散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

秦野盆地の北縁を歩く

神奈川県唯一の盆地、秦野盆地北側のへり、山地との際を歩いてみました。
これまであまり訪れる機会のなかった場所ではあります。

スタートは秦野盆地西側に位置する小田急渋沢駅
北口デッキ上から北の丹沢方面

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秦野盆地は少し斜めに置かれたお盆で、東より西側が、南より北側が高くなっています。つまり北西の縁がいちばん高いということになります。これは丹沢山地から流れてくる川が礫、土砂を運んで扇状地になっているためです。

まずその北西の縁あたり、お盆の中でいちばん高いところに向かって歩いていきます。

 

駅近くの住宅地をぬけるとさほどきつくはないですがずっと上り坂が続きます。
西側を流れる四十八瀬川に近い道路を歩いています。(流れは見えない)
秦野市堀西・須賀神社手前

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その先、新東名高速の工事現場

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22年3月に伊勢原大山ICから新秦野ICまで開通予定で、その区間内です。

伊勢原から秦野までの山沿いの地域、長くこの道路工事で大型車両の通行、道路の閉鎖がいたるところにあった事が足の向かない原因でしたが、とりあえず秦野までは工事一段落ですかね。(でもサービスエリアの建設工事はまだ続くのか)

 

新東名の少し先から丹沢方向

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ふり返って南側

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北側から南を眺めると逆光になってしまいますね。木々の向こうに秦野市街地、さらに先は渋沢丘陵、大磯丘陵、いちばん遠くには相模湾もちらりと。

この周辺で標高は約300m、丹沢の山々に比べればまだまだ低い。

 

その先でひとつ小さな川(沢)を横切ります。名前もわからず、この時は水もありません。
実はこれ『消える川』なんです

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背後の山裾の湧水が流れとなり谷を刻んでいるのですが、この先2kmほど下ると忽然と姿を消してしまいます。水が見えなくなるだけでなく、刻んだ谷も跡形なく消え、痕跡は何もなくなります。

川は小規模とはいえ谷を刻み、それは長い期間ここに流れが存在した証拠です。
おそらく昔から、川の痕跡がなくなる地点で水はすべて地中へ吸い込まれ地下水流に変わるのだと想像しています。砂漠地帯などでは途中で消滅する川がありますが、日本では珍しいのでは⁇

以前この流れを追いかけてみようとしたことはあるのですが、近寄りにくい場所がほとんどで諦めました。

 

また少し先へ。

若干強引ですが、このへんが盆地のいちばん高いところでしょうか(秦野市堀山下)

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GPSで記録された標高は330m程度になりました。

歩く方向はこのあたりから東へ、山裾をたどります。
すぐ、秦野戸川公園にはいります。

 

公園入口の大倉バス停など

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大倉は以前より丹沢登山の拠点でしたが、1997年、一帯に県立の大きな公園が開かれました。

公園の中央を水無川が流れ、そこにランドマークとなる吊り橋が架かっています。橋を渡って対岸へ。
風の吊り橋

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橋の上から水無川

上流方向

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ちょうど山あいから出てきたところの流れ。左側は公園のBBQサイト。

下流方向は水がありません

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特に冬場は文字通りの水無川です。ちょうど橋の真下あたりから地下へ伏流しているようです。

秦野盆地は水が浸みこみやすい扇状地でもあり、先ほどの消える川なども含めて大量の水が地下を伏流、地下水となっています。そして盆地中央部などで再び湧き出していて、市内には多くの湧水群が存在します。

 

つり橋を渡ってふり返り

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四阿の付近、わずかに紅梅の色が混じっています。
今年は花の訪れがいつもより遅い印象があります。(訪問は2月上旬)

 

対岸、公園の続きですが「はだの丹沢クライミングパーク」、いつの間にかこんな施設が。

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ボルダリング、昇っている人がいるのわかりますか?

