散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

秋川を歩く その1 多摩川合流から五日市まで

秋の秋川を遡上した。その1は多摩川合流から五日市の秋川橋まで。

秋川(あきがわ)は多摩川水系の支流で、東京都西多摩郡檜原村山梨県上野原市小菅村の境界付近を源流にして檜原村本宿(ここまでは別名南秋川)で北秋川と合流、あきる野市を東に流れて、福生、昭島、あきる野、八王子各市の境界付近で多摩川に合流する。延長37.6kmあり、多摩川支流としては最大。
秋川渓谷のきれいな水やBBQで有名な広い河原、川沿いの道路もわりと整備されていてのんびり歩くにはとてもよいところ。快晴の天気予報が出る日を待って出かけたのだが、晴れたり曇ったり。
スタートはJR、西武の拝島駅

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南口から都道7号(五日市街道、睦橋通り)に出て、多摩川にかかる睦橋(むつみばし)を目指す。多摩川河原にある福生南公園のところで睦橋を渡る。
睦橋から多摩川下流側を望む

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写っていないが、左側に福生南公園がある。(かつて多摩川を河口から羽村堰まで歩いたときにもここを通った。そのときのノートはいつになったらまとめられるやら)向こう側には多摩川、秋川のつくったであろう河岸段丘の崖線が続く。丘は加住丘陵。
睦橋を渡ると歩行者用の階段があるのでそこを下りて一旦多摩川右岸の堤のうえに出る。ここが歩道になっている。
多摩川右岸海から49kmのポスト

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多摩川には左岸、右岸とも1キロごとにこんなポストが立っている。まだここは多摩川の河原。
歩道はその先右にぐるりとカーブして秋川との合流地点を予感させるが、木立ちや雑草で川自体はまったく見えない。多摩川と秋川の合流はこのポストで確認、やぶの中を通って河原に出ようと思っても左の看板の存在感が大きい。

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歩道がU字型に回っていき秋川左岸に出たっぽいのだが相変わらず草むらと木立ちで川は見えない。しばらく行って一般道に出てから川が姿を現した。
秋川、上流に向かって

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この先遊歩道が整備されているのでそこを歩いていく。しばらくすると川が方向を変え、その先(上流)に東秋川橋が見えてくる。

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東秋川橋下流側から

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上流側へまわると堰がある。

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秋川には堰が多い。おそらく農業用水を確保するために造られたものだが、宅地や荒れ地になっている場所もあるようで、現在もすべて利用されているのかは不明。
稲刈りの終わった田んぼと用水路

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こちらには田んぼと用水路もあり、近くの堰で取水された水がながれるのだろう。すでに稲刈りが終わっているので今シーズンは水の必要はないが。

用水の取り入れ口

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先ほどの田んぼのすぐ近くなので、その周辺へ供給する水の取入口かもしれない。

そしてその上流にまた堰があった。

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東秋留橋が見えてきた。

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ここから見えているのは新しい東秋留橋。その向こうに旧東秋留橋がある。
人道橋になっている古い東秋留橋

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こちらの橋は土木学会関東支部のHPによれば

東秋留橋は、一般都道檜原あきる野線(第176号)が、秋川を渡河する箇所に位置する橋長149.7m 支間長は25.0mの6径間鉄筋コンクリートアーチ橋で、昭和14年8月に架設された。本橋の構造形式である多径間の連続鉄筋コンクリートアーチ橋は、河川に対する阻害率が大きいため、戦後の施工例は全国的に殆ど無い。また、本橋の径間数である6径間は、開腹構造としては福島市にある信夫橋の7径間に次いで、国内で2番目に多い径間数であり、戦前を代表する橋梁構造と言える。しかも、昭和14年以来現在まで、アーチリング・橋台・橋脚の主構造だけでなく、高欄・親柱についても改変されておらず、架橋当時の姿を今に伝える貴重な橋梁である。
本橋梁については、幅員が狭く交通上のボトルネックとなっていたが、東京都は、前後の道路線形を見直し下流側へ新設橋を架設することで、架け替えることなく保存することとし、現在、歩行者専用橋として供用されている。

上流側からみた東秋留橋

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旧橋の向こうに新しい橋ものぞいている。
反対の上流側はこのような感じ

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少し上流にすすむとまた2つの堰があった。
上流側の堰はいままで見たもののなかでは大きめ。

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その先はすぐに秋留橋だが、ここにはいくつもの橋がかかっている。

