東京23区の幽霊坂の名を持つ坂道を巡ってます。これで最後の5回目は文京区と中野区から3坂です。
別名、かつては、を含め23区内、全部で17幽霊坂を訪れました。
坂の位置を示した「幽霊坂マップ」をいちばん最後に置きます。
目白通り、目白台三丁目交差点から西へすぐ、和敬塾の正門があり、隣接する目白台運動公園との間を南側へ入る、細く、うす暗い道があります。この道を入った先が幽霊坂、下りて行くと肥後細川庭園の西側へ出てきます。
戦後に細川家が整備し、和敬塾に引き継がれた私道だそうですが、江戸時代の地図ではすでに細川熊本藩抱屋敷西側に沿って道路の記載があり、道は古くから存在していたようにもみえます。
坂名標識などはなく、情報は文京区HPと坂学会から得ました。
目白通りから入ってすぐの場所
左側一帯は和敬塾の敷地です。和敬塾は学生寮の名称で、奥が現在の寮建物、手前木造の古い建物は何でしょう?
「私道につき…」の標識もあります。
坂上から
右側は目白台運動公園の塀です。公園は以前、田中角栄元首相の邸宅、目白御殿の一部でした。
坂の途中で上方向
坂上部、道は切通し、細いので少し圧迫感があります。現在街灯はありますが、夜間ひとりで通ると心細いかもしれません。
幽霊坂の名称は地元の人たちによる自然発生的なものとされています。
同じく下方向
車止めが2ヶ所あり、その先は一般道になっています。
下側の車止めからその先を望む
道路右側電柱付近で坂下、その先は平坦です。
左は肥後細川庭園、車止め手前右側には目白台運動公園への出入口もあります。
もう少し下って見上げる
坂道は下へ向かって右にゆるくカーブし、全体を一気に見通すことはできません。長さは130mとのこと。
傾斜はややきつく、中ほどがもっとも急です。
ほぼ坂下から
肥後細川庭園内から1枚だけ
前方は目白台の崖線、かつては崖上の和敬塾などもここにあった細川邸の屋敷内でした。
坂を下りた先は神田川が流れています。
目白通り、日本女子大前交差点から北側へ入る細い道にあります。和敬塾脇の幽霊坂から目白通りを西に3~400m行ったところです。
目白通り側が坂上、下って不忍通り、清戸坂途中に出ます。
長さは120m、傾斜はごく緩やかです。坂名標識などはなく、情報は坂学会から得ました。
細い道が幽霊坂、右側は日本女子大学目白キャンパス、レンガの建物は成瀬記念館。
少し進んで坂下方向
ふり返って目白通り方向
坂下近くから不忍通り方向
正面で不忍通りにつきあたって終わりになります。
不忍通りの拡張工事で向こう側からの記録を残せませんでした。
不忍通り清戸坂、坂下方向
清戸坂も傾斜の緩い坂道です。この付近で右側から幽霊坂が突き当たっています。
江戸時代には存在した坂道で、西側には昔、本住寺とその墓地があり、それが幽霊坂の由来になっています。江戸古地図にもこの道に「ユウレイサカ」の表記があります。
現在はお寺も墓地もなくなり、周囲は大学とマンションなどの建物に変わり、幽霊の出る気配はありません。
JR東中野駅東口に出るとその東側はすぐに崖、JR線線路を崖下で横切る道は二又に分かれ、右に少し行くと中野東中学校、校門のすぐ先を左へ入ってまっすぐ上がる細い坂道があります。
長さは30mと長くはありません。傾斜は下方でやや急、上部はゆるくなります。
ゆうれい坂の坂下から
左端が中学校校門、前の道は駅方面からくる通り、右へ上がるのがゆうれい坂。
《自分の手違いでこの先写真がありません》
坂の急な部分を上がると、下からは見えませんが緩い上りが少しあります。
そして今度はすぐ下りとなって広い通り(区検通り)に突き当たっています。
おそらくゆうれい坂と言っているのは中学校側からの急坂部分のようです。
坂名標識などはありません。
由来ですが、地元ミニコミ誌(?)のコラム”東中野今昔ものがたり”の中に、ここはお化けが出ると脅かされ、昔から子供たちが「ゆうれい坂」と呼んでいたという話が書かれています。
幽霊坂マップ 全部で17坂 うち15~17が今回分