散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

荒川を歩く その12 〈左岸〉御成橋(鴻巣)から熊谷荒川緑地

荒川を歩くシリーズその12は、その8の続きとなります。
あちこちを不定に歩いている状態で、どの回とつながっているのか自分でもよくわからなくなってしまいました。でも、すき間(歩いていない)区間ができないようには気をつけてます。

今回はその8の目的地点とした、川幅日本一の標識が立っている橋、鴻巣市の御成橋(おなりはし)からスタートです。左岸を上流へ向かって熊谷市の荒川緑地までの区間を歩きます。
その8を書いた時は御成橋の下流側でポピー畑に花が咲いていましたが、今回は吹上運動場付近の河原がコスモス畑になっていました。結構間が開いたということですね。

今回も広くてのどかな河原の風景に加え華やかなコスモスもどうぞ。

御成橋の上流側から

f:id:miwa3k:20211027114145j:plain

その8での離脱地点、左側が御成橋。

ここの荒川川幅は2537mあるそうで橋詰に川幅日本一の標示があります。
ただし橋長は804.8m、残りの部分、道路は河川敷に川の流れと直角に造られた堤防『横堤』の上を通されています。
『横堤』は川が増水して河川敷にまで溢れたとき、水流を妨げて遊水池のようになり、水が一気に下流へ流れ下るのを抑える役目があります。しかし洪水をためるため、その分河川敷を広く確保する必要があるので横堤のあるところは川幅が非常に広くなるのです。

上の写真、目前の道は川の流れの方へ向かってます。途中で右(上流)方向に折れて河川敷をしばらく先へ進みます。

 

右折しました

f:id:miwa3k:20211027114153j:plain

正面は川の上流方向になりましたが、風景はさほど変わりません。

春にもう少し下流を歩いた時、まわりは麦畑が多かったのでここもそうかもしれません。

 

御成橋から1㎞ちょっとさかのぼり
荒川河川敷に入ってきた足立北部排水路

f:id:miwa3k:20211027114202j:plain

時々堤防の向こうから荒川に排水される農業用水路などが河川敷を通過しています。

左の方に御成橋の1つ上流側の道路橋『糠田橋(ぬかたばし)』が見えてきました。遠くの橋と水路の間はだいたい畑です。

 

糠田橋、下流側から

f:id:miwa3k:20211027114210j:plain

現在の橋の竣工は1987(昭和62)年、橋長は776.0mです。通る道路は埼玉県道76号(鴻巣川島線)、橋の先には横堤が伸びてその上を道路が通っています。
写真では橋の先が切れているようにも見えますが、横堤と橋梁の向きがやや異なるので接続部で道路が折れ曲がっているためです。

 

糠田橋上流側で荒川の流れと

f:id:miwa3k:20211027114219j:plain

この日はじめて見た荒川本流の流れでした。
このすぐ上流側で武蔵水路が合流しています。

 

武蔵水路合流点

f:id:miwa3k:20211027114228j:plain

奥を右から左に荒川、手前側白波立っているのが武蔵水路の水です。

武蔵水路利根川の水を荒川に導く導水路で、荒川で取水される東京都と埼玉県の水道水(原水)を供給する目的で建設されました。(工事完成は1967(昭和42)年)

 

同じく合流点付近

f:id:miwa3k:20211027114237j:plain

流入水量などは調べてませんが大量の水が流れ込んでいます。

 

武蔵水路を渡る橋が近くにないので荒川左岸堤防まで移動します。

荒川堤防と武蔵水路糠田樋管

f:id:miwa3k:20211027114247j:plain

2つの水路が合流しているように見えますが、右側が通常時に水が流れ込む自然樋管、左側は堤防向こうにある排水機場からポンプで強制的に水を排出するための強制排水樋管で、そちらは荒川の増水時など逆流の恐れがあるときに右のゲートを閉め、圧力をかけた水を左のゲートを開いて荒川に流します。

 

堤防の上から排水機場あたり

f:id:miwa3k:20211027114256j:plain

 

解説板撮影してありました

f:id:miwa3k:20211027114304j:plain

右上部分のみ読みます。

【糠田排水機場の役割】
武蔵水路の最下流は荒川に合流しています。平常時は「自然樋管」から荒川に水を流していますが、洪水時には荒川の水位が武蔵水路より高くなり、武蔵水路の水を流すことができなくなります。そのため、洪水時には「自然樋管」を閉め、糠田排水機場のポンプにより荒川の水位より高い位置にある水槽(調圧水槽)に水を揚げ、「強制排水樋管」から荒川に排水します。
※「樋管」とは河川堤防の中をトンネルのように通り抜ける構造物です。堤内地からの排水や河川水の取水等を目的とし河川堤防の効用を兼ね備えた施設です。

