《中川を》散歩の途中ですが、ここで臨時の寄り道です。〈季節ものは早目に処理しないと…〉
あつぎつつじの丘公園へつつじを見に行き、それから飯山観音まで足をのばしました。
伊勢原にある大山(おおやま)、そちらへ向かうための道標は上に不動明王像を載せているのが特徴。
向こう側にある解説を読みました。
不動明王座像(道標)
この不動明王座像は道標になっています。塔身の正面には「左 大山道」向かって左側面 は「右 厚木道」右側面は「此方 飯山 八王子道」と彫られています。
この道は、明治末頃に現在の小金塚方面への道が造成されるまで、江戸赤坂見附から来る大山道と八王子道の交差する所でした。
大山参詣の人達は割地坂(現㈱ロジテム) の頂上で下糟屋宿へ向かう矢倉沢道と分かれ、この場所を通り咳止地蔵から大山へ向かいました。
ここは大山参詣者 飯山観音、八王子、 厚木方面へ向かう人達で賑わったことでしょう。
各面に彫られた文字はいずれもそれぞれの面に立っての方向と分かりました。
「此方」へ進み、それからしばらくのところ。
正面が大山
厚木森の里住宅地の遊歩道から。
はなみずきの木など
この〈案外長い〉遊歩道を1.5㎞ほど歩いてあつぎつつじの丘公園入口へ。
公園は地名では「厚木市森の里青山」にあります。市街地からは微妙に奥深い場所です。
駐車場付近
無料駐車場が3か所、150台くらい収容できるようです。
花は満開に近いものもあれば、咲き始め、盛りは過ぎたかなみたいなのも。種類によって多少の差があります。
アケボノというこの品種は見ごろでした
こちらも
上の方はまだ蕾が多いですが、枝の下の方から花が湧いてくる感じが印象に残りました。遠目に見ると緑の葉と白い花のグラデーションが絶妙です。
こちらは濃い赤
あとはランダムで
別の駐車場近くから
公園のつつじ、まだ数週間見ごろが続くと思います。(GW過ぎまで大丈夫そう)
つつじの丘公園をあとにして飯山観音への道で
シラー・ペルビアナ(オオツルボ)
以上2つはGoogleLens、あとは分かる。
シャガ
八重山吹
飯山観音に着きました
お参りしました。
観音堂の解説を〈GoogleLensに読ませて整形、ルビ削ってごめんなさい〉
厚木市指定有形文化財
長谷寺觀音堂(ちょうこくじかんのんどう)
昭和三十七年四月二十日指定
当山は飯山観音の通称で親しまれ、坂東三十三観音霊場第六番の札所です。この観音堂(本堂)は江戸時代に建立されたものと推定されます。正方形平面で、屋根は宝形造の銅板葺ですが、当初は茅葺でした。 向拝は当初からのものとみられますが、軒唐破風はのちに付加されたものと推定されています。 四周には木口縁を巡らし、擬宝珠高欄をまわしています。
観音堂の正面中央間とその両脇間は両折桟唐戸、両隅間は連子窓という古風な構えを見せ、側面も前一間を両折桟唐戸としています。
いわゆる「密教本堂形式」と呼ばれる仏堂の形式で、堂内は内陣と外陣が格子戸によって結界されています。 内陣は仏様の空間で一般の人は立ち入ることができません。 各地の観音霊場寺院などに多く見られる形式です。 外陣は、桟唐戸や連子窓を用いて地方仏堂らしい一面も見せています。 内陣には寛文十二年(一六七二)に飯山村の大工・西海半右衛門によって建立された一間厨子が安置され、その中に本尊の木造十一面観世音菩薩立像が納められています。
令和二年九月 厚木市教育委員会
鴟尾(しび)のついた山門
こちらも説明(右下)を
鴟尾(沓形ともよばれる)
棟飾りの一つ。
魔除けや火除けの目的から付けられたもので、飛鳥時代に瓦と共に中国から伝わった。棟飾りとしては最古の形式のもので、これが後に鬼瓦や鯱などに発展していった。形の意味は魚が水面から尻尾を出している様子とされる。
飯山観音入口から
帰り道
真っ赤なポピー
れんげと青い麦
きりがなくなるのでここまでにします。植物図鑑みたいになっちゃいました。