 

公園の外れまで来て

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正面は三ノ塔登山道、ここは右へ折れて先へ。

 

山、方向

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山へ向かって何もないように見えて目の前にはゴルフコースがあるわけです。

 

茶畑

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やや急な坂道を下るとまた新東名高速の工事現場にぶつかります。
すごい砂ぼこりでした

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遅れて開業するというサービスエリアの工事現場かと思います。この日は強風というわけでもなし。

 

山側は澄んでます。
左が三ノ塔、その右に接して二ノ塔〈だと思ってますが自信なし〉

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3月開通予定の新東名、秦野丹沢SIC近く

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下をくぐって新秦野IC方向を見る

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葛葉川から

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新東名は葛葉川の東でトンネル。こちらはその手前の道路をさらに東へ。

 

秦野市羽根付近から南西方向

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すでにお盆の底近くまで下りてきてます。正面向こうに長くのびる盆地南側の壁大磯(渋沢)丘陵、その奥には箱根なんかも見えてます。手前は茶畑。

 

目の前が田畑、平らなところへ下りてきました。
秦野市西田原付近

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集落の中、石垣の間から湧水

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こちらも湧水

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西田原から東へ進むと東田原。

源実朝首塚

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解説板の文字起こし

秦野市指定史跡 源実朝公御首塚
                昭和四十六年七月二十六日指定

ここは、若くして非業の最期を遂げた鎌倉幕府三代将軍源実朝首塚と伝えられている。 実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝北条政子の子として生まれ、建仁三年(一二〇三年)二月に 十二歳で鎌倉幕府三代将軍となり、建保六年(一二一八年)十二月、武士として初めて右大臣となった人物である。
実朝は、建保七年(一二一九年) 正月二十七日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣した際に、二代将軍頼家の子、公暁により命を奪われた。『吾妻鏡』には、首のないまま埋葬されたと記されており、首を持ち去った公暁が討たれたのちの首の行方について は一切触れられていない。
多くの謎の残る事件であるが『新編相模国風土記稿」(一八四一年)の東田原村の項に「源実朝墓 村の中程に在 塚上に五輪塔建り 承久元年(一二一九年) 武常晴 実朝の首級を当所に持来り」という記述がある。この武常晴は、三浦半島地域を本拠地とした御家人、三浦氏の家臣であり、のちに一族は現在の当市寺山に移り住んだといわれている。なお、ここからほど近い金剛寺には、源実朝像が安置されている。 実朝はまた歌人としても名高く、私家集に『金塊和歌集』がある。歌碑に刻まれた和歌はそれに収められた一首であり、近代を代表する歌人のひとりである佐佐木信綱の筆によるものである。

ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも
  あはれなるかなや 親の子をおもふ

秦野市教育委員会

 

隣りは田原ふるさと公園、公園と塚の外側から

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山側へ少し行ったところに湧水があり、周囲は水田になっていました。このへんは湧水が至る所にあります。
水の湧く場所は生で見ている分には美しいのですが、写真におさめるとなんだかいまいちになることもよくあります💦

 

代わりに少し高いところから周囲の風景を

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近くを山から下って来たばかりの金目川も流れています。
金目川橋から下流方向

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川の東側、台地上には『波多野城址』、伝承では平安時代末期の武将(源義朝に仕えた)波多野義通の築城、以来波多野氏の居城とされていますが城の痕跡となる遺構が発見されておらず、源実朝首塚付近の東田原中丸遺跡が屋敷跡とされつつあるようです。〈何せ古い話で〉

 

金目川東隣りにも谷間

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わりと広い谷ですが目立った水の流れがなく、思うにこれはかつての金目川流路かと。様々な地形のダイナミックな変化があった秦野です。

 

その2つの谷の間の台地に古い道が残っています。大山へ向かう道のひとつだったようです。

残された石碑など

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手前の石に貼りつけられた解説文から

古道解説
坂本道は、落合から寺山の横畑を経て、いより峠を越え坂本(伊勢原市大山)に通ずる道路を称した。この道は長さ33町(約3,500m)で途中横畑付近には500mにも及ぶ杉並木があり、野猿が出没して旅人を慰めたという話もある。この並木も明治維新後には伐採されてしまったが、県道として大正末期ごろまで主要な役目を罘してきた。今では時代の変化により次第に昔の面影が失われつつある。
秦野市

出てくる地名がローカル過ぎて私にもよくわかりませんが、この付近を江戸時代『蓑毛通り大山道』が通っていたのでその道なのかもしれません。

 

その古道から見える大山

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この道に入って秦野市街地のほうへ向かっています。すでに帰り道、そろそろ本日の終点へ。

 

国道246号高架下から山方向

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すでに秦野市街の住宅地に入ってきています。

 

金目川下落合橋から

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前方は秦野盆地東側に位置する弘法山

 

秦野駅前、水無川に架かるまほろば大橋たもとからスクランブル交差点信号待ち中〉

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水無川、この日は駅前あたりも水なしでした。

本日ここまで。