引地川を歩く 旧東海道引地橋から遡って源流へ 【その1】 藤沢市編

久しぶりの川歩きは久しぶりの引地川(ひきじがわ)。

神奈川県大和市上草柳の「泉の森」に源を発し、洪積台地を浸食して谷底平野を形成しながら南流。藤沢市稲荷付近から湘南砂丘地帯へ流れ出て、藤沢市鵠沼海岸の湘南海岸公園から相模湾に注ぐ。(Wikipedia:引地川から抜粋)

川の全長21.3km、自分の記録を見ると2017年に河口から源流まで一気に歩いていました。

今回は旧東海道藤沢宿の西方にかかる引地橋からさかのぼって源流まで歩きます。〈8年間の体力の衰えを実感〉
(記録のほうは2回に分け、その1は藤沢市内〈ちょっとだけ綾瀬市〉、その2大和市内とします)

 

最初は現在の旧東海道のようす藤沢市藤沢4丁目付近、東海道藤沢宿を背後に西の方向を見ています。(このへんは宿場の西はずれだったようです。)

のちに国道1号だった時期もある道路ですから拡幅整備等あって今はこのような道路状況。

同じく旧東海道引地橋東詰から鵠沼海岸の河口から流れを4㎞ほどさかのぼったところです。

引地橋上から上流方向川にかかるのは水管橋

 

左側へ渡って前方へ行くとすぐに現在の東海道
国道1号(藤沢バイパス)引地川橋


その下をくぐるとすぐに柏山公園
銀杏の落ち葉


その先高名橋を渡って左岸へ

上流方向見て(藤沢市稲荷)前方を横切る大庭大橋は右方台地上から下り勾配で左方低地を通る県道へ接続、途中引地川も高架で越え

 

大庭大橋の次、城下橋上流側は支流の小糸川合流点左が小糸川、引地川はこれより上流側しばらく「引地川親水公園」

 

公園にはいって少し高くなったところからの眺め手前に引地川、対岸の大庭遊水地は工事中(?)。
向こうに見える台地上には大庭城址(現在は大場城址公園)があります。

大庭城について城址公園の案内から

大庭城は、平安時代の末期(12世紀末)、大庭荘(おおばのしょう)を本拠としておこった関東平氏の雄、大庭氏の拠点であったと伝えられますが、明らかな記録はなく、室町時代中頃(15世紀後半)になって、扇谷上杉定正の執事太田道灌が、本格的な築城を行ったとされています。
その後、上杉朝良のとき、北条早雲によって攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、大庭城は、廃城となったようです。

 

1300mほど続く引地川親水公園


上流(北)側端の公園入口付近から川の下流方向を見て


こちら新石川橋から上流方向前方横切るのは横浜水道引地川水道橋


潜った先で東方向相模川寒川堰で取水した上水道原水を横浜戸塚の小雀浄水場に送っています。水道管はほぼ全区間地下を通ってますがここだけ土地が低いので地上に姿が現れてます。

 

そこから1000mほどさかのぼった
石川岡田橋の親柱装飾はカタツムリ(藤沢市石川)自転車歩行者専用橋

その上流左側に見えている合流は「一色川」

近づいて一色川は藤沢市葛原女坂台付近に源流がある長さ約4.3㎞の小河川
合流点周辺は最近改修されて橋も架け替えられてました。

 

東山田橋上から石川堰(藤沢市円行、石川境界)水が白く泡立つ段差上に堰(たぶんゴム堰、この時は閉じてぺたんこになっている)があり、膨らまして水位を上げ右側水色ゲートを開くと周辺田畑に水を送れるようになっています。

その先にちらりと見えてますが

横須賀市水道局送水管こちらの名称は引地川水管橋、横須賀市上水道用の水が逸見浄水場へ送られてます。ちなみにこの導水管内の水は相模川水系で取水されたものです。

 

さらに400mほどさかのぼったところ

不動川合流点(藤沢市円行)不動川は近くの日大湘南キャンパス付近に源流をもつ小さな河川。引地川の左岸に合流するのはこの川くらいしかないはず(ほとんどの支流は右岸で合流)です。

このあたりから上流はしばらく住宅地が続きます。

 

円行新橋たもとから上流方向先に見えるのは円行大橋

この付近から川の右側(左岸側)地名は湘南台。

 

いくつか橋を通り過ぎ、湘南台高校の脇を通過するとその上流側に大きな遊水地が現れます。

上河内橋上から下土棚遊水地下流端少し前まで遊水地造成工事が行われていて川の水が激しく濁っていたときもありましたが、ようやく工事にめどがついてきたようです。ほじくり返していた遊水地の底も公園に整備されつつあるようです。

引地川と下土棚遊水地公園の一部

 

広大な遊水地、上流側はまだ工事中の箇所も残っています


工事区間は川に近寄れませんがその範囲を過ぎるとまた流れを見ることができました。

工事区間との境界、六会橋上から上流方向すぐ先で引地川に蓼川が合流しています。左側橋が見えるのが支流の蓼川(たてかわ)

この川の合流点近くで昔から氾濫など水害が多かったらしく、巨大な遊水池が計画されたとのことです。

 

👆で写っていた蓼川・蓼中橋から見た合流点合流点付近も河川改修工事が続いています。
右端にみえるのが六会橋

左奥側の引地川をさかのぼります。またしばらくのどかな風景が続きます。

 

藤沢総合高校手前の引地川堤から上流方向(藤沢市長後)左が高校校舎

現在校舎のある一帯は代官山遺跡と呼ばれ、旧石器時代から縄文、古墳時代の土器、石器、住居跡、古墳、横穴墓などが発掘されたそうです。

 

この周辺、川に大体等間隔で小さな橋が架かっています。

そんななかでこんな橋が

長後中分橋(ちょうごなかわけばし)

以前この付近を歩いたときにはあといくつか同じ形態の橋が残っていたのですが、現在はこれひとつだけしか確認できませんでした。〈あとは架け替えられたか取り壊されてしまったようです。想像するにこの付近の小さな橋は以前はみんなこの形だったのでは、戦中あたりに架けられて強度もなかったのかなと〉

 

無骨な長後中分橋から500mほど上流

長後堰(ちょうごせき)(藤沢市長後)この右側に広がる水田などに農業用水を供給するための堰です。

手前川のなかにゴムラバー製の堰があります〈ゴミが引っ掛かってるのではないですよ〉。これを膨らませることで水が堰止められて川の水位があがり、右手のゲートをひらくと川の外側へ水が導かれます。先に見た石川堰と仕組みは同じです。

先に見える白い橋は長後堰橋。
長後堰橋の100mほど上流の大山橋から先で引地川は藤沢市から大和市に入ります。

 

長くなったので市境のここでいちど刻みます。
次回、引地川大和市編に続けます。