代田から豪徳寺、世田谷を歩く

羽根木公園で梅を見ていた続きからです。

前回はこちら

miwa3k.hatenablog.jp

羽根木公園の梅(世田谷区代田)『中国野梅』の札がかかる、控えめに咲きはじめた白梅。

 

羽根木公園南側から外へ出ると

再び北沢川緑道に出あいました三宿の三町橋跡で横切った川跡の上流、緑道をずっと歩いてきたなら2キロくらいの距離でしょうか。

ここで90度向きをかえると小田急線梅ヶ丘駅前羽根木公園に梅林があるのでこの駅名かと思ったら逆で、梅ヶ丘駅があるので公園に梅を植樹したのだそうです。

 

だいぶ前に歩いたことのある北沢川緑道、駅前から松竹橋までわずかな距離ですが歩きました。

松竹橋上だったはずの位置から緑道、上流方向を見て(世田谷区梅丘)

ここで左折
次は彦根藩井伊家江戸の菩提寺、招き猫でも有名な豪徳寺に向かいます。

いまいる位置からはお寺の真裏に出てしまいます。開いている入口はないので正面の山門までまわりを半周。

 

途中のこちらは東門門のあちこちに井伊家の家紋、丸に橘(『彦根橘』とも)、井桁があります。〈あまりよく写ってないのもありますが〉

 

表の参道入口、石門から(世田谷区豪徳寺)参道は松並木になってます。

 

参道から山門

 

大谿山(だいけいざん)豪徳寺山門扁額には「碧雲関」の文字。
こちらも井桁と彦根橘の家紋が屋根にあります。〈境内の建物あちこちにあります〉

豪徳寺が招き猫でも有名なことは海の外まで伝わって、海外からの観光客もたくさんおりました。

山門右端にほとんど見切れている案内を、日本語部分のみ

大谿山 豪徳寺(曹洞宗)
寛永10年(1633年)にここ世田谷が彦根藩の所領地となり、既にそこにあった文明12年(1480年)に建立された「弘徳院」を、彦根藩主井伊家は江戸菩薩寺と定めた。その後、万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至る。
それは、江戸時代の大名墓所の形態をよく保存し、江戸周辺では最大規模の国指定史跡となっている。そこには仏殿、灯籠、鐘楼は創建当時のもので、広大な敷地内に法堂、開祖堂、書院、招福殿、三重の塔、地蔵堂、種月園(枯山水)や井伊家歴代の墓があって、世田谷を代表する古刹でもある。
また、この寺には、2代藩主井伊直孝が鷹狩りの折、住職の愛猫「たま」の招きで、落雷を逃れたという伝説があって、豪徳寺の「招き猫」は幸運を招くとされ、家内安全、商売繁盛、心願成就を願う招福殿への参詣客が多い。
なお、豪徳寺の境内(1万5千坪、約5万㎡)には四季折々の草木があり、梅・桜・牡丹・つつじ・アジサイや晩秋の紅葉などが楽しめる。そして石門から山門に至る参道の松並木、さらに野鳥が飛び交う奥深い森林もまた見所である。

 

山門入ってすぐ右へ

地蔵堂と梵鐘右の地蔵堂は2020(令和2)年落慶。
左の梵鐘は1679(延宝7)年鋳造され、以来ずっとここにあります。美術的にも高い評価があるそうです。

鐘楼に少し近づいて


そして山門入って正面にあるこちらは
仏殿

正面の篆額「弎世佛」、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。

 

仏殿を正面に見てその左手には三重塔こちらも落慶は2006(平成18)年と新しい塔です。

 

仏殿右手には庫裏、書院建物があります塀の向こうは「種月園」庭園、茶室があります。

 

庫裏の横からこちらの建物、現在はお寺の受付になってます。招き猫購入はこちら
庫裏、書院は旧佐倉藩堀田家江戸屋敷建物を関東大震災後に移築したものです。

 

こちらが法堂(本堂)この建物も比較的新しいです。

 

そしてこちらは招福殿の門前、招福猫児(招き猫)像


門を入って招福殿

 

その左サイドに
にゃー

👆一番下、気づきましたか?ウサギが紛れ込んでます。

 

再び仏殿前から

このへんでそろそろおいとま

 

参道にて

石門まで戻り、南へ歩きます。

 

再び川跡の遊歩道に出ました

豪徳寺橋跡この川跡は烏山川、三宿の多聞寺橋のところで横切った川(烏山川緑道)の上流側です。(多聞寺橋からは3.5㎞ほど)

こちらもすこしだけ緑道を歩き

 

世田谷線上町駅近くへ出ます(世田谷区世田谷)

踏切渡って直進

左折してボロ市通りへ「世田谷ボロ市」が開かれているときは賑わいますが普段は静か。

 

もうちょっと先に行くと

世田谷代官屋敷表門門を入ると国重要文化財に指定されている代官屋敷主屋があります。
〈門が閉じていたので中へ入れないと思い込んでしまいましたが、受付のある脇の入口から入れるようで..〉

代わりに左下石板の文字を読みます

重要文化財 大場家住宅
この住宅は、大場家7代六兵衛盛政が元文2年(1737)と宝暦3年(1753)の2度にわたる工事によって完成したものであります。大場家は、元文4年(1739)から幕末まで彦根藩世田谷領の代官職を世襲したのでその役宅としても使用されていました。
江戸中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主屋及び表門の2棟が、昭和53年1月21日国の重要文化財に指定されました。

門右側には
「都史跡世田谷代官屋敷」、世田谷のボロ市解説


ボロ市通り沿いの竹垣

上は主屋の屋根がわずかにのぞいてます。

 

そろそろ日も西に傾いて、集中力も途切れてきたのでこの日の散歩は終了にします。

 

4回に分け、見た目も長い散歩となりました。