散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

狩川を歩く その1 小田原酒匂川合流点からさかのぼって南足柄春木径

今回の川歩きは南足柄、箱根外輪山稜線近くから小田原へ流れる狩川(かりかわ)です。

水源は箱根外輪山の金時山付近にあり外輪山の裾を下って足柄平野へ出ます。その後小田原市内に入り相模湾近くまで下って酒匂川(さかわがわ)に合流します。

源流、上流部は山深いですが最近整備された県道を使えば箱根仙石原から峠をこえ、狩川上流側から下って歩けそうです。途中からは林道が川に沿ってます。とはいえハードルは高そうで、時間的余裕もなくて今回は断念。
下流側からさかのぼって半日ほどで歩けるところまで行くことにして大まかなプランを立てました。

結局今回は古道足柄道の途中、江戸時代に東海道裏街道として関所が設けられた矢倉沢付近まで歩きました。まとめは2回に分け、その1は酒匂川合流点から南足柄市内狩川沿いの遊歩道『春木径(はるきみち)』までです。

 

まず狩川・酒匂川の合流地点へ向かいます。
合流地点のすぐ下流に架かる飯泉(いいずみ)橋へ。

飯泉橋東詰

渡る道路は国道255号、向こうに見える山々は箱根。

 

酒匂川河川敷、飯泉橋から下流方向

狩川合流後の酒匂川。流れの途中に見えるのは飯泉取水堰。神奈川県内多くの地域で上水道となる水を取ってます。堰付近で河口から約2㎞、かなり下流の方で水道水取水してますね。
取水堰の先には小さく東海道新幹線の橋梁、川向こうはアマゾン倉庫といった景色。

 

飯泉橋途中から上流方向

狩川合流点

左正面からこちらへ狩川、右の濁っているのは酒匂川の水です。数日前にたくさん雨が降りまだ濁りがとれていません。

左側、赤白鉄塔近くから狩川堤防に出ます。

 

狩川堤防へまわり込み

上流方向、狩川管理橋(人道橋)、その右側下に穴があいてますが農業用水路が合流してます。

 

狩川管理橋から下流方向

先が酒匂川との合流点、その先渡ってきた飯泉橋が見えます。ここから見ると狩川も水量多く濁りもややあるようです。

 

狩川管理橋を渡ると酒匂川サイクリングコース起点ですがこの日は渡らず狩川を遡上。
狩川上流方向

酒匂川堤防上の自転車道はよく整備されてますが、こちらは歩ければ儲けものくらいの道。ここから見えるのはまだましな方です。
先に見えるトラス橋は小田急線狩川橋梁、手前を道路橋歩道橋(狩川橋)と水道橋が通ります。

 

狩川橋歩道橋から上流方向

小田急線橋梁の向こうに2つの橋(蓮正寺橋、小田原厚木道路橋梁)。
こんなところから紹介するでもありませんが真正面に頭を出している山が富士山、その右側にぽこんと飛び出すのは矢倉岳、このあとも2つの山があちこちに写ってます。

 

1つ上流側の蓮正寺橋から下流をふり返り

蓮正寺橋は古く道幅もせまい橋、車が通る中で写真撮ったりしてる場合じゃないんですが...

左岸側堤防は草刈り作業中、右岸側は作業終わってすっきりしてます。このあと上流に向かってしばらく右岸側堤防を歩く予定ですが残念なことに上流側の草は刈られてませんでした。

 

上流へ歩きだして小田原厚木道路下をくぐったところ

このあたりは踏み跡がはっきりしているので歩けそうな雰囲気。

 

水量の多い川の中で釣りをする人

このあたりは釣り人の姿がちらほら見られました。

 

水道橋の上流側に出たところ
正面は狩川支流の仙了川合流

仙了川は足柄平野内農業用水路の落ち水(排水、余水)を集めて水量を増し、狩川に合流する小さな川です。
奥に小さな古い橋が見えます。

この付近から右岸側を伊豆箱根鉄道大雄山線路が並行します。
川と堤防と電車

大雄山線は小田原駅と大雄山駅を結ぶ延長9.6㎞のローカル私鉄。線路はだいたい狩川に沿っています。
この日は終点大雄山駅の数キロ先まで川を歩き、戻って帰りにこの電車で小田原に出ました。

 

堤防の細道を歩いていくと飯田岡駅前に出ました

小さな駅です。
手前の道路は右側で飯田岡橋を渡ります。

 

川は橋近くに農業用水の取水堰

足柄平野一帯は昔から米作りの盛んな地域。流れる川から水田や畑へ水を供給するための用水路、その水を取るための上のような堰が川のあちこちにあります。
ここは川の流れを横切る形で設けられた可動堰の止水板が立ち上がることで流れを遮り、水位が上昇して手前にあるゲートから川の外側へ水が流れ出るようになっています。(この時堰はたぶん倒れてます。川中央の構造物は魚道兼余水吐きかな?)