 

解説板のあった堤防上から河川敷方向

f:id:miwa3k:20211027114313j:plain

 

糠田排水機場から500mほど上流側堤防上から

f:id:miwa3k:20211027114322j:plain

堤防上は管理道路とサイクリングロード、右にカーブする堤防の先に見えるのは〈たぶん〉赤城山です。

 

さらに先へ歩いて行くと、堤防上からは建物裏側になってしまいますが
光酒造鴻巣蒸溜所

f:id:miwa3k:20211027114332j:plain

2020年にはじまったウイスキーの蒸溜所とのことです。まだ熟成中のため販売できるようになるまでに数年かかるという情報が拾えました。〈待ちます〉

 

そこからまた2㎞くらいさかのぼると河川敷がお花畑になってました。〈予定になかったのでらっきー〉

吹上コスモス畑(鴻巣市のページでは『荒川河川敷のコスモス』)(鴻巣市明用)

f:id:miwa3k:20211027114341j:plain

f:id:miwa3k:20211027114351j:plain

吹上総合運動場、コスモスアリーナに隣接した河川敷一帯にコスモスの花。風が強くて文字通り咲き乱れています。

f:id:miwa3k:20211027114359j:plain

ピンクと白はセンセーション、オレンジはブライトライト、淡いイエローはイエローキャンパスという品種だそうです。

ブライトライト

f:id:miwa3k:20211027114407j:plain

こちらはちょっと見頃を過ぎてました。

 

イエローキャンパス

f:id:miwa3k:20211027114416j:plain

 

センセーションと荒川土手

f:id:miwa3k:20211027114425j:plain

 

風に吹かれて大騒ぎの花でした

f:id:miwa3k:20211027114434j:plain

 

荒川水管橋と

f:id:miwa3k:20211027114444j:plain

橋のほうの解説ですが、1984(昭和59)年に完成した荒川水管橋、荒川と和田吉野川を一気にまたぐ長さ1100mは水管橋として日本最長です。送水管自体が橋桁を兼ねた構造、14連の赤いアーチとの美観などが評価されて賞を受けているそうです。

 

おまけで下から

f:id:miwa3k:20211027114454j:plain

シンプルかつ美しい、と思います。〈細かいことはよくわからないけど〉

右の方に少し写ってますが、その上流側には道路橋『大芦橋(おおあしばし)』が架かります。

 

上流側から大芦橋

f:id:miwa3k:20211027114503j:plain

この橋も荒川と和田吉野川をまたぎ、長さは1016.0mあります。(2つの河川がひとつの堤防の中を流れているのです。)通る道路は埼玉県道66号(行田東松山線)です。荒川の横堤はすでにこのあたり存在しないので川幅いっぱいに橋を架ける必要があり、橋長は長くなります。

 

大芦橋から約500mさかのぼり、
堤防上から河川敷方向

f:id:miwa3k:20211027114513j:plain

このあたりは河川敷が何かに利用されている様子はあまりありません。

川向こうに見える丸屋根3つは和田吉野川が荒川堤防内に流れ込む地点にある玉作水門の設備です。
荒川は江戸時代初期に流路の改変(荒川西遷事業)を行っていますが、熊谷市久下にて締め切った流れをこの付近で和田吉野川の流れと合流させる「付け替え」により、荒川の水が和田吉野川流路を流れるようになりました。(名称も荒川に変わりました)

玉作水門のある右岸側も歩く計画にしてますが、いつのことになるやら。

 

海まで70.0㎞地点に到達

f:id:miwa3k:20211027114523j:plain

大芦橋から1600mくらい、70㎞で切りのいい場所ではありますが特に何もない河原です。

正面一番奥に写っているのは浅間山かなと推測。山頂付近から出る火山のガスが雲となって一列に流れているように思ったので。〈確信は持てません〉

 

さらに500mほどさかのぼると鴻巣市から熊谷市に入ります。

熊谷市にはいるとすぐ、堤防の脇に元荒川の流れと旧中山道が現れます。(熊谷市久下)

f:id:miwa3k:20211027114533j:plain

堤防途中を横切る道が旧中山道、その向こう木々の合間から見える水面は元荒川です。

荒川足元の堤防は「久下の長土手」といわれ、古くからあるものだそうです。中山道は水害を避ける目的もあって少し高い場所を通したようです。
元荒川は江戸時代にこの付近で流路が締め切られる前の古い流路です。本流は変わりましたがこちら現在も通常の河川として流れています。

元荒川は全区間歩きました。〈その時のノートが6つもあるので熊谷付近のだけ〉

元荒川を歩く その6 熊谷に入って起点まで - 散歩の途中

ここからはしばらく左岸堤防に沿って旧中山道、元荒川が並行していきます。

 

