東名高速の3つ並んだアーチ橋を見たあと、続きです。
東名皆瀬川橋〈再掲〉
山北の町へ戻ってきます。
駅近くはちょっとレトロな建物が残ってます。(今回駅西側の記録をしてなかったので東側のみ)
ここは昔のメインストリートです
というより、明治末頃にはこの1本の道路と鉄道線路しかありませんでした。
また、少し前まではここに『山北駅前大通り』と書かれた商店街アーチ看板が立っていたのですが、なくなってました。
先の道路に陽の当たってるところは駅前広場、右側に駅舎があります。
山北駅駅舎
駅の開業は1889(明治22)年、現在の駅舎は1924(大正13)年に改築されたものです。
駅前広場先の古い商店建物
明治以前、この付近は目立った街道なども通っておらず、住む人もほとんどなかった場所でした。
鉄道が開通、山北駅が開業した頃から鉄道関係者などが定住しはじめ、町ができていきました。
それから大正の頃にかけて鉄道の町として発展し、多くの商店、旅館なども軒を並べ賑わったということですが、昭和9年に丹那トンネルの開通で東海道線が熱海経由となって以降は戦争の影響もあり、静かな町になってしまったようです。
話が外れますが、江戸時代前期まで、現在の御殿場線の線路や駅前通りに沿っては皆瀬川(東名の橋の下を流れている川)の流路、いわゆる河川敷だったようです。
皆瀬川は18世紀初頭の富士山噴火の降灰や大地震によって水害を起こし、新たに水路を掘削して現在の流路に改められたという記録があります。
古い家屋、商店の痕跡などを見ながら歩きました。
2階の壁に「川村屋」の文字、こちらは着物販売の現役店舗です
その手前は現在居酒屋のようですが、戦前からある旅館でした。
右手前から和洋御料理加登屋、牧田足袋店、千田時計店と並び、その隣りの蔵は先ほどの川村屋のものです
すでに営業されてませんが加登屋建物、正面から
こちらの建物かつて旅館も経営されていたそうです。
その近く、道路反対側には立派な蔵のある家屋
駅前からわずか2~300mほどのせまい範囲ですが、かつての賑わいの痕跡がいろいろ残ります。
何年か前にも訪れたことがあるのですが、比較するとその間にもまた変化(寂れる方向に)してしまっていることも分かりました。
駅前通りを進むと県道に合流します。そのまま県道を進むと現れたのは
川西屋酒造店
再び酒造店、酒蔵の登場です。この日2店め
こちらの代表銘柄は「丹沢山」「隆」。個人的に銘柄は知ってましたが場所も特定できました。
正面入口
ポストの後ろが直営店舗になってます
そして道路反対側にも分店がありました。〈写真無し〉
残念ながら現在蔵見学は行っていないとのことでした。
後ろ髪を引かれつつ
この先は酒匂川の流れが山に迫るところがあり歩く場所が限られます。国道か酒匂川沿い、もちろん川沿いを歩きます。
まず支流の尺里川(ひさりがわ)沿いに歩き酒匂川に出ます。
酒匂川に合流するところ
左側へ渡ってそのまま川沿いの歩道を先へ歩きます。酒匂川対岸に渡れるとよいのですがあいにく都合のよい橋がありません。
そのまま左岸の歩道を歩き、松田町へ入って松田庶子あたり。
酒匂川左岸から矢倉岳方向
いくつか見える凸の一番左が矢倉岳。
相変わらず低い雲がきれません。左、箱根のほうはずっと雲に覆われてました。
ところでこの付近の地名ですが、『松田惣領』『松田庶子』というのが並んであります。由来が気になるところです。
このへんからは松田惣領になるのかな。
この先で踏切を渡ってちょっと脇へ入ると
こちらは「松美酉」の中沢酒造
本日3つ目の酒蔵、銘柄は〈まつみどり〉と読みます。
1825(文政8)年の創業、歴史あります。
酒蔵の少ない神奈川県ではありますが、この地方にはわりと多く存在します。とはいえ偶然歩いて3つも当たるということはないので、そのへんは計画的に歩いてました。
門から少し前へ進んで
杉玉(酒林)が下がってます。
残念ながら蔵見学は酒造りの期間であり、コロナの影響もあって行っていないとのことでした。
(一般的には蔵見学ができる酒蔵でも予約が必要です。見学のためにお酒つくってるわけじゃないですしね)
そのかわり道の反対側の販売所
こちら側にも杉玉、ここで試飲と買い物ができます。
あとは帰るだけの予定、ということで私は近くの小田急線新松田駅へ…〈んなわけはないか?〉
最後に
少し先からふり返り
実はその直前
スナップショットあるある
出てきた人に罪はないので大変失礼いたしましたと言いつつ載っけちゃった
その1