 

飯田岡橋を渡って左岸側へ出ました。
橋のうえから上流方向

 

左岸側堤防から(小田原市新屋付近)

堤防土手は夏草に覆われて踏み跡もなくなってしまいました。〈たぶん冬場と草刈り直後は通れそうですが〉

結局この付近だけでしたが歩いて通るのも厳しく、無理しないことにしました。

 

少し迂回して堤防へ上がると今度は草が刈られ、彼岸花は盛りを少し過ぎていました

先に架かる橋は山道橋、小田原市南足柄市境界になっています。

 

橋を渡って再び右岸へ、南足柄市に入ります。

ここからは堤防上の道も舗装されていました。
対岸は用水路の水を集めて狩川へ合流する『要定川』

 

それから300mも行かないうちに次の河川が合流
『洞川』合流

 

次の岩原橋を渡りまた左岸へ。
左、岩原橋、正面稜線は箱根外輪山、いちばん高いところは明神ヶ岳でしょうか。

 

それからほどなく次の...橋名標がない

塚原橋

〈橋の名前、その場でわからなくても事後調べてみると案外わかるものです〉
南足柄市内で狩川に架かる道路橋、このようなトラス橋がわりと多い印象です。

 

塚原橋を渡らずそのまま土手を先へ歩いていたら行き止まりになり、突然電車が走ってきました

ここは伊豆箱根鉄道大雄山線のかなり古い橋梁、おそらく開通当時からそのまま変わってないのでしょう。

 

もしかして線路の向こう側へ渡れないかなと近づいてみました

河原は足場悪そう、線路を横切るのはやっぱりダメでしょう。〈立入禁止の立て札もたってます〉
とりあえずきちんと通れる道をまわり込んで向こうに見える駒千代橋を渡ります。

 

駒千代橋から見返して

大雄山線とその向こうは塚原橋。

橋の手前、右にも水が流れてますが、駒千代橋直下で支流の太刀洗川が合流していました。

 

箱根外輪山の裾から流れてくる太刀洗川

山側から流れてくる川は山裾に豊富に湧く水が集まったものです。あちこちで小さな川が合流し全部紹介しきれません。

 

合流点近くで見つけた旧駒千代橋の橋名標など

向こうは現在の駒千代橋、県道が通っているので古くから橋があったのは確かです。
右は橋名「駒千代橋」、左は竣工年月「昭和二十七年三月成」の文字。最初見たとき親柱だと思ったものの中央の壁が不思議です。堤防の壁に改めて名標を埋め込んだのでしょうか?? 詳細不明...ごみ置き場にするにはうってつけの格好になってるとは思います。

 

さらに200mほどさかのぼると飾りのようなトラスの橋

隣りには別途人道橋がかかってます。

橋名がなかなか分からなかった...『神明橋』

 

対岸から神明橋

 

そこから少しさかのぼると川沿いの道は遊歩道となります。

その途中、古い橋が現れました。
山下橋

昭和29年3月竣工、旧駒千代橋よりは新しいのか...〈しかし小砂利まじりの古コンクリート欄干、絶対鉄筋入ってるとはいえ脆そうで不安になります〉

なお、川の先に見える白い建物群は富士フイルム神奈川工場。

 

次の花下橋を越えた先

彼岸花、遠目から写せばまだまだきれいという頃。

また、先にトラス橋が見えてます。

 

神崎橋

橋の先は富士フイルム工場前へ。渡らず逆方向へ道をたどると同社の研究所、関連会社工場などが並んでいます。かつて南足柄市は富士フイルムの企業城下町と言われていました。現在も存在感は十分あります。

 

神崎橋たもとから狩川上流方向

橋の手前と同じような風景が続いています。

 

神崎橋を渡って対岸を上流に進みます。

250mほど進むと貝沢川の合流
対岸土手は彼岸花の赤が点々と続いています

 

その先にも

季節が異なることもあってこちら岸を何も写していないのですが、桜並木になっています。愛称は『春めき桜』、狩川堤防上のみちは『春木径(はるきみち)』だそうです。解説があるので要約すると

南足柄市名誉市民で富士フイルム㈱の創設者、春木榮氏が2000年に亡くなった時、その功績を讃え創業の地に市が101本の春めき桜(旧名・足柄桜)を植栽して人々の憩いの場とし「春木径」と名付けました。

残念ながら春木径も夏の間に伸びた多くの植物に覆い隠されてしまってました。たぶん桜の咲く季節になれば周辺含めてきれいに整備されるのだと思います。

タイトルで『春木径』までとしてその絵がないですが仕方ない、その1はここまでとします。

このあたりまでは足柄平野の平らな土地を流れる狩川ですが、ここからしだいに山中へと入って渓流の趣きに変化していきます〈さほど奥にまで踏み込んでませんが〉。そちらは次回。