まだ暑いです。いつもより少し距離短めで表記のコース、歩いてまいりました。
久しぶりにこの駅で降りたら、駅舎が化粧直しされてきれいになっていました。
ちょっとだけ江ノ島の表情を見てから歩きはじめます。
片瀬橋ごしに
〈橋の上にも江ノ島〉 何言ってるんでしょうか。
海岸沿いの国道、江ノ島海岸バス停
まだしぶとく夏が居座る空。
江ノ電線路はこの先、道路に出ていきます。
江ノ電もなかのお店と
手前の路面に線路。
江ノ電もなかの扇屋さん、昔の車両やパンタグラフが飾られ、店内にも江ノ電関連グッズが様々あるのは有名ですが、店の建物も相当古いものです。(ほとんどトタンで覆われてはいますが)
龍口寺門前の交差点をいちばん細い道に入ります。
ふりかえって
右側龍口寺、日蓮宗のお寺です。この日は「龍の口法難七百五十年」法要日とのことでしたが、「今年は万灯練り供養、ぼたもち撒きは中止、屋台の出店もございません」。
東の方へしばらく歩くと鎌倉広町緑地へ出ます。森や谷戸の自然を残した広い緑地、特に観光地というわけではありませんが、入り込んでみます。
緑地室ヶ谷入口から入って坂道を上り下り、ここはちょっと平らです。
木道があったり
その先では登山道のような急な坂を上がって緑地鎌倉山入口へ。
坂の途中からです
下は七里ガ浜の住宅地、先は相模湾。
緑地入口から再度同じ方角
鎌倉山2丁目、〈山〉の上は高級住宅地ですね。
バス通りに出ます。
ポストの後頭部とか
急カーブの先は蕎麦・会席料理檑亭(らいてい)本館と玄関建物
少し離れて入口の山門
こちらは庭園などでも有名な料理店です。ほぼ屋根だけしか見えてませんが、本館は横浜戸塚の養蚕農家を移築したうえに和洋折衷の2階建てに改築、国登録有形文化財です。
山門は江戸時代中期の建築、鎌倉西御門の寿延山高松寺から移築したものだそうです。
このバス通りを先へ行くと有名な桜並木を経て鎌倉山ロータリーに出ますが、再び小さな森の公園へ入ります。
その手前に「鎌倉山記」と記された古い大きな石碑があり、鎌倉山の由来が書かれています。『天慶(てんぎょう)の乱に平貞盛(たいらのさだもり)が平将門(まさかど)を夷滅してより平氏の威勢漸く東国に張り其孫直方(なおかた)鎌倉邸に在りて幾多の荘園を領有す…』と滔滔と記されてますが、以下略。
その下にある池へ階段が通じています。湧き水の豊富な谷戸、崖地の「夫婦池公園」
鎌倉山の上から階段をどんどん下りていきます
中土手で仕切られた2つの池(上池、下池)があります。こっちは上池
江戸時代に周囲の豊富な湧水を溜めてつくった灌漑池です。周囲を巡ってみましたが、現在もいたるところに湧き水があります。冷たくて気持ちよかった。
ここも特に観光スポットというわけではありません。
通りすがった夫婦池公園から笛田公園を通過して県道藤沢鎌倉線沿いに出ます。
県道の火の見下バス停
バス停ポールの向こうに大仏切通、大仏ハイキングコースの案内標、高徳院(大仏)もあります。
ここを左へ、細い細い路地へはいり、まず大仏切通を通ります。
まず森の中へ入り、少し行くと案内看板が見えてきます。
日英中韓4か国語で記されてますが日本語部分のみ抜粋
国指定史跡 大仏切通(だいぶつきりどおし) 昭和52年8月10日指定
大仏切通はいわゆる鎌倉七口の一つに数えられ、梶原・山崎を経て武蔵・京都方面へ通じる道路です。記録がないため正確な開削時期は不明ですが、北側にある北条氏常盤亭の存在や、朝夷奈切通や巨福呂坂の整備時期との関係から、仁治2年(1241)から建長2年(1250)ごろに整備されたと考えられています。
元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めでは、上野国(現在の群馬県)から南下した軍勢が洲崎(現在の深沢・山崎)方面から攻め寄せ、激戦となったことが『太平記』に見えていることから、この地も戦場になった可能性があります。
