何やら漠然と美しいタイトルになってますが、『中央』という文字を補うとどこからどこへ歩いたか分かるかもしれません。(でも近所の人限定かな)
地味に徘徊の記。
『泉』はここです。
〈横浜市泉区和泉中央南〉、泉に和泉、中央で南とか、ツッコミどころのある地名…
泉区役所がこの近くにあります。
だいたい北西方向へ歩き始めました。
台地の上、先は下り坂、こういうところはだいたい先に川が流れてます。(猫には逃げられました)
神社の鳥居
「村社飯田神社」の文字がありました。
しばらく行くと境川の流れ
境川は名前のとおり、どこも市区の境界になってます。ここは横浜市泉区と大和市、右側は大和市のいちょう団地。
この川沿いには良好なサイクリングロードがあり、自転車で走る人も多いですね。
その団地をぬけると上り坂、境川西側の段丘へ上がります。
上り坂途中から来た方を
台地に上がって平らなところは戸建ての多い住宅地が続き、しばらく行くと
小田急江ノ島線踏切から(大和市渋谷)
向こうに小さく高座渋谷(こうざしぶや)駅。
平安時代の頃という相当古い話ですが、この一帯は相模国高座郡の渋谷氏一族の本拠地でした。
その領地は現在の東京渋谷区周辺にもあったことからあのあたりも「渋谷」と名前がついた、とどこかで聞きました。(谷地形だから「渋谷」という由来ではなさそう)
現在の知名度は完全に逆転してますね。
また西に向かって歩いていくと下り坂となり、その先は引地川。
福寿橋のたもとから(大和市福田)
のちほど大和市内、引地川源流の「泉の森」に入ります。
川を渡ると再び台地に上がります。
今度はその周囲に住宅はなく、畑や空き地、グラウンドなどが連なる、ちょっと殺風景なところです。
下福田スポーツ広場上空
この一帯は米海軍厚木基地、厚木飛行場滑走路の延長上にあたり、住宅などが建てられない領域だと思います。
滑走路のほうへより近づくと広い公園になっています。
遠目に見るとひとつの大きな公園ですが、
公園内の市境界フェンス
中を長く緑のフェンスが通ってます。こちら側が綾瀬市、向こうが大和市、一応何か所かは行き来できますが、これぞほんとに行政の柵(しがらみ)。
公園の名前もかたや綾瀬スポーツ公園、かたや大和ゆとりの森。やることが大人げない…
公園の北端から飛行場の滑走路
こちらは飛行場なのでフェンスは仕方ないですね。
正面には自衛隊の航空機が駐機中。
公園側にも進入灯設備がのびてます
公園から出て綾瀬市内に入ってあるきます。
綾瀬大橋を渡ります
下を蓼川(たでかわ)が流れています。
川が削った谷間が深いけれど幅はせまいので、ここは橋を架けて一気に渡ってしまう作戦が使えるようになった頃できた橋梁です。
渡ってさらに西側、今度は比留川が流れ、また川筋に小さな谷間ができています。今回はここで方向を変え、谷筋を北へ進みました。
川の谷間を横切る高速道路、向こうで段丘に上がる一般道と防音壁は傾斜を上がって。
その後、別の場所で自分もこの段丘上にあがるのですが
ここはミスチョイス、上がった先↑でまた下る↓はめになりました(綾瀬市寺尾北2丁目)
ここは相模野台地の上に座間丘陵が突き出している場所、突き出した分だけ高く上がらなければならなかったというわけです。(まあ、些細なことではあります。)
坂を下りて海老名市東柏ヶ谷。ここには用水路跡が歩道に化粧直しされていました。
相模原畑地かんがい用水路跡
相模原の津久井分水池から藤沢市方面まで相模野台地上の畑地かんがい用に整備された用水路とのこと、その一部です。現在は使用されておらず、たぶん下は暗渠でなく埋められていると思います。
相鉄線さがみ野駅付近まで歩道を伝い、今度はさらに東へ、厚木飛行場滑走路北側延長線上付近まで。
そこは再び大和市、泉の森公園に入ります。
公園南側、駐車場付近から
文字通りの森林公園
引地川源流の池
最初のほうで通過した引地川、その源流となるのがここです。こちら源流の水は水道水としても使われ、井戸からの汲み上げがおこなわれてます。
以前、引地川を歩いてこの森まできたことがありましたが、源流の池の存在を確認してませんでした。
森の小径
入ったのと反対側が公園への正式?な入口
森から出て、今度は北へ歩きました。
周辺の開発、宅地造成時、碁盤の目状に道路が敷かれまっすぐな道がのびています。
南側のほう
電柱の表示は〈大和市西鶴間八丁目6〉。
細い道ですが、車の通行が案外ありました。
住宅地内を先へ進む
大和市南林間七丁目20
コミュニティバスの停留所名は〈中央林間西3丁目〉
この(わりと)まっすぐな道はこの先にあるゴルフ場にぶつかって行き止まりとなります。
延長は2.5㎞程度で、やたら長いというわけでもありませんが、この台地が開発された頃、昭和初期にはそれこそ周囲は林間、造る道を曲げる必要もなかったのでしょう。
当時の田園調布、芦屋などの宅地開発に触発され、この一帯は小田急による林間都市構想により開発が行われたそうです。
戦争の勃発や東京の都市部から離れていることなどで予定通りに進まなかったようですが、戦後に宅地化が進みました。
近年も住宅密度は高まっているようで、新しい住宅がたくさん見られます。
そしてタイトルの一方『林間』、中央を補って
中央林間までやってきました。
こちらは小田急江ノ島線改札口ですが、通路を奥に進むと東急田園都市線の改札。
今回はここまでです。
こんなふうにあるきました。
足あと地図
『中央』つながりで、ここからまたどこか中央へ歩けないか探ってみました。
検索で最初に出てきたのは《鹿児島中央》駅でした。