散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べてから書くノート

茅ヶ崎鉄砲道から藤沢、大船へ歩く

9月に訪れた湘南方面のノートです。事前にあまり下調べなしに歩いて、消化不良気味ではあります。

足あと地図

JR茅ヶ崎駅から西の柳島へ、そこから東へ大船まで歩いています。

ノート最初は鉄砲道から。

 

◆鉄砲道

Googleマップを見ていたら茅ヶ崎東海道の南、湘南海岸近くにまっすぐ一直線の道路を見つけました。拡大して見ると「鉄砲道」という名前がついています。
何かいわれがあるのかと調べてみると

1728(享保13)年、江戸幕府は片瀬村(藤沢市)から柳島村までの海岸一帯に鉄砲場〈銃術鍛錬場、正式名は相州炮術調練場(そうしゅうほうじゅつちょうれんじょう)〉を設置しました。以後21年間は毎年演習が行われ、明治維新頃まで百十年間も存続しました。
 南湖の六道の辻から富士見町の平和学園付近まで東西に貫く道を「鉄砲道」と呼び、その道筋は、鉄砲場に沿うものだったといわれています。
(タウンニュース茅ヶ崎版 2014年5月30日号より)〈〉内は補足

歴史のありそうな道でござるなと、とりあえずほかにも目的があったので茅ヶ崎へ向かいました。

道の西側起点は相模川湘南大橋にも近い柳島からです。上の説明とちょっと食い違うけど、最近延長されたのです。

左、鉄砲道が国道134号と合流する交差点

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右側に見えている国道は背後で柳島交差点を経て湘南大橋を渡ります。
この日は左から合流している道を進みます。横断歩道の上に「鉄砲道」の標識があります。

 

左の道のさらに左側には隣接して柳島スポーツ公園があります。
柳島スポーツ公園入口

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最近できたようで、広い敷地にきれいな競技場、テニスコートなどがあります。

先のにぎやかな装飾の歩道を行きます。

 

ふり返って

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100mも行っていませんが、振り返った左側は”道の駅”工事中。柳島スポーツ公園も含め、広大な面積の敷地、昔は相模川の河川敷、砂や泥の湿地で使い道のなかった土地ではありましたが行政の力業で大きく変貌中です。

 

現在の鉄砲道は柳島側からならほぼ東方向へ直進します。起点、終点付近以外は急カーブはありません。

柳島から浜見平へ

道は浜見平団地の建物の間を通りぬけています

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浜見平から南湖へ

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南湖東交差点手前

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海岸線からはさほど離れていないですが、時々小さな勾配があります。大昔の海岸付近に積もった砂、土が堤防のように残った跡かと思います。

今回はろくに下調べもせず、たぶん古い道だろうと歩きはじめましたが、後で調べてみると道路が直線化されて今の形になったのは約20年前、古くはなかったです。
それ以前は旧道にあたる細い道があるものの、直線状ではなく、西側は上の写真、南湖東交差点近くにある六差路(六道の辻)にはじまっていました。(はじめの引用にもある通りです。)

 

現在の道、ところどころに「鉄砲道」の標識があります

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東海岸会館前交差点

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横切る道は加山”雄三通り”。

 

松が丘交差点、交差は”ラチエン通り

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サザンオールスターズに由来する”サザン通り”とも交差しますが、記録し忘れました。

 

茅ヶ崎市東海岸付近の鉄砲道

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この付近、旧道との分岐点に江戸時代の鉄砲場責任者であった佐々木卯之助記念碑があります。
卯之助は鉄砲場内で農民の耕作を許していたことが幕府の目にとまり、伊豆青ヶ島で流刑死。その恩恵に感謝し明治になって地元住民により記念碑が建てられたそうです。

一方、少し先の平和町に入ると「団十郎山の碑」があります。
かつて歌舞伎の九代目市川団十郎の別荘が付近にあり、その土地は19,800㎡、地元の人が”団十郎山”と呼んだとか、って碑にする理由がよくわかりませんが、きっと地元の人たちに親しまれていたのでしょう。

現代以前のものとして道路沿いに残っているのはこれくらいでしょうか。

 

さらに東へ歩いて行くと富士見町。

平和学園東側交差点の先

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以前の鉄砲道はすでにこの手前でほかの道と突き当たって終わりになっていました。
現在は新しい道が延長され、藤沢市との境界で県道との突き当たりまでのびています。

 

