散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

毛長川をさかのぼった先で流れを見失うがまた芝川へ出る しだいに謎となる川歩き その3

前回、垳川、綾瀬川と歩いてきた続きになります。綾瀬川、毛長川、伝右川との合流地点から毛長川に入ってさかのぼりつつ歩きます。

毛長川最下流鷲宮橋から綾瀬川合流点方向(前回再掲)

 

鷲宮橋の1つ上流側、大鷲さくら橋から上流方向

川面に漂うのは桜の花びら、惜しくも花筏まではいかないのは

まだこのとおりですから

草加市瀬崎、毛長川沿いの桜。

 

花瀬橋の上から下流方向、文教大学あだちキャンパスの北側

ごく最近右岸の足立区側に大学キャンパスができ、それに伴い護岸も整備され、新たにかけられた花瀬橋の上から。
大学キャンパス側には水辺近くに広場も造られています。
ちなみにキャンパスと反対側はお菓子の『ひよ子』の工場があります。

 

ひよ子から300m弱上流では旧日光街道水神橋(みずがみばし)、さらに200mで国道4号草加バイパス長堀橋

水神橋は古い橋

こちらは旧日光街道筋でかなり昔から橋があったと思います。

かつての毛長川は『毛長堀』または『毛長落(おとし)』と用水路排水路でよく使われる名称で呼ばれていました。昭和40年代の地理院地図でもまだ毛長堀が使用されています。
草加バイパスは1967(昭和42)年完成のため、橋名が毛長「堀」橋なのでしょうか。

 

水神橋の上流から右岸足立区側に『武蔵野の路・舎人コース』という歩道が断続的にあるのでそこに沿って歩きます。この歩道は垳川の足立区側にあった歩道の続きでもあります。
武蔵野の路舎人コースから

先に東武線橋梁がありますが、それを越えると左岸側に支流の辰井川が合流。

合流点の水門2つ

向こうの門が通常時[開]、増水時向こうを[閉]めこちら排水機場から強制排水、という方式なので水門2つですね。

毛長川も先で横から本流に合流しているのですが、ここと大きく違うのは「本流」に現在は水がないこと。どういうことかはまた先で。

 

これより先はしばらく低層の住宅地域、風景の変化はあまりありません。
だいたいこんな風景が続きます。
(相変わらず川を東京埼玉の境界が通っているのですが、以下の地名はGPS位置情報を基に表示されたものを使ってます〈こまかいですね〉

足立区東伊興付近

 

草加市新里町付近

 

足立区舎人・舎人二つ橋上から

〈舎人=とねり、です一応〉

 

舎人二つ橋たもとから日暮里舎人ライナーの端っこが見えます。

都営交通って都境界近くまでは行きますが境界をめったに越えないですね。こことか西高島平とか...

 

舎人二つ橋から200mほど

左が毛長川。

私がこの右側建物脇の自販機で飲み物を買おうとしてた時なのですが、不意に裸足でまわし一丁のお相撲さんが建物角から現れました。ちょっとびっくりしました。ここ境川部屋の建物だったんですね。〈自販機のポカリ、500mlで120円と安かったです〉

 

さらに200mくらい行くと毛長川と見沼代用水(みぬまだいようすい)の交差があります。見沼代用水は江戸時代(1728(享保13)年)に開かれ、埼玉県行田市利根川から取水され途中で2本に分岐、東は東京都足立区、西は埼玉県川口市まで伸びる大規模な灌漑、農業用水路です。
このあたり2本ある用水の東縁(ひがしべり)水路がここ(足立区舎人4丁目付近)で交差します。サイフォン方式で見沼代用水の水が毛長川下をくぐる立体交差ですが大部分の水は毛長川へ合流しています。
かつては見沼代用水が毛長川の上を掛樋(水路橋)で越えていたそうです。

交差地点を下流側から

見える流れは毛長川、流れの中央に四角い堰があり、向こう側から見沼代用水からの水が毛長川に合流しています。その上に架かる砂小橋を右へ渡った先に見沼代用水の東縁水路が続いています。また砂小橋のすぐ向こうに舎人橋が架かります。

 

2つの橋の間から見沼代用水東縁の水路

 

舎人橋上から合流点方向

水がずいぶん濁って、てのは置いときまして。左方向から見沼代用水、一部は地下を通って右側へ通過していくようですが、見えている水は向こうへ方向転換して毛長川と合流、かなりの水量です。右、水がずいぶんは後方から流れてくる毛長川本流。

 

同じく舎人橋上から

右向こうへ見沼代用水下流側は暗渠でした。現在は都内に入って水は使用されておらず、排水されるばかりではあります。

 

毛長川この上流はすぐに遊歩道となっていましたが現在護岸工事中。

少し先から以前の歩道が復活

途中首都高速川口線を横切りつつ1000mほど小さな土手上に歩道が続きます。

狭いものの歩道上はきれいなのですが、川の水は淀みぎみで濁ってます。

足立区の境界まで来たところで歩道が途切れます。

なお、明治後期の地図によれば見沼代用水の交差部より上流の毛長川、『中居堀』の名称が記されていました。首都高川口線下に架かる橋は『中居橋』でした。昔は両岸水田が広がっていたようです。

 

川口市内へ入ると川の周囲は工業団地。

毛長川を渡る道路、江戸橋

〈作業中の人がおられました、失礼〉

この周辺、地名が江戸、江戸袋といいます。かつて江戸袋村が存在したということくらいしか情報得られませんでした。

 

