散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

綾瀬川を歩く その2 毛長川・伝右川合流点からさかのぼり草加松原へ

綾瀬川遡上記録、今回は東京から埼玉へとはいっていきます。
前回と同じ日の記録、桜も少し多めに出場予定です。

前回の続き、毛長川、伝右川が綾瀬川に合流するところから。
3河川合流点

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手前の護岸すぐ下が毛長川、水門から流れ出る伝右川、高い塔の向こう側を流れてくる綾瀬川

 

伝右川綾瀬川の間に桑袋ビオトープ公園、あやせ川清流館があります。
桑袋ビオトープ公園から(足立区花畑8丁目)

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かつての桑袋小学校敷地を公園、自然観察施設にしたものだそうです。

 

公園脇を流れる綾瀬川

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300mほどさかのぼると桑袋大橋、綾瀬川の都内もっとも上流側に架かる橋です。

桑袋大橋上から上流側

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前方をガス管橋が渡ってますがそのあたりから埼玉県に入ります。

 

桑袋大橋から250mほど先(八潮市西袋)

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同じく1000mほど先(八潮市柳之宮・草加市手代3丁目境界)

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3つの川が合流したあたりから周囲の風景にあまり変化がありません。住宅地域を流れる都市河川。

 

手代新橋上から下流の手代橋

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都県境から約2㎞さかのぼって現在は草加市街地の東、手代新橋を渡る道を1㎞ほどで草加駅という場所です。

 

川沿いに少しさかのぼったところに数本の桜がありました。

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手代橋から約800mさかのぼると八条大橋が架かっています。その上流側で古綾瀬川綾瀬川に合流します。古綾瀬川は現在の綾瀬川の旧流路です。

合流点付近の綾瀬川

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正面に古綾瀬川水門上部が写ってます。

 

綾瀬川旧流路(水門ができる前の古綾瀬川流路跡、今は水のたまった窪地ですが)とその左に現在の水門、桜の花といっしょに

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綾瀬川の流れ込んでくる方は両岸とも工場ですね

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綾瀬川の旧流路、現綾瀬川流路をここから2.5㎞ほどさかのぼった地点で古い流路が東の方へカーブ、そこから迷路のように蛇行しつつこの場所へ達していました。
地図を見ると現在も旧流路がところどころ残っていますが蛇行の激しさがよくわかります。

 

こちらは綾瀬川現在の流路、上流方向

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現流路は蛇行のはげしい旧流路のバイパスとして開削され、1683(天和3)年に完成しました。

それ以前、日光街道奥州街道)は千住・越谷間で草加東側の微高地を迂回していましたが、草加に宿場を設けて道すじを変えることが決定され、それにあたってしょっちゅう氾濫洪水を繰り返す綾瀬川を含めて大規模な土地改良を行いました。川筋の変更もその一環です。
個人の想像ですが、綾瀬川新流路を開削した土砂を並行する日光街道に盛って土手にしたのではないかと思ってます。

上の絵で左側の水門は隣りを流れる伝右川の放水路。(伝右川は綾瀬川とほぼ並行に流れています。合流点は本ノート最初の地点(足立区花畑)ですが、水位調整、逆流防止等のため綾瀬川との間に放水路が設けられています。)

これより上流側に札場河岸(ふだばがし)公園があり、桜並木になっています。

 

対岸、公園側へ渡って

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甚左衛門堰

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古い水門です。解説によれば「明治27年から昭和58年までの約90年間使用された二連アーチ型の煉瓦造水門」、堰の後方に伝右川、隣に先ほどの放水路現役水門があるのでその先代のものと思われます。

 

札場河岸公園というくらいで河岸の跡があります。

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江戸と草加の間の舟運荷物を積み下ろしした場所です。江戸時代中期から明治、大正にかけて綾瀬川には多くの河岸が存在したそうです。〈付近の解説要約〉

 

この付近からが『草加松原』です。

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建物は草加宿望楼、手前は松尾芭蕉と河合曽良だそうです。

 

川から下流をふり返って

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松原から旧街道にかかる『歩道橋』の矢立橋の一部、足元、谷古宇(やこう)橋上から〈そちらはごく普通〉

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左側、川に沿って旧日光街道です。

 

街道側からいったん対岸に渡って『まつばら綾瀬川公園』

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次のハープ橋を渡って街道へ戻ります

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欄干などに楽器のハープがあしらわれていました。〈なにゆえ〉

 

彼岸のソメイヨシノ

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次の『百代橋』を渡ってみました

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別にこれを渡らないと先へ進めないというわけではないのですが。

 

松の途切れるあたりから再び桜の並木

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何か、ドーナツのようなモニュメントがありました。

 

東京外環自動車道が横切るあたり

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いちばん高いところに外環道、その両側に草加北、南水門があり外環道を挟んで2本の水路で古綾瀬川旧流路とつながっていて水のやり取りをしています。(詳細は未調査)

 

外環道の先もちょっと地味になりますが桜並木が続きます

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槐戸(さいかちど)橋から上流側

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桜並木はこの橋手前まで。

渡って対岸(右側)へ。

 

少し先に『藤助河岸跡』

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こちらも江戸との間の舟運により設けられた河岸。手前を通る道は旧日光街道でかつては蒲生村(現在は越谷市蒲生愛宕町)の地域です。

河岸建物は近代風が混じってる気がしないでもないけど、というのも道路反対側には

『藤助酒店』というこちら

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現役の店舗ですね。

 

先の蒲生大橋からふり返って

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橋のたもと付近から『蒲生の一里塚』あたり

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大きな木のあたり、はっきりとした塚は確認できませんでしたが標柱や解説板などが立っています。小さな広場。

 

 

左岸沿いに旧日光街道の道すじからは離れつつ

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前方は『綾瀬橋』。

 

綾瀬橋を渡り、右岸再び草加市側へ戻りました

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次は前方東武線橋梁、そこまでがこの日の予定コースでしたがその先に立派な桜並木が見えました。

次に歩く頃には散ってしまうだろうと1枚だけ

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タイトルでは「草加松原へ」としましたがもう少し先まで行きました。

この先続きは日を改めて。

 

綾瀬川流路地図(見にくいですが)おいておきます。

その2区間は緑色のライン部分になります。

最終的には地図の「桶川市」と書かれたあたりまでラインが伸びる予定です。

続き

miwa3k.hatenablog.jp

 

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