散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

古い入間川川跡をたどる その3 武蔵浦和駅前から芝川流路へ

2022年4~5月に『古入間川』川跡を辿った記事内容を改訂、再構成しています。
前回、さいたま市南区の武蔵浦和駅まで来て駅前が昔は川跡だったことまでを改めて書き直しました。

続けて先(下流方向)へ進めます。

 

今回のスタート地点
㊶JR武蔵浦和駅東口デッキ上から
正面うす緑のラインが入った壁が武蔵野線ホーム、この背後に埼京線ホームと駅東口があります。
川跡は駅西口から東口へ出てこの真下を通過、正面歩道から武蔵野線ホーム下をぬけて先へのびていました。

 

今回も歩いた川跡近辺を中心に情報を地理院地図の治水地形分類図に反映しました。

〈クリックorピンチで拡大〉

毎度の説明ですが
・青い点線で挟まれた内側が古入間川河道の範囲
・黄色で示されているのが自然堤防、オレンジ色は台地段丘
・緑系は低地
・古入間川跡を現在流れる河川、水路の一部はラインを強調
・赤地丸囲み数字は写真撮影位置、記事中写真と番号対応(㊿以上フォントが存在しないので以降(51)(52)…)
地図凡例掲載してましたが今回お休み

 

古入間川は武蔵浦和駅付近で東への河道跡が残っています。そこを400mほど行くと白幡沼があります。
㊷白幡沼

ここは沼の奥へ谷戸地形、古入間川とは別の水流がこちらに向かってあるのでしょう。
かつてこの沼からの水は古入間川へ入っていたと思われますが、現在は付近の別所排水路から笹目川に接続されて荒川へと注いでいます。(笹目川も人工河川)

 

古入間川河道は白幡沼付近で台地縁にぶつかってカーブ、台地の舳先をサインカーブのように蛇行を繰り返してしばらく進みます。

㊸白幡沼の東側、地蔵堂付近(さいたま市南区白幡1丁目)
足元道路は河道内、北東方向見てますが大宮台地の先端部で先が高くあがってます。

㊸ほどなくやはり台地縁下でJR武蔵野線の下を潜ります
ガードを潜る道路から右側が河道跡です。

 

潜った先はしばらくこれといったものはなく1㎞ほど南東へ進みます。
国道17号(中山道)まで出てきた河道がカーブし東へ向かうところで水路が顔を出していました。

㊹辻用水と六辻水辺公園(さいたま市南区辻1丁目)
見沼代用水西縁の末端(川口市小谷場)から分岐した用水路、「辻用水」が流れ、そこが遊歩道として整備されています。

この背後(下流)の辻用水は一部区間が暗渠になり国道17号、旧中山道付近が終点になってますが、その先暗渠で笹目川につながっているようです。辻用水の流れは古入間川と逆方向ですね。

 

しばらく古入間川河道跡の〈元〉湿地帯南縁に開削された辻用水を歩きます。
㊺水辺公園遊歩道から(さいたま市南区文蔵4丁目と3丁目)


遊歩道は案外長く、歩いた範囲だけでも1㎞以上ありました。

 

その先辻用水路と古入間川川跡はJR線路と交差します。
㊻南浦和陸橋の上から川跡が横切るほうを見て
左の大きな鉄塔と電線の下あたりが川跡です。〈痕跡はありませんが〉
下は宇都宮、高崎、京浜東北線などが通る東京から北への大動脈、先に車庫(車両センター)もあって線路たくさん。

そしてこの線路を境にさいたま市南区から川口市にはいります。

 

古入間川河道跡は南浦和陸橋の東側で大宮台地の先端部にぶつかって蛇行し南、続いて東へ流れの方向を変えています。
南へ下る途中、見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)の末端であり辻用水などの起点となる場所を通過します。

㊼見沼代用水西縁末端(川口市小谷場)

背後から見沼代用水西縁。ここから流れがいくつかに分かれ、青い水門ゲート先へ新曾用水、正面向こうへ辻用水がはじまります。(他の水路は省略)

背後へ少し移動したところから
下は見沼代用水西縁、前方次の橋がその末端です。見沼代用水西縁の流れは古入間川河道と一致しません。

 

