これといって目的なく徘徊しました。撮った写真を見返していたら何枚か紅葉と花がきれいなのが混ざっていたので軽くまとめることにしました。
例によって時系列で並べてます。
海老名駅の北側にはららぽーと海老名、その横の通り名前は『エビーロード』。
右ららぽーと左エビーロード
(どうでもいいですけど、エビーロード入口交差点信号機上のアルファベット表記は"Ebi Road Ent."でした。海老)
《海老道》から別の道路に移り北の方へ
酒蔵入口の看板があらわれました
中央の屋根がかけられた古い石塔は大山街道でよく見かける、上に不動明王をのっけてる道標っぽいです。傷んでて詳細はわかりませんが。
引き寄せられて、こちらが入口。
泉橋酒造
時間が早く、見学〈というより試飲ですが〉はまだできないようでした。
とんぼのラベルの『いづみ橋』は最近都内などでもわりとよく見かけます。
酒蔵うしろの田んぼ
酒造所の前を通ってから見ると酒米もここでつくっているのかと思ってしまいますが、実際この周辺でほとんどの原料米を栽培しているとのことです。(ここに写っている田んぼはそのひとつらしい)
また、テキーラ醸造にも乗り出すのかとか〈それは冗談〉
だいたいこの一帯は田んぼだらけではあります。
相模川沿いに出てきました。
畑の端に咲いていた菊
晩秋から初冬の頃は花の種類が乏しいですが、菊はよく目立ちます。
向こうは大山、丹沢。横浜西部や相模地区から見える山風景といえばこれと言っちゃっていいくらい。
川沿いの歩道を歩きつつ。
微妙に色の異なる紅葉
相模川で西側へ進めないので東寄りに方向変更、相模野(相模原)台地へと上がります。
その手前の野辺にて
段丘へ上がる坂道の上、ちょうど『勝坂遺跡公園』広場の真ん中に出ました。
段丘崖の上は縄文時代の人の生活拠点でした。ここは国史跡の重要な遺跡ですが訪れたのははじめて〈それも偶然〉です。
園内案内図の説明抜粋
国指定史跡勝坂遺跡は、縄文時代中期(約4500~5000年前)の代表的な集落跡です。大正15年(1926)に発見された顔面把手付土器などの造形美豊かな土器は、この時代を代表するもので、「勝坂式土器」として広く知られています。《後略》
かつての集落跡が現在細長い形の公園広場として整備されています。その所々に説明板が置かれていますが、縄文集落という雰囲気は少し乏しかったです。
公園端のほうには復元住居が2つ
ひとまわりして退出。
今度は相模原の台地上を歩きます。
しばらく歩くと畑の中に大きな照明塔が見えてきました。
JリーグSC相模原のホームスタジアムです。こちらもはじめて間近で見たのですが、設備はかなり大きく見えました。〈写真がいまいちだな〉
収容人数は15300人、陸上トラックもあるのでより大きくなっちゃうんですね。
スタジアムの先は相模原公園。
黄葉は銀杏、手前はオリーブでしょうか。
木の種類によってはすでに冬の装い
花壇なんかは華やかです。
これ、実は壁だけのはりぼてです
日本風もはりぼて
でもなんか面白い。
紅葉も
下、いぬ友の集会中でちょいとじゃま。
公園の外には大きな池があります。
ここは相模原沈殿池といい、横浜市水道局の施設です。相模川で取水した原水をここで滞留させて水中の砂、土など不純物の沈澱処理を行うところで、ダムの扱いになってます。なので見えているのはダム湖ということになります。
そしてこちらは沈殿池近くにある相模原浄水場のフェンスと並木
のぞいてみるとわりかし神々しい何か
そしてちょっと先へ飛んで
淵野辺公園の入口あたり
下側、写っている通りの名前は『銀河東通り』。たぶん近所にJAXA宇宙科学研究所があるからだと思います。
地図見ると研究所を取り巻いて銀河北通り、銀河西通りもありましたが南通りだけ行方不明です。
何だかこのへんで集中力が途切れたようでこの先写真がありません。ここまでとします。
以上、エビーロードから銀河東通りまでの散歩でした。