散歩の途中

iPhoneもって散歩しながらあれこれ観察したノート

鎌倉街道を歩く 上道その2 上飯田から原町田

鎌倉街道上道(かみつみち)、2回目のスタートは現在の地名では横浜市泉区上飯田町。鎌倉街道と長後街道が交わる上飯田団地入口交差点付近から。

前回こちらの続き

miwa3k.hatenablog.jp

上道その2 行程

スタート地点へのアプローチは相鉄いずみ野線いずみ中央駅

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駅北側で長後街道に出て西へ歩く。10分くらいでスタート地点の交差点に到着する。

スタート地点からは鎌倉街道に折れて北方向へ。交差点すぐのところに無量寺がある。
無量寺

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1653(承応2)年開山、1593(文禄2)年に開創などと伝わる寺院。大山道(現在の長後街道)に近く、大山参詣の方に縁が深いお寺のようだ。

上飯田団地と境川の間を通過し、飯田神社前を通る。
飯田神社鳥居前から

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右隅の説明板から

飯田神社
境川や和泉川沿いに見られる「サバ神社」の一社で、祭神は源義朝を主神に宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)・大山咋神(おおやまくいのかみ)です。伝承によると、飯田五郎家義(いいだごろういえよし)がお祀りしたといわれています。縄文時代境川沿いは入り海で神社の境内の土手から縄文後期の人々が使った注口土器(ちゅうこうどき)が出土しました。境内の神楽殿は、明治20年頃、飯田学校校舎として使われていました。鳥居前には地蔵像・七観音像・庚申塔道祖神が立っています。 泉区役所

飯田神社横で

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飯田神社を過ぎると県営いちょう団地にさしかかる。
いちょう団地前交差点

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手前の道が鎌倉街道かは微妙なところ。この付近の経路は不明瞭。

そのわりに近くには二十三夜塔と道祖神が道端にあったりする

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本興寺仁王門

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境内

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いちょう団地近くにある本興寺日蓮宗別格本山の寺で、鎌倉の本興寺が幕府の弾圧に遭い、1660(万治3)年この地に移転したとのこと。

寺の裏手を東海道新幹線が通り、これを越えて農業地と住宅地の混在地域を北に進む。

地元の解説では旧道とされている道

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道なりにいくと相沢川(境川の支流)沿いに出る。そのまま川沿いに歩くと横浜環状4号線下瀬谷橋交差点近くに達する。環4を跳ね返るように道を折れて相沢川を渡ると細い街道が先へ続いている。
そのあたりはすでに横浜市瀬谷区となる。

瀬谷区下瀬谷3丁目あたりの街道

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道幅のせまい道路がずっと続いている(これで一方通行ではないのだ)。現在は住宅が密集しているが、元は農家だったような家もあちこちにみられる。

しばらく行くと中原街道に交差し、その交差地点近くに宗川寺(そうせんじ)がある。

さらに北へ向かって行くと道路内に庚申塔、地神塔など(瀬谷区橋戸3丁目付近)

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瀬谷5丁目付近の地神塔?

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こちらは道の真ん中にあってロータリーになっちゃっている。
これを撮影していたらちょうど通りかかった若い人が「ここって聖地なの?」、言葉返せず微笑んでおきました。

少し戻って
左馬社(さばしゃ)

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隣接する西福寺(さいふくじ)

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左馬社の解説

左馬社と梵鐘
その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民族信仰が盛んでした。(七サバ参り)
当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭(さまのかみ)源義朝です。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆(しんぶつこんこう)の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。 平成10年3月 瀬谷区役所 平成26年12月貼替

左馬社&西福寺から北に歩いて行くと厚木街道やさっきの「聖地」かもを越えて、相鉄本線も越える。

徳善寺(とくぜんじ)山門前から

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寺号標は徳善禅寺、創建は1555(弘治元)年。いい感じの山門。*1

山門には仁王像があり、扁額は平成門

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どちらもきちんと写ってないけど…。

徳善寺の先で大門川という小川を渡り、その先に日枝社という神社前を通る。それほど大きな神社ではないが鎌倉時代にはすでに存在していたといわれている。
さらに進むと中屋敷という場所に入っていく。地名のごとく昔の立派な門構えの屋敷が街道沿いにいくつか残っている。古木も多く良い雰囲気、ちょっとした「歴史地区」だ。

歴史のありそうな家の門と立派な幹

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お寺のようにもみえるけど、個人名の表札が掲げてあった。

蚕を扱っていた建物か(推測)

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瀬谷銀行跡

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門の中には開業時の建物が残っているとのこと。
解説板から