県道とのT字路、現在の鉄砲道東端

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横切っているのは神奈川県道30号(戸塚茅ヶ崎線)。正月の箱根駅伝のコースになる道路です。

 

県道を渡ってから鉄砲道を振り返り

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西端の柳島から藤沢市境界までの距離は約5.8㎞。
歩いた感触は、たしかにまっすぐだったなあと思いましたが、あまりうまく表現できてません。

 

◆辻堂から鵠沼、藤沢

歩いた距離的に物足りないので、鉄砲道はなくなりましたがさらに東へ歩きました。

藤沢市に入ると辻堂

辻堂海浜公園入口(2019年8月)

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8月にも立ち寄っていた辻堂海浜公園、そっちの絵を使いまわしちゃいます。

 

ただその時は台風接近中(2019年8月)でした。おまけですが、
辻堂海岸から江の島方向

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鉄砲道を歩いた日の風景に戻し

作橋で引地川を渡り、鵠沼(くげぬま)、藤沢八部公園へ入ります。
引地川、作橋

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公園の中にSLが飾られてました

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形式はC11、保存状態は良さそうです。

 

鵠沼の住宅地を歩き、藤沢へ入っていきます。

藤沢市藤沢、街中ですがひょろっと通る細地を歩いてます

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前の鳥居は”三藤稲荷”とのこと。

 

旧東海道藤沢宿近くに出てきます。

藤沢橋交差点

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これを左方向へ行くと藤沢宿の中心、停車中のバスの後方は江戸方面への道が続きます。

正面奥に遊行寺の屋根が少し見えています。

 

玉縄城址から大船へ

この日は藤沢橋を渡って江戸方面へ、途中で右折して滝山道といわれる道路へ入り、玉縄城に向かいました。

滝山道というのは藤沢から大和、町田、相模原を経由して八王子に至る道で、八王子にある滝山城と大船の玉縄城を結ぶため、戦国時代にひらかれた道といわれています。(藤沢宿西側が滝山道はじまりとも言われることもあります)
滝山城玉縄城どちらも小田原北条氏の守備拠点でした。

現代の藤沢市東部あたりの滝山道は神奈川県道302号(小袋谷藤沢線)。特徴ある道とは言い難く、という感じではあります。

県道302号線

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切通しにして勾配をゆるくし、車も通れるようになった道が鎌倉市へ入ります。

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玉縄城址は向こうの大きなマンションの周囲です。

 

県道から外れて細い道へ入ります

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途中急坂を上がりました。ここも含めて古い道かどうかはわかりません。

 

Wikipedia玉縄城#遺構に「周囲の砦を含め、かつては広大な城域であった。昭和30年頃までは比較的多くの遺構が残っていたようであるが、昭和38年(1963年)に清泉女学院中学高等学校が城跡に移転して以降、その多くが破却された。近年玉縄城の保存活動が行われ、史蹟の指定を目指しているものの、住宅建設の折りに遺構が出てきても保存されるには至っていない。近年まで陣屋坂上の郭などに土塁が残っていたが、現在は宅地化により痕跡程度の土の高まりが見られる程にしか残っていない。また竪堀が複数残っていたが、トンネル横のマンション建設により破壊された。」と散々です。

Wikipedia:玉縄城にひととおり解説があるのでそちらを参照くだされ。

ja.wikipedia.org

 

清泉女学院裏門のひとつが玉縄城址への入口

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本丸跡は校内。門右には「玉縄城址」と書かれた案内板もありますが、見学は学校の許可がいり、平日の日中のみとのことです。

 

先へ進むと七曲坂、本丸へ至る道の一部が残されていました。

坂の上からの眺め

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坂の上と言っても本丸跡はさらに急勾配の上、かなりの傾斜地に築かれた城です。

 

下りて行くと

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さらに

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この崖の上に城があったようです。

いちばん下までおりると正面に玉縄城主の菩提寺であった龍寶寺が、こちらは今でも残っています。

 

そこへは寄らず、大船へ。

大船フラワーセンター入口前を通りました

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以前は県立大船フラワーセンターだったような気がしますが、いつの間に企業名が。

 

大船軒

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大船駅駅弁の製造販売などを行っている会社の建物を見つけました。鯵の押し寿司とか、ここでつくってるんですね。
手前が工場、その向こうも大船軒、歴史ありそうな建物にはレストランもあります。

この先へ行くとJR大船駅で、この日はここまでです。

 

あまり予習せずに歩いた湘南あちこち。下見ならともかく、まとめるならもう少し事前に下調べ、ですね。