リヨンの街歩き(1) ベルクール・旧市街・フルヴィエールの丘を巡る 2025年フランス旅行記 その2

日本を出発してリヨン(Lyon)のホテルに到着したのは前日真夜中
一夜明けて、少し雲は多いけれど天気は悪くなさそうです。

この日はリヨンの旧市街、フルヴィエールの丘、クロワ・ルース(クロワ・ルッスとも)の丘などを巡りましたが、まとめは1回に納まりきらないので少しずつ。

 

自分の頭の中を整理する意味も含めてリヨンの地理歴史などを最初に少し書いておきます。(だいたいWikipediaのコピペですから必要なければ適当に読み飛ばしてください)

リヨンはフランス南東の内陸部に位置し、パリからの距離は約400㎞
北東から流れ込むローヌ川(le Rhône)と、北から流れ込むソーヌ川(la Saône)がリヨンの南部で合流する。
ソーヌ川の西側は石畳の街並みの残る旧市街で、フルヴィエール(Fourvière)の丘の上にはリヨンの象徴であり繊細な内部装飾で知られるフルヴィエールのノートルダム大聖堂が建つほか、丘のふもとには司教座聖堂のリヨン・サン・ジャン司教座聖堂(Cathédrale et Primatiale Saint-Jean-Baptiste)も建っている。
ローヌ川の東側はクレディ・リヨネ(Crédit lyonnais、フランスの銀行)のクレディリヨネ・タワーを(現在の名称は)La tour Part-Dieu(パール・デュ―タワー)を筆頭に近代的な建物が並ぶ地域である。そのさらに東には、新興の住宅地域が広がっている。

歴史的にはローマ帝国のガリア属州の植民市ルグドゥヌムとして古代から栄えた物資の集散地で、中世には市の立つ町としてヨーロッパでも有数の交易地として栄えた。
商業都市であり、古くから金融業が盛んで、現在も多くのフランスの銀行の本店が置かれる。
また織物、特に絹織物の産地でもあり、19世紀前半にヨーロッパ最大の絹織物・繊維工業都市となった


最初に向かったのは『ベルクール広場(Place Bellecour)』
ローヌ川とソーヌ川に挟まれたプレスキル地区(Presqu'île)にある広場です台座の上はルイ14世の騎馬像、向こうに見えるのがフルヴィエールの丘、その上に見える象徴的な建物はノートルダム大聖堂でこのあと向かいます。

木の支柱に様々な色の帆布(?)をまとわせた壮大なオブジェで広場全体が飾られていました


こちらは広場のすぐ外側

「星の王子様」と作者のサン=テグジュペリの像サン=テグジュペリの生家がベルクール広場のすぐ近くにあるのだそうです。

ベルクール広場にはリヨンの観光案内所(Office du Tourisme)があります。
観光用の地図を貰ったり、情報収集の目的もあって訪れました。
また、観光案内所のなかにはリヨン近郊出身の有名な料理人、ポール・ボキューズ(Paul Bocuse)の銅像があります。〈隣りに座っていっしょに記念写真が撮れたりしますが、恥ずかしいのでこちらへの公開は見送りヨン..

 

広場近くの交差点から信号の先は歩行者専用道、両側の建物は1階が商店などになってます。
こちらプレスキル地区を含めたリヨン中心部の建物は5、6階建てで統一され、パリあたりとも似ていますが、表通りに面した側面の装飾はひとつひとつ個性があってより華やかな感じがしました。

 

ベルクール広場から西へ歩くとほどなくソーヌ川のほとりに出ます。

ソーヌ川左岸から対岸左に見えるのはサン・ジョルジュ教会(Église Saint-Georges de Lyon)
その背後にフルヴィエールの丘、その右上にノートルダム大聖堂

左(下流)へちょっと行くと歩行者専用の赤い吊り橋が架かってます。
サン・ジョルジュ教会前へつながるパセレル・アベ・ポール・クチュリエ(Passerelle Abbé Paul-Couturier)1853年、最初の架橋時はパセレル・サン・ジョルジュという名称でした。
一時破壊され、同じ形で再架橋後現在の名前になったようです。

橋の途中から上流方向向こうの橋はボナパルト橋、その先にやはり歩道橋パセレル・デュ・パレ・ド・ジュスティス(Passerelle du Palais de justice)、斜張橋の赤い主塔が少しだけ覗いてます。