瀬谷銀行跡(せやぎんこうあと)
明治40年代後半の頃は、養蚕業が隆盛をきわめ各所に製糸工場が設立され、養蚕業の最盛期でした。
このような経済の好況を反映して、瀬谷銀行は明治40年(1907年)に創業され、30年にわたり地域金融事業の中心となり、実業界・政界に大きな影響を与えるとともに地域の発展に寄与しました。
頭取小島家は代々政五郎を名乗り、江戸中期から中瀬谷村村役を務め、更に明治・大正・昭和の初期まで村行政に功績を残しました。 平成10年3月 瀬谷区役所

瀬谷銀行は1935(昭和10)年に鎌倉銀行と合併し、その後、横浜興信銀行(のちの横浜銀行)に営業譲渡。

堅牢地神塔、道祖神、お地蔵様…

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道祖神は1835(天保6)年、地神塔は1840(天保11)年と記されている。

その先に善昌院があり、さらに坂を上がっていくと県道に合流して妙光寺
妙光寺

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瀬谷区のHPでは「飛鳥時代白雉3年(652)に建てられた明光比丘尼の庵がもとになったという古刹。鎌倉時代には日蓮宗の祖日蓮上人が宿泊、住職の文教和尚が教化され改宗したという歴史をもちます。」

県道が東名高速の高架下をくぐる手前に若宮八幡宮

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室町時代末期永禄年間(1558~69)岩崎丹後守が創建。境内には八幡上古墳跡があり、春には桜が見事です。昭和42年に背後を通る東名高速道路の建設で現在地に移転移築しました。」

東名をくぐると工場地帯となり、町田市との境界先までは古道を歩いているという雰囲気は皆無。国道246号に突き当たり、八王子街道との目黒交差点を渡って境川のほとりに出る。

境川と旧大山道鶴瀬橋

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橋を渡っているのが旧大山道、左に行くとすぐに下鶴間宿になる。橋のところが鎌倉街道と旧大山道の交差地点ということになるけど、鎌倉街道は改修されて真っ直ぐになった境川沿いの歩道を通っていたはずはなく、もう少し川から離れたところにあった。左上に見えるのは観音寺。

町田市に入った。川沿いに少し歩いてから街道筋に戻る。

鶴間公園近く

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このあたり東急田園都市線南町田駅近くの造成地で向こうが鶴間公園。

南町田の住宅地を田園都市線国道16号バイパスと越え、つい最近開通した鶴間公園通りを通る。この通りと都道56号との合流点となる町谷付近では古代の東海道も通っていて府中方面へ向かっていたそうで、その道筋が鎌倉街道となったとも言われる。ということはこの付近から府中にかけては古代の東海道をも歩くということになるのか。
途中で現代の大通りを逸れて細道へ。

西田杉山神社の前から

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神社は1683(天和3)年創建と伝えられている。

再び都道56号に戻り坂を下る

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鶴金橋交差点、都営金森アパートを通過して坂を上がると都道の新道は折れていき、道が細くなる。こちらが旧道らしい。

金森杉山神社

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先ほどの西田杉山神社と同じ1683(天和3)年創建。同じ金森という地域内にあって、ご神体は1年ごとに両神社を行き来しているらしい。

その先へ行くとJR横浜線の線路にぶつかる。街道はそのまま線路の通っているところを越えて向こう側へ行っていたようだ。
町田天満宮の敷地を迂回して線路を渡る歩道橋に出る。

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右側は町田天満宮

町田天満宮社殿

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創建された時期はわかっていないが、棟札に元和元年(1615)天満天神奉遷宮とあるとのこと。

先ほどの歩道橋を渡ると町田の街中に入る。
JR町田駅前の通りのひとつ先が街道の道筋とのことで、そちらへ入るが今回の予定では町田まで。すぐにまた駅前通りへ戻る。

町田駅前通りへ向かって

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この付近は町田市で、駅名なども「町田」で統一されているけれど、現在鉄道が通っているあたりはかつて「原町田」と呼ばれていて、昔は原町田村だった。隣接して本町田村があり、こちらから分かれた村ということでこの名前になっていたらしい。
横浜線の駅名も昔は原町田駅、あとからできた小田急線は新原町田駅だったというのはおまけのエピソード。

ということで、今回はここでおしまい。

経路上のおもな地名(上道その2)
上飯田→瀬谷→本郷→中屋敷→目黒→鶴間→町谷→金森→原町田

*1:こういう表現しかできないところに歴史造詣の薄弱さを感じてしまう…とほほ