散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

坂道探訪 幽霊坂を巡る(3) 千代田区

東京23区の幽霊坂、今回は千代田区です。神田淡路町神田駿河台、富士見町から全部で5坂。

千代田区の坂道にある坂名標は、最近新しく置き換えられています。坂名がはっきり読み取れるようになったのもよいですが、由来や解説文の内容も差し替えられ、大変理解しやすくなりました。ただ、すべての坂道に標識があるわけではないですが。

今回は取り上げた前2つの坂道に標識が存在しています。

 

幽霊坂〈ゆうれいざか〉 千代田区神田淡路町2丁目

外堀通り昌平橋から南へ50mほど行き、西に入る道にあります。
坂下は神田淡路町2丁目、坂上神田駿河台4丁目、現在は高層ビルに挟まれたほぼ直線の坂道です。傾斜はそこそこ、中程度。

坂下付近から上

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ソラシティとワテラス、最近できた2つの高層ビルをつなぐ連絡橋の下を江戸時代からある幽霊坂が通ります。

 

連絡橋付近から上方向

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突き当たりに見える坂上に石垣があり、その上を本郷通りが通っています。

 

坂なかほどから下方向

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下った先は外堀通りとのT字路。

 

現在の幽霊坂坂上本郷通りの石垣を背に

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道は坂を上がってくると左(南)に折れ、数十メートル先で本郷通りニコライ堂前交差点に出ます。
この付近本郷通り関東大震災直後に通された道路で、それ以前は幽霊坂がその先にも続いていました。本郷通りで分断された坂の上部は名称を「紅梅坂」とかえて現在も残っています。

そしてここに幽霊坂の坂名標識があります。

幽霊坂 Yurei-zaka (Hill of Ghost)
江戸時代には火消役の屋敷があり、そこへ上る坂道でした。江戸時代の初め頃は緩やかなカーブで、埃(ごみ)坂あるいは光感寺坂とも呼ばれていました。のちに直線状に整備されて、紅梅坂へとつながっていましたが、大正時代の区画整理本郷通りができたために二つに分かれた形となりました。
このあたりは木々が繁っていて昼間でも薄暗かったことから、幽霊坂の名が付けられています。

 

南側へ折れた先から標識あたりを振り返り

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3人が歩く目前に幽霊坂標識があります。
左石垣上は本郷通りです。

江戸時代古地図でもこの部分はクランク状に折れ曲がって現紅梅坂へと続いています。
また、上の写真右側一帯古地図では「定火消御役屋敷」とあり、その周囲はほぼすべて武家屋敷です。

幽霊坂、長さは190mとなっています。

そのまま本郷通りを越えて紅梅坂に向かいます。

 

 

◆紅梅坂〈こうばいざか〉 千代田区神田駿河台4丁目

ニコライ堂の北側、幽霊坂の延長上に続く、緩くごく短い坂道です。本郷通り建設以前は一体で、名称は幽霊坂でした。

幽霊坂坂上側からニコライ堂前[交差点]

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2つの坂の間、本郷通りと交差してますが直接行き来できません。

左が東京復活大聖堂、通称ニコライ堂で、右の建物との間が紅梅坂です。

 

坂下近くから聖堂と歩道に坂名標識

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標識から

紅梅坂 Koubai-zaka (Hill of Koubai)
明治時代に、武家屋敷であったこの地域に駿河台西紅梅町・東紅梅町という町名がつけられました。そのため、この坂道も、紅梅坂と名付けられました。関東大震災後に本郷通りが新設されて分断されるまでは、東側にある幽霊坂と一本の坂道でした。

 

標識近くから本郷通り方向

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同じく坂上方向

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坂上から振り返って

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もう1枚、坂上からニコライ堂

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坂の長さは50mとなっています。本郷通りも坂道になっているので、その続きといった感じです。
坂学会HPでは紅梅坂の別名として幽霊坂、光感寺坂をあげています。

 

 

幽霊坂〈ゆうれいざか〉 千代田区富士見2丁目(幽霊坂Ⅰ)

富士見町の丘から下る坂道が近接して3つあり、すべて幽霊坂といいます。

最初の幽霊坂はJR飯田橋駅から南へ飯田橋サクラテラスの裏、東京逓信病院の手前、元は逓信病院の施設や看護学校があった脇を南東方向に上がる坂道です。
坂下で突き当たる道路は現在警察官が常駐し、バリケードが置かれているところから入って行く道になります。

坂下近くから上方向

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同じ位置から下方向

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幽霊の姿は(たぶん)ありませんが警察官の姿があります。

 

坂なかほどから上方向

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坂道の距離は短く傾斜もそれほどきつくありません。前方電柱のあたりで坂上です。道はほぼ直線、距離は90mとありました。

坂道に標識などはありません。

 

平坦になったところから坂を振り返り

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これで終わり、あまり特長はないと思います。
坂道自体は江戸時代から存在しています。

坂上ですぐに突き当たってくる坂道があります。これが2つ目の幽霊坂(Ⅱ)です。

 

 

幽霊坂〈ゆうれいざか〉 千代田区富士見1,2丁目境界(幽霊坂Ⅱ)

北西方向へ下る幽霊坂Ⅰと坂上で直角に交わります。北東方向へ下るのが2つ目の幽霊坂(Ⅱ)です。

幽霊坂坂上、Ⅰとの交差地点から

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こちらの幽霊坂はほぼすべてここにおさまってます。

坂道両側はともに角川書店本社ビルです。

道は江戸時代から存在し、この周辺一帯は武家屋敷でした。

 

坂中央付近から

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坂ほぼ下って

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傾斜は坂の上ほどきつくなりますが、それほど急坂感はありません。

坂学会の情報によれば坂道長さは120mとなっています。一旦下った先がさらにごく緩く下がっていて、その分も加味しているようです。

別名として「勇励坂(ゆうれいざか)」があります。坂名標識はありません。
こちらの幽霊坂を下ってさらにまっすぐ進むと東京大神宮前につきあたります。

 

 

幽霊坂〈ゆうれいざか〉 千代田区富士見1丁目(幽霊坂Ⅲ)

早稲田通りから日本歯科大学千代田区立富士見小学校の間を南西に入る道になります。といっても幽霊坂Ⅱの通りから南側に2ブロックしか離れていない通りです。

入ってすぐは坂道と気づかないくらい緩い傾斜です。
そのせいか油断してしまい、記録に残すのを忘れました。

次の通りと交差した先は私道と表示がありました。そこから坂道が急になります。

 

傾斜が急になる少し手前から

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坂の上がりはじめ

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道は傾斜がきつくなるところで上に向かって右にカーブしています。

 

坂上に近づいて

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坂上から振り返り

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坂上では幽霊坂Ⅰから延びてくる道に突き当たります。
この坂道にも坂名標識などはありません。

突き当たった向こう側は現在”ふじみこどもひろば”、公園というより空き地っぽい場所です。古くは山階宮邸の文字が地図に見えます。

この幽霊坂Ⅲに相当する道は江戸時代には存在せず、おそらく太平洋戦争後になって開かれたようです。
江戸時代には存在したⅠ、Ⅱと同じ「幽霊坂」の名称がなぜ半分は私道である道につけられたのか、由来などはっきりしません。

幽霊坂Ⅲの長さは坂学会では170m、早稲田通り近くからの距離です。

 

幽霊坂マップ 今回分は7~11 (1~6は既出です)

場所が近接しているため、拡大していただけると位置関係が分かるかと思います。