大仏切通は、江戸時代に経路が変更され、現在の県道鎌倉藤沢線ができたため大規模な破壊を免れ、付近に造られた平場や、ここに開口する「やぐら」と呼ばれる岩窟、そして切岸などと共に、かつての鎌倉の幹線道路のあり方を、今によく伝えています。
平成20年3月 鎌倉市教育委員会
左に上がる階段手すりが見えますがそちらは「やぐら」への通路、右側へ切通の道が上がっていきます。
まず左側から
崖の露頭あちこちに四角く穿った「やぐら」を見ることができます。しかしこの時、ものすごい数のやぶ蚊に襲撃されてる最中。光速で切通しの方へ移動します。
案内看板のあったところから坂道を上がるとすぐに切通しが現れます。
大仏切通の切通しらしい場所
こんな箇所はそれほど長くは続きません。
すぐに森の歩道になり、上りの坂道が続きます。
しばらく坂を上がって行き、次にこの階段を下りると大仏ハイキングコースにぶつかります。
真っ直ぐ行くと県道鎌倉藤沢線の大仏トンネル入口近くへ下りられますが、左へハイキングコースをたどります。
分れ道の道しるべ
源氏山公園・銭洗弁財天方面に方向を変えて進みます。
鎌倉市内のハイキングコース、2019年の台風で軒並み通行止めとなりましたが、ここへきていくつかは復旧作業が完了して開通しました。大仏ハイキングコースも2020年6月30日から再び歩けるようになってます。
その他のコース情報も少し書いておきます。
現在も通行できないのは以下のとおり。
◆天園ハイキングコース・天園ー瑞泉寺間(その他の部分は通行可能)
◆祇園山ハイキングコース全区間→復旧はもうだめかもという悲しい情報も。
◆朝夷奈切通横浜市区間
大仏ハイキングコースが復旧したからといって、上り下りの急坂が繰り返すこのコースの仕様は変わらないですね。
特にこの時期は暑さでさらにきついです
こちらも蚊やブヨが多く、虫よけスプレー使ってましたがずっとつきまとわれました。息がきれてちょっと立ち止まったりするともう大変です。
それでも当初、コースの途中で脇道に逸れて下る予定だったので、そこまでは歩き続けました。
山の中から人気のカフェへ出られる場所がありますが、今日はこっちじゃない
佐助稲荷が次の目的地でした。その境内へ下りるため脇道に入ると
《危険 これより先立ち入り禁止 佐助稲荷神社》
トラロープも張られてます。下をのぞくと佐助稲荷の真っ赤な幟などが間近に見えているのですが、そこへ下りて行く道はすぐそばに杉の大木が倒れて塞いでいます。
この倒木だけなら越えられないこともない…ですがそれが悪い癖、思い直してハイキングコースに戻り、源氏山公園へ迂回しました。
源氏山公園近くから小坪、逗子方面の眺め
公園の外周まできて方向を変え、銭洗弁天方面へ階段を下ります
さらに坂道を下ると途中に
銭洗弁財天宇賀福神社
寄るか、いや洗う銭すらござらん、てなとこで何となく通過。
坂道を下りきり、住宅地に出てくるとちょっと気になった門と建物
2階の窓はステンドグラスも見えます。表札に青葉寮とありましたが、何でしょうか?
ここは佐助稲荷神社につながる道との十字路。当初稲荷神社へ寄ってから帰る予定にしてここへ戻ってきたのですが、こちらの建物に気をとられて神社へ寄るのをすっかり忘れてしまいましたとさ。
あとは鎌倉駅を目指します。
扇ガ谷・御成町の間を通る道。左は鎌倉歴史文化交流館の塀。
鎌倉駅、西口へ到着
時間はまだ早いのですが、ここまでにしました。
足あと地図
おまけの一丁目1番地案件
この日は3つ発見しました。
いずれも鎌倉市、左から津西一丁目1番、鎌倉山一丁目1番、扇ガ谷一丁目1番