前回まで歩いていた酒匂堰(酒匂川用水)の起点と文命用水の流末が接続されていることは前回ノートの後半に記しました。今回はその文命用水をたどります。
文命用水の水は酒匂川から取水されますが、その取水口は東京電力の発電用水路と兼用、住所的には神奈川県山北町平山にあってその直上には東京電力山北水力発電所があります。
今回はこの取水口まで足をのばしていないので過去分の記録から
2018年4月酒匂川を静岡県内から下って歩いていたときに足柄橋上から見た風景です。
山北発電所とこちら側は文命用水・東電水路(兼用)取水設備
正面向こうが東電山北発電所、斜面2本の鉄管から水を落として発電を行い、水は酒匂川に放流されます。しかしまだ勢いの残る水流は酒匂川の水も巻き込んで手前の文命・東電水路取水口へなだれ込むという格好になっています。(実際には酒匂川に堰があって水位をあげて取水してますが、眺めていると水勢で取り込まれているようにしか見えません)
取水口から300mくらい下ったところ
こちらも2018年の風景
下流方向をみてます。正面右にある除塵機と水門を通った水は送水管で地下を2㎞ほど流れ、次に顔を出すのは南足柄市内山
こんなところです。
水路手前にトンネル出口があり、その上にいます。
丘陵の尾根といったところを水路が通ってます。〈周囲より高い場所に水が流れるというのはよく考えると不思議な風景、人工水路のなせる技です〉
そのまま尾根伝いに
大量の水が音もなく静かに流れてます。
坂道を下ってその先へ歩いていくと
東京電力内山発電所
高い位置をキープしつつ流れてきた水がここで3本の鉄管から落とされて発電を行ってます。3つの発電機があるということです。ここでの高低差は約20mあります。
発電所出力は常時出力2200kW(最大出力3900kW)、運用開始は1918(大正7)年。
内山発電所から放流された水
正面が発電所建物、右は変電設備です。
もうちょっと下がったところから
水はここで写真左側の水門を通って左へ方向を変えます。
手前正面にも閉じた水門が見え背後の酒匂川へつながってますが現在はおそらく非常時用、開くことはまずなさそうです。
上の写真で左側にある水門側から
前方に長い橋(岩流瀬(がらせ)橋)の架かる酒匂川があります。手前右へ内山発電所から放流された水が方向を変えて流れ出ています。
ここが文命用水の起点です。
文命用水は関東大震災(1923)によって破損した酒匂川周辺の農業用水路を統合し、1931(昭和6)年に開設されました。
それ以前から存在した東電発電用水路に接続することで用水路に水を導入しました。その接続点がここです。
そのため東電水路と文命用水の酒匂川からの取水口(山北町平山)が兼用(共通)なのです。
ちなみにこちらの水門は福沢第一発電所取水口といいます。東電スタンスの名称ですね。これより下流にはあと2ヶ所水力発電所(福沢第一、第二発電所)があり、ここはその取水口という形になってます。
ひとつ上で右に写る橋の上から下流方向
文命用水として開かれた水路の起点付近。
水路はまっすぐ行って山に突き当たっているように見えます。その直前を内川という自然河川が山裾に沿って流れており、そこで文命用水は地下に潜っているようです。
文命用水水路を下に内山発電所方向を見る
水路左、下流方向へ少し行ったところで地下に潜りますがそこの詳しい様子はわかりませんでした。
代わりに見えたのは酒匂川合流直前の内川
魚道があります。堰というよりもわざと段差をつけている気もします。直下に文命用水が通っているので内川この部分をかさ上げしたのかもしれません。〈勝手な想像です〉
文命用水はここから700mほど地下を通ってます。
水路地下区間周辺を望む
山北町南足柄市境界に架かる新大口橋上から正面は酒匂川上流方向。
向こうの煙突左側から文命用水が地下に潜り、正面から左へカーブしている崖下を通ってこちらへやってきているはずです。〈なにぶん見えないので〉
見えている立派な崖は千貫岩といいます。江戸時代に酒匂川の水流を穏やかにするため流路を人為的に変え、千貫岩へぶつかるよう誘導したのだそうです。(ほかにも土手を築いたり様々な大規模工事がこのとき行われてます)
文命用水、次に顔を出すのがここ(南足柄市怒田)
上に右から「文命隧道」と記されてます。〈見にくいけど〉
神奈川県道74号道路上から、新大口橋の近くです。
背後、下流へ50mほど
また水門のようなものが見えます。向こう側に福沢第一発電所があり、その手前に置かれた除塵機設備のようです。
発電所建物などを下流側から
こちらの福沢第一発電所、水の落差は9m弱、水を落とす管などは見えません。(落差少なく発電方式が少し異なるようです)発電量は常時出力860kW(最大1460kW)となってました。運用開始は1931(昭和6)年、文命用水開設と同時ですね。
段丘上には建設当時からのものでしょう、門柱が残されてました
見にくいですが「福澤第壹發電所」と時代を感じる文字が記されています。
この背後酒匂川にある土手(堤防)は文命堤と呼ばれ、これが文命用水の名称にも引き継がれています。
江戸時代の治水工事に際し古い中国の治水の神といわれる禹(う)(称号が文命)を祀った「文命宮」をつくり、文命堤と呼んだのだそうです。
隣接する福沢神社に残る文命宮祠など
中央が文命宮祠。右解説から文命宮部分のみ
(田中)丘隅によって建立されました。古文書や岩流瀬(がらせ)にある文命西堤の祠を参考に台石・蓋石・笠石は推定復元されています。
福沢第一発電所から少し下って
発電所から下流側に一の堰、二の堰、三の堰と立て続けに3つの支流分水があって周辺一帯の農業用水として利用されています。
左はすでに支流の支流くらいになってますが、一の堰からの分水路と思われます。
こちらは用水本流
左に少し写っているのが取水門、三の堰か?
第一発電所から1㎞弱くだって
福沢第二発電所の上流側から(南足柄市班目)
左上が文命用水路、発電所前の除塵機などが写ってます。
右下を流れるのはどこかの堰で取られた小さな支流でしょう。
少し離れてしまいましたが福沢第二発電所下流側から
右奥に建物。
こちらも第一同様運用開始は文命用水開設と同じ1931(昭和6)年。常時出力は396kW(最大出力1030kW)だいぶコンパクトです。落差が7m弱しかないこともあり仕方ないですね。
発電所建物から左手前へ水路がのびています。
発電所後方から
やや小さめではありますが発電した電気の送電線と鉄塔もきちんとあります。
文命用水は福沢第二発電所まで来るとあと400mくらいで酒匂川への放流口になります。
酒匂川方向へカーブし新遠藤島橋の下を潜る
新遠藤島橋上から下流方向
右に2つの取水門があります。
手前が武永田用水、先が酒匂川用水(のちに酒匂川左岸用水を経て酒匂堰などになる水路)の取水口です。
こちらも農業用水が分水されているので文命用水の主な支流分水口は都合5つということになります。
ここまでで取られなかった水は酒匂川に戻されます。
最後の堰を通って川に戻される余水
すごい勢いでした。大量に水が余っているということになりますが、発電に利用しているので常時これだけの水が必要なのですね。
それにしてもまだこれだけのエネルギーが残ってます〈なんか違うな..〉
酒匂川へ還る水(南足柄市班目・開成町金井島境界)
以上が文命用水でした。
用水路延長は内山発電所下の水門から(昭和7年に開設された部分)は2.4km、山北町取水口からだと5.3km(地図で測定)です。
文命用水と酒匂川用水(酒匂堰)接点へ