散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

柿生の里を散策 (川崎麻生)

2022年最後は川崎麻生区・柿生(かきお)と周辺の散策記録。
ちょうど今年100本目のノートとなりました。

最近の恒例で里山の雑木林やささやかな水辺を巡る散策です。少しだけその他あれこれも。

今回は川崎市作成の「川崎散歩ゆるり旅ガイドマップ」を参考にさせていただきました。

 

はじめは早野聖地公園というところから。
名称から想像つくかもしれませんが市立の霊園、その周囲に散策路があります。〈昔の墓地と違い明るく開放的です〉

公園裏側の入口からアプローチ

下は『堤入池』〈なんと読むのでしょう?〉

この公園周辺には7つの池があるようです。

噴水のある公園の池

こちらは7つのなかに入ってません。

 

飛んで

雑木林の尾根道からたまたま視界が開けたところ

東側を見てます。前は麻生台団地など

通路はこんなかんじです

反対方向

というかこちらは尾根道に入る手前。

 

そこから広い道路へ下りていくところ。
この切通しはかつてトンネルだったそうです

『柿生トンネル跡』の簡単な案内がありました。

1951(昭和26)年に開通した川崎市域として初めてのトンネルで、付近の人々が柿生駅へ出るのに便利になった。1978(昭和53)年に切通しとなった。
とありました。

 

柿生駅跨線橋を前にして

メインで撮ったのは左側にある『寛政十一年の題目塔とお召講』(右奥に案内板あり)ですが、右の自販機を入れてかみ合わない風景にしてしまいました。

左の石塔は寛政11年(1799)、この周辺6ヶ村(下部に麻生、片平、奈良、能ヶ谷、三輪、金井とあり)の日蓮宗を信仰する人々(題目講中)によりお題目を1万部唱えたので建てられたとありました。正面碑文は池上本門寺38世日棟上人により揮毫されたものとのことです。〈もちろん後から調べた情報〉

右側は見ていただいたとおりですが、36ある選択ボタンすべて同じ商品というのがミソ..〈ソースです〉

 

また細道をたどり


今度はトマソン物件的、階段の羅列

なぜこうなったのかとても気になります。

 

麻生川と鶴見川の合流点


そこから月読神社

こちらの神社、三方に鳥居がありました。メイン参道は細道ながらまっすぐにのびて気持ちよく、その先に長い石段が続きます。〈上がったところがこの境内〉

これは神社表参道ではなく

だるま市が有名という麻生不動院に寄ってみるためここを近道したはずでしたが、なぜだか見過ごして通過した模様...
さらに帰ってからGoogleマップを見るとこの周辺下麻生亀井古墳群のピンが立ってます。〈それも全然気づきませんでした💦〉

 

切り替えて

こちらは籠口の池(ろうぐちのいけ)

江戸時代に造られた灌漑用ため池だそうです。この周辺古いため池が多く残っているのですね。

また丘陵の上から


『稲荷森稲荷社』とある前の鳥居

周囲ののどかさが良くて1枚。

 

次は谷戸を奥へ入っていきます。
入口付近のため池『五郎池』

これは最初に通った早野聖地公園周辺の7つの池のひとつ、また近くへ戻ってきました。

緑地保全地区となっている早野聖地公園隣りの谷戸を奥へ進みます。

木道があったり、散策路になっています


『上池』

この池も7つのうちのひとつ。

そのまた奥

早野からきて虹ヶ丘への途中〈石は道しるべ〉

 

谷戸を奥にぬけてしばらく歩くと
琴平神社本殿が上に見えました

新しい建物ですが、火災で焼失し再建されたのだそうです。

通過失礼

 

右にある坂道を上がり、王禅寺ふるさと公園を通りぬけます。
細道にさざんか一輪

 

公園広場など


そこから次は王禅寺拝見。
西門から入って正面は新本堂


(旧)本堂


再び新本堂

正式名は星宿山蓮華蔵院王禅寺、真言宗豊山派のお寺。王禅寺の名前は付近の地名にもなっています。

新本堂の横から、前は薬師如来堂(の後ろ側)

寺伝によれば延喜17年(917年)高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から「王禅寺」の寺号(王の命じた仏教を修行するに適した場所としての寺という意味)を賜り、同地に改めて創建され関東の高野山と呼せられ、東国鎮護の勅願寺となる。延喜21年(921年)高野山の熊空により真言宗の寺となるという。
Wikipedia::王禅寺より抜粋

またここは柿が有名で、1214(建保2)年のちの禅寺丸柿となる柿の木(日本で最初の甘柿とされる)が発見され、近隣農家に栽培が広まったとされています。
境内にその原木や碑「禅寺丸之記」もたっています

このあたり『柿生』の名も明治22年、周辺各村の合併時に村名を『柿の生まれた村』柿生村としたことに由来しています。
〈碑文はちと難解ナルヤヤコ式モノニツキ省略します〉

柿生の野辺、里山などを巡った記はここまで。