古入間川河道跡に沿って先へ移動、とはいえ何も痕跡は見つけられない区間がしばし続きました。

㊽東京外環自動車道の遮音壁を前方に(川口市芝塚原2丁目)

左の道路が河道跡の中央を貫いてますが特記事項はありません。

東方向へさらに約800m
㊾河道跡を交差、横断する形で水路が現れました


水路は戸田用水、この付近は現在遊歩道が整備されてます。
戸田用水は見沼代用水西縁から分水し灌漑用水として開かれました。具体的な時期は不明ですが古入間川が流れた時期よりはずっと後になります。

古入間川河道跡、このあたり現在痕跡はほとんどみつかりませんが古い地図では河道の川幅に等しく水田となっていたことがわかります。

そんなところ、河道の中央付近を伝って細い側溝が今も通っているのを見つけることができました。
㊿産業道路(県道35号)芝宮根交差点近く蓋がけされた暗渠(川口市芝)

東のほうへそのまま追いかけていくとごく細い側溝に変化

流れとしてはこちらが上流でしょう。この流れも古入間川と逆です。

 

そのまた東側、河道跡を横切る、現役の河川が現れます。
(51)緑川(川口市本前川)
流れは古入間川河道と直交していますが、緑川は江戸時代以降に開削された灌漑用水路なのでここも2つの流れが同時に存在したことはないのですね。

 

緑川から東へ500mほど行き、北から芝川が古入間川河道に入ってくるあたり
(52)古入間川河道と自然堤防の境界付近(川口市本前川2丁目)
道路前方がほんの少し(1mくらい)高くなっています。手前が古入間川河道跡、先が自然堤防の微高地と見ていいような気がします。(治水地形分類図でもこの地点河道跡と自然堤防の境界)

 

さらに東へ200mほどで芝川・網代橋のたもとへ出ます。
芝川は上尾、桶川市内などにいくつか源流をもつ自然河川です。南へ流れてさいたま市の見沼田圃領域などを通り、川口市に入ってこちらへ流れてきます。

(53)網代橋から少し下ったところからふり返り(川口市前川3丁目)
見える流れは芝川、前方網代橋。

網代橋付近がかつて古入間川と芝川の合流地点、左側から古入間川が流れ込んでいました。合流地点といっても芝川は江戸時代享保年間(1716~1736)頃の見沼干拓事業に伴う河川拡張工事まではごく細い流れしかなかったようなので、古入間川にとっては取るに足らないような川の合流だったかもしれません。

芝川の河川拡張などが行われた江戸時代はすでに古入間川の流れはなく、この下流は古入間川河道を芝川が単独で流れています。
ただし芝川は途中の(現)青木水門付近から南方向へ新たな河道(旧芝川河道)を形成して荒川へ合流するようになりました。(現在はまた新芝川が開削されてそちらが芝川本流です)

河道の変更は見沼干拓事業に伴う人工的なものなのか不明ですが、旧芝川河道両岸にも(大河の流路に沿って形成される)自然堤防地形が見られるので古入間川が現在の旧芝川河道を流れていた時もあったのではないかと思っています。

青木水門付近から東(北東)方向へのびる古入間川の明瞭な川跡がありますが、旧芝川河道は江戸との通船路として利用しやすいこともあり、こちらの河道流路を見沼干拓事業時などに再整備したとも考えられそうです。

 

網代橋から青木水門まで約3㎞、古入間川河道跡を流れる芝川に沿って下っていきます。
ちなみに古入間川河道は現芝川河道よりも幅広く〈同じくらいの場所もあるな💦〉、かつてはもっと大量の水が流れていたと考えられます。〈現地では芝川を古入間川に見立てて歩いてましたが〉

(54)上根橋脇の歩道橋から芝川(川口市上青木6丁目)

 

(55)境橋の下流側から(川口市上青木5丁目)

(56)青木水門が遠方に見えてきた(川口市上青木2丁目)
下流方向見てます。芝川(左)・竪川(手前)合流点、先の右に青木水門。
現在合流した流れは正面前方へ新芝川として先へ下っていきます。

 

ここでいったん休憩します。

 

その1,2

miwa3k.hatenablog.jp