が、再び広い河川敷に下りて少し歩いてみました。

河川敷内の道路

f:id:miwa3k:20211027114545j:plain

このあたりもほかの地域と同じで河川敷は農業用地として利用されています。でも耕作放棄地になってしまった場所も多くて畑の密度は低いかんじでした。(水田よりほとんど畑です)

《追記》ここ両側は麦畑で刈り取り後ほったらかしなのかもしれませんね。

そして道は荒川の流れにも近づかず(畑との連絡道ですから)、川面は見られないまま歩きます。

 

河川敷にこんな立て看板がありました。

f:id:miwa3k:20211027114555j:plain

ようこそ幻の村新川へ
新川村は戦後間もなく廃村になりましたが江戸時代のはじめの頃から三百年の間、五百人位の人々がここに暮らし、舟運や養蚕の村として栄えました。河岸には廻船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け舟が往復し、荷が着く日には大八車や馬を引く人達で賑わいました。又秩父山中から流した木材は筏職人たちが筏舟にして江戸へと運びました。
明治十六年、鉄道の開通で舟運は姿を消しましたが度々この地を襲う大水は豊かな土壌をもたらし良質な桑が特産となり、養蚕が盛んとなりました。やがて絹からナイロンなどの化学繊維の時代となり養蚕も廃れると、大水に追われるように人々はこの新川村を去っていきました。
荒川の瀬替えとともに生まれ、文明の進化により滅びた村新川。
私たちはここを幻の村・新川と呼びます。今、この地は荒川の遊水地であり、野鳥や野生の動物達の棲家となり、ここを愛する人たちの心のふるさととして息づいています。
新川菜園村と子ども遊びの森

分かりやすかったので取り上げてみました。

周辺、村の痕跡はほとんど残っていないようでした。唯一村はずれの石仏石塔群かもというのだけが。

 

まったく誰にも会わない河川敷から再び堤防へあがります。

海まで73.0㎞地点から久下橋(くげはし)

f:id:miwa3k:20211027114605j:plain

草の緑に埋もれてますね。

 

上流側から見返しても同じ

f:id:miwa3k:20211027114615j:plain

現在の橋梁完成は2001(平成13)年、通る道路は埼玉県道257号(冑山熊谷線)、橋長は778.0mです。
橋の構造形式は9径間鋼連続箱桁橋。(この周辺荒川に架かる道路橋はすべて箱桁橋だと思います。)

2003年までは木造橋桁と鋼製橋脚の冠水橋だった先代の久下冠水橋が残っていたそうです。

 

久下橋上流方から荒川の流れ

f:id:miwa3k:20211027114626j:plain

また久しぶりに水面が見えました。熊谷市内に入ってくると周辺一帯は〈薄べったい〉扇状地になっていて、荒川の川幅も少し狭くなります。とはいえ久下橋橋長800m近いですが。

 

堤防天端から74㎞標識

f:id:miwa3k:20211027114636j:plain

前方上流方向ですが、道の先に熊谷市街地が近づいてきました。

 

1㎞くらいさかのぼると現在は元荒川の源流のひとつにもなっている
埼玉県農林総合研究センターの裏側

f:id:miwa3k:20211027114646j:plain

になります。多数見える池は「熊谷市ムサシトミヨ保護センター」のもの、世界でこの周辺にしか生息していないムサシトミヨという魚の保護を行っています。

荒川の瀬替えが行われる前、流れはこのあたりから現在の堤防外側に出て元荒川の流路を流れていきました。
ちょうどこの真後ろ、堤防上に『建設省』の標柱があり、「海まで75㎞、水源まで94㎞」の文字が書かれていました。
ここまで歩いてまだ荒川全体の半分に達してません。〈水源までは行けないと思いますが〉

 

すぐ上流側は熊谷荒川緑地、この日のゴール地点に設定したところです。

荒川緑地運動広場から荒川の流れが間近に見えます。

f:id:miwa3k:20211027114656j:plain

f:id:miwa3k:20211027114707j:plain

下の絵、手前の流れのほかに中洲をはさんでその向こうにも大きな流れがありました。
遠くわずかに『荒川大橋』が見えます。

この日はそこまで行かず、手前の市街地で川から離れました。〈駅に近いので〉

 

離脱地点から荒川緑地

f:id:miwa3k:20211027114719j:plain

この先はこれから歩く〈いつ?〉ところ。

とりあえずここまでです。

 

前回その8

miwa3k.hatenablog.jp

 

最後に地図を置いておきます。(使いまわしですいません)

今回その12の足あとはワインカラーのライン