江戸橋からさかのぼること900m、高土手橋から上流方向

この両岸、増水時の水を流し込む調整池になっています。近くにあった解説板を読むと調整池の底は海水面より低いようです。ここにたまった水は毛長川に戻さず、地下水路で近くの新芝川へ送られてそちらでポンプアップして放水されるとのことでした。
調整池の底面はテニスコートになってました。そちらから見ると川は高い土手の上にあるので橋の名前が『高土手橋』でしょうか。

 

これを越えて先へ進むことわずかで毛長川の流れる方向が大きく変わります。

流れの先に仕切り(川口市赤井・三ツ和境界)

毛長川は仕切り手前で右に折れています。
仕切りが無いとしたら、先から流れてくる川に合流しているようなかんじで、先ほどの辰井川合流点と似ています。

 

右側毛長川が流れ込んでくる方向を見て

この上流1㎞強で2つに分かれ、そこが毛長川の名前のはじまる点です。それより上流へまた1~2㎞で大宮台地の末端、赤山といわれる周辺が源となっているようです。

今回はそちらへ辿りません。

 

先ほどまでの川の延長方向へとりあえず進みます。
毛長川が流れ込む20mほど先(川口市赤井1-1)

桜の並木〈いつの間に葉桜とか..不思議な〉

 

木がなくなる先へまわると

蓋をされた水路がありますがこちらは河川ではありません。

ここからが『謎の川歩き』となるのですが。

もう面倒くさくなっちゃったのでねたバレさせますと、古い川跡をここから辿ります。その古い川跡を形成したのは現在の『入間川』です。
例えばWikipedia::入間川、芝川、毛長川などのページにもその事が書かれています。
今の流路とは相当異なりますが、国土地理院の治水地形分類図を見るとその河道がはっきりわかり、最後は綾瀬川と合流して現在の垳川、小合溜を経て江戸川につながっていたこともわかります。

毛長川などは古い入間川へ合流していた川のひとつだったのですね。主流が無くなって今は単独で流れているということになります。
そんな河道をここまでたどってきました。この先も、現在の入間川との分岐点だったところまで川跡をたどっていきます。

ところでこの〈古〉入間川の流れはいつ頃まで存在したのでしょうか。
一説によればってやつですが、1596(慶長元)年の関東大洪水を機に関東代官頭伊奈忠次によって現在の荒川・入間川合流点付近に堤が築かれて途中流路が締め切られたとあります。それで現在のさいたま市川口市、都県境あたりの流れがなくなったようです。

 

かれこれ400年ほど前のことだからでしょうか、専門家が調べればまだはっきりした川跡が残っています。わずかな土地の窪みなどもあちこち残っているようで、現在観察しつつ歩いてみるとその跡を勝手に小川が流れたり、小さな用水路として利用されたりと痕跡を見かけることもできました。上の毛長川延長上の小水路もそのひとつですね。

 

さてこの先は国土地理院の治水地形分類図に描かれた川跡に沿って、現在の道路上を歩いていきます。そろそろ長くなってきましたがもう少しだけ。

川跡は先の暗渠水路と同方向に進み、川口市三ツ和2丁目付近で県道34号線上に出ます。道路沿いに旧鳩ケ谷市役所前などを通過したところで南西方向に蛇行します。

県道34号線旧鳩ケ谷市役所手前このあたり川跡

 

蛇行していたあたりで細い道に入るとそこにも小さな水路がありました。(このあたり水路が大変多いのですべてが昔の川跡に由来するものかまでははっきりしませんが。)

川口市辻・岩槻街道を西に渡った歩道橋の端から

 

暗渠水路上にあった鳩ケ谷市のマンホール蓋

鳩ケ谷市は川口市と2011年に合併しました。

 

川跡の水路を追っていくとしだいに幅が広くなり、新芝川に流れ込んでいました。
新芝川の北側、歩道部分が水路

先に見える勾配の先が新芝川千歳橋。現水路は新芝川に放流されているようですが、新芝川は1965(昭和40)年に完成した新しい流路(放水路)です。古入間川流路は新芝川流路を横断し南側で蛇行して方向を北向きに反転、現在旧芝川と新芝川が分岐する青木水門付近で芝川流路に入ります。

 

ここは律義に新芝川南側にまわって歩きましたがこれといった痕跡は...

足元は由来不明の水路暗渠(川口市鳩ケ谷緑町2丁目)

正面わずかに見える新芝川の堤防。

 

新芝川と旧芝川が分岐し、ほかにも川が合流している青木水門付近にまわります。

説明しやすい写真がないな...
青木水門と左旧芝川、右へ新芝川の堤防土手

現在は正面奥から芝川が右へ新芝川となって(水見えないですが)流れています。新芝川は1965年完成の新しく開かれた流路でその前は正面の少々古ぼけた青木水門部分を通って左へ芝川の流れがありました。さらにその前はこれより何キロか上流で芝川と古入間川が合流し、現芝川流路をここまで流れ、上の写真の足元付近を通って背後へ古入間川が流れていました。そのころは左への旧芝川も存在しませんでした。

 

見る位置を変え
青木水門を前方に、芝川(左)・竪川(手前)合流点

入間川は現芝川流路を流れていたので左からきておそらくこの付近で堅川と合流し、新芝川、旧芝川は存在せず、青木水門左側あたりから堤防の向こうへ流れていました。

ここから上流に向かってはしばらく芝川の流路が古入間川です。

 

青木水門から1300mほど、境橋手前から芝川

現在の芝川を青木水門から3㎞ほどさかのぼります。その中間付近になる位置ですがいったんここで刻みます。

 

芝川は昨年春に一度新芝川経由で歩いてます。このあたりを歩いた時のノート

miwa3k.hatenablog.jp

 

今回登場する河川流路など

 

続きのその4

miwa3k.hatenablog.jp

 

その1と2

miwa3k.hatenablog.jp

 

miwa3k.hatenablog.jp