきます
ここまでです。
今年の桜もそろそろ終わりだと思いますが、最後にとても良いものに出あえたようで心満たされました。