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いちばん手前が何かの水道橋、その次が人道橋、国道411号の橋、いちばん向こうは高速道路(圏央道)である。一応国道に架かっている橋が秋留橋。
圏央道はこのすぐ近くにあきる野ICがあるため、ランプウェイが設けられている。

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こちら側へ曲がってきているのがICへのランプ。
圏央道本線の下から

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秋留橋と圏央道を過ぎると対岸に東京サマーランドが現れる。

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ここも川の中には堰がある。そしてそのすぐ上流にもまた堰がある。

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そして対岸、遊園地の敷地から外れてすぐのところに大きな赤土の絶壁が現れた。
六枚屏風岩

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部分的に木に覆われ、そして4枚目はすでに崩落してなくなってしまっているとのことだが、六枚の屏風を立てたように見えたことから六枚屏風岩の名前がつけられているそうだ。この崖は秋川の流れに削られてできたもので、さらに浸食されて現在の形になっている。残念ながら地質学的にはあまり興味を持たれていないようで、この崖に関しての調査資料や論文などはネットで検索してもヒットしなかった。ところどころに丸い礫(石ころ)の層を含む関東ローム層の崖、ではある。
その先しばらくすると引田橋である。

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ここまでずっと左岸側に歩道(一部一般道も通る)があったのだが、ついに途切れる。橋を渡って対岸へ。
引田橋の橋のうえから上流側

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この橋のすぐ下流側にも堰があるため、このあたりも水の流れが穏やかで池のようになっている。
右岸は一般道を歩くことになるが、歩道を整備しているような工事が行われていた。しばらく行くと山田大橋が見えてくる。

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かなり高いところを通っているのでできれば渡らずに済ませたかったが、橋を渡るにしても渡らずに済ますにしても先にすすむには坂を上がっていかないとならないことがわかったので渡ることに決めた。
山田大橋から秋川下流側(1)

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向こうには草花丘陵も見える。
秋川下流側(2)

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橋の反対側から上流側

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この橋をはさんでずいぶんと景色が異なるが、Wikipediaの秋川のページにも同じことが書かれていた。いわく、これより上流は渓谷となる。
山田大橋を渡り終わってすぐに左折すると坂の下に網代橋が現れる。
網代

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網代橋のうえから秋川上流側

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たしかに山田大橋から上流側は渓谷の様相になっている。このあたり遊歩道もすでにないので網代橋を通る一般道を道なりにすすむ。
坂をあがって木立ちの途切れたところから秋川を望む

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対岸左側のほうはキャンプ場。このあたりはキャンプ場が川沿いのあちこちにある。
しばらく行くと五日市街道(都道7号)に近づく。街道に一旦出ていま来た方向に少し戻って新秋川橋を渡る。
新秋川橋のうえから秋川上流側

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橋を渡ると新秋川橋東交差点を折れ、五日市街道の旧道にはいる。途中岩走神社のところで川のほうへ下がっていく道があるのでそこへ入ると秋川の流れが木々の向こうに見え隠れする。
途中河原へ下りる路の上からみた秋川

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このあと旧道へそして新道へ復帰すると五日市橋のたもとに出る。ここまでくると道路の先に武蔵五日市の駅が見えてくる。
駅方向に進み、途中ひとんちの駐車場から見下ろす秋川

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ここで駅に出れば本日のゴールだが、先ほど見下ろした河原へ下りてみた。
駅前を西に少し行き「秋川渓谷」の看板のあるところを階段で下りる。秋川橋を渡る。
秋川橋のうえから下流側

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秋川橋

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橋の上流側は広い河原とバーベキュー広場であちこちで煙があがっていた。ので下流側の人の少ないほうへ
河原沿いの遊歩道から

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ここに見える川のなかの岩は人工的につくったコンクリート製。100mほど下流に行くと自然の河原のなかにこんな轍のような露頭が。

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最初なんでこんなふうになるのかわからなかった。どうも堆積物によるハムサンドの原理(勝手に命名)でできたみたいだ。最初にパン(砂岩か泥岩か幅のひろい灰色の部分)があり、その上にハム(細い筋になっている別の種類の岩石部分)が積もって重なり、さらにパン、ハム、パンと重なったあと、包丁で切って立ててみました的にできて、その切り口を見ているのではないかと。
そんなことを思いつつお腹もすいたので駅に戻る。

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 本日は15.5km。つぎは檜原村に向かって川を遡る。

 

miwa3k.hatenablog.jp