こちら吊り橋主塔下の台座にかもめのレリーフがありました

この橋を渡ったところはリヨン旧市街の南の端です。ソーヌ川沿い少し北の方向へ歩きます。

古い建物、せまい通りの間で何気なく撮った1枚は
ローラン・ムルゲ(Laurent Mourguet)の胸像でしたローラン・ムルゲ(1769-1844)はリヨンに生まれ、絹織物の職工から行商人となり、客寄せのために人形芝居を始め、1804年には人形芝居を職とするようになる。ギニョールという名の主人公の活躍ぶりが労働者の支持を集めたが、現在では子供向けの人形芝居として演じられ、その人形劇全体もギニョール(Guignol)と呼ばれるようになった。(すいません解説は某所からのパクリです)

後ろはいわゆる薬屋ですが、店名は「リヨン旧市街ファーマシー」

こちらはその先の商店風景花屋さんとスーパーマーケット〈フランス語ならスーペルマルシェ〉

もう少し行くと駅に着きます。

メトロとケーブルカー(フニキュレール)のVieux Lyon(オールド・リヨン)駅地下にメトロ、地上は丘にあがる2本のケーブルカーの駅となってます。

ここからフルヴィエール行きケーブルカーで丘に上がります

 

これは下るときに使ったもう1路線の車両

 

ケーブルカーは5分ほどでフルヴィエール駅に到着、途中はほぼトンネルです。

駅から出ると目の前がフルヴィエール・ノートルダム大聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourvière)でした。
大聖堂含め周辺はリヨン歴史地区の一部として世界遺産に登録されています。

こちら大聖堂のファサード

この大聖堂は1872-1896年にかけて街を見下ろす丘の上に建てられ、街のいたるところから見ることが可能です。
建築様式はロマネスク、ビザンチン2つの建築様式の特徴を持っています(パリのサクレ・クール寺院と同じ形式)

 

まず中央の入口から内部へ


入口付近から奥(内陣)方向

右側から入口と左の壁

左側廊から右壁右(入口側)を向いているのはガイドの方だと思います。建物の塔へ上れるガイドツアーもあります。

建物中央付近から前方

左壁ぎわの側廊から前方


とても感動したので、もう1枚追加


大聖堂につながる形でチャペル(Chapelle Saint Thomas - Sainte Marie)があります。

そちらへの通路からふり返る形で

チャペル背後から


チャペルの脇から外に出たところ金色の聖母マリア像をいただくのはチャペルの塔です。

 

こちらはチャペル裏側から大聖堂ごしにリヨン市内の眺めになります方向としてはだいたい東です。
正面はクロワ・ルース地区の丘のふもとあたりでしょうか

こちらはリヨン市街地方向すぐ下にソーヌ川、川の手前2つの橋の間にリヨン・サンジャン教会
ソーヌ川の先、ローヌ川との間はプレスキル地区、ローヌの先高層ビルがいくつか見えるのはいわゆる新市街パール・デュ―地区です。

 

次に大聖堂の反対側(北側)にまわってみます。

いったん正面に戻って
大聖堂ファサード前のライオン像このライオンは大聖堂の守り神でしょうか

さらに階段下へおりると1つ👆のライオンの前足の先に写っていた"Jean-Paul II"(ヨハネ・パウロ2世)の像が左に

建物の右後ろに見えるのは電波塔(Tour métallique de Fourvière)、ラジオ、テレビ放送や無線通信にも使用されているそうです。
形がパリのエッフェル塔の先端部に似ているといわれます〈個人的にはちと微妙かな〉。
街なかからも大聖堂とともによく目立ちます。

 

北側から見た大聖堂4つある塔のうち3つの塔〈1つは先の十字架だけですね〉

再びフルヴィエールの丘から東、リヨン市街方向の眺め


大聖堂主塔の1つと天使(大天使ミカエル)の像

塔の上から天使の像と市街地をいっしょに写した写真はリヨンの象徴的な風景としてあちこちで見かけます。
今回塔には上がらなかったのでこの位置からだけになりました。

 

フルヴィエールのノートルダム大聖堂はここまで

とりあえず1回休憩してもう少しフルヴィエールの丘を巡ります。