散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

菊名川(横浜港北)暗渠を歩く(1) 菊名池から菊名駅

この5月、ほとんど引き篭もってましたがもう限界、久しぶりに太陽を浴びて暗渠歩きをしました。

横浜港北を流れる菊名川、小さな、さほど長くもない川でWikipediaにそのノートは存在しないようです。
ネットでも参照できる資料はそれほどありませんが、大倉精神文化研究所(okuraken.or.jp)による地域情報・シリーズわがまち港北にある情報は貴重です。

暗渠となっているその流路、探るのはさほど難しくはありません。起点は菊名池、そこから流れ出す水の流れる先は、川がまだ暗渠化されていない1960年代の航空写真を何点か見るとはっきりわかります。現在その跡は道路、歩道となり、ほぼそのままトレースすることができます。

源流にあたる菊名池、存在位置は横浜市港北区菊名1丁目、東急東横線妙蓮寺駅西側すぐ(歩いて2分くらい)です。
スタートの妙蓮寺駅付近

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上記資料によれば、池は平安時代の昔より灌漑用水として付近の農民に寄与していました。流れ出る水は用水路として〈江戸時代頃の村名ですが〉大豆戸(まめど)村、菊名村などを流れ、鶴見川へ合流していました。『菊名川』というのは通称名で『大豆戸菊名用水路』『大豆戸根川(まめどねがわ)』と呼ばれていたそうです。また暗渠化した現在、正式な川の名称はなくなっているとのことです。〈ここでは『菊名川』を使います〉

かつての菊名池は現在よりずっと大きく、ひょうたん型をしていました。昭和初期に池の中央部を道路が貫通して池に橋が架けられ、その後都市化進展により汚水の流入、悪臭が酷くなり、道路南側と北側一部が埋められました。
現在はかつての菊名池部分がすべて菊名池公園になっています。〈中央を道路が横切るので2つに分かれてますが〉

 

菊名池公園南側から

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人が歩いているところは公園外周部の歩道。

 

公園内部、南側は現在プールになっています

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この背後には菊名池弁財天の祠もあります。

 

プールの北側へ出て。
菊名池を分断して通された道路の現在

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左右植え込みの向こう側が公園、道路の下かつては池の中央部分でした。そこに架かっていた橋は池が埋められたときに撤去されています。

 

その道路から公園北側入口を入ったところ

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この広場も元は菊名池の一部。

 

正面左奥に行くと水面が見えてきます。

菊名池南側から

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現在の池の面積は埋立てられる前の4分の1程度でしょうか。
菊名池に流れ込む目立った河川はありません。周囲は下末吉台地、その開析谷の低い場所に池は存在しており、付近の湧水が源となっているようです。
〈現在は深井戸を掘ってポンプで水をくみあげて池に加水しているかも…しれません(推測)〉

 

水草が生い茂る池の奥に水門

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菊名池の水は水門から菊名川暗渠へと流れ出ていきます。

 

水は道路を1本隔て、いきなり低いところへ下ります。

菊名川暗渠道のはじまり

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この背後は菊名池公園。池の水は階段下、谷間の暗渠道へ導かれます。

 

階段を下りて谷間へ

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暗渠道のマンホールの上など、水の流れる音がします。

少し先へ行くと再び階段

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正面を横切る道路にはかつて橋が架かっていたようです。

 

階段途中から元・橋

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階段上、左右それぞれコンクリート製の構造物は橋の欄干(跡)です。間は階段通路の邪魔になるので削られてます。

 

視点を変えて

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親柱に橋名標が残って「富士塚橋」と読めます。周辺の地名現在も『富士塚』です。
暗渠化したときに道路部分は盛り土したのでしょう。

 

橋跡の下流側暗渠道は再びゆるやかに下っていきます。
その途中

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崖際を適度に屈曲していく暗渠道

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しばらく行くと開けたところへ出てきます。
右側は東横線踏切

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菊名2号踏切。ここから流れは東横線線路と正面道路の間を先へ。

 

フェンスの向こう、草が生えているところが川跡でしょう

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線路の下をくぐります

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道路下ではなく、右側が川跡。

 

くぐって反対側から

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左側の隙間からこの足元へ川跡。

流れは再び線路方向に。

 

その先へ

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駐車場スペースへ出る直前で支流らしき跡が右からやってきます。

近くから

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先を旧綱島街道が通ってますが、その向こう側斜面を下って街道を横切りクランクカーブしてここで合流。

 

駐車場内から暗渠道部分

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擁壁から排水用ビニールパイプがいくつか見えます。雨水用のはずですが、暗渠下の流れに落とし込まれているのでしょう。擁壁も黒ずんでいるところは暗渠化前からそのままだと思います。

 

駐車場の先、また住宅の間を通り抜けて一般道を交差します。
流れは左へ

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暗渠は左の車止めのある細い方へ入っていきます。右はJR横浜線ガード、菊名駅と駅前繁華街が近づいてきたところです。

 

左の細い道に入って行くと暗渠上は自転車バイク置き場となっています。東横線横浜線線路が交差する手前で暗渠道は直角に折れて横浜線ガードをくぐります。
横浜線ガード付近

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ここも暗渠上はバイク置き場です。
少し先に見えるレンガの構造物は横浜線開通当時からの橋台です。線路が単線だったので橋台も1つでしたが複線化時、奥のコンクリート製のものが追加されました。その後線路の高さを引き上げる工事をしたために古い橋台は使われなくなりました。現橋梁は古い橋台の上に浮いてます。

 

背後を振り返ると暗渠の先は再び一般道を横切り、商店の間に
路地のようになって入っていきます

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ちょっとずつ奥へ

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歩道橋手前で振り返り

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歩道橋下、菊名4丁目交差点

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駅出入口、バス停等の近くで交通量人通りも多い交差点です。暗渠もここへ出てきて交差点を渡り、正面へ進みます。前方は東横線菊名駅ホームです。

 

そちらへ進むと道は行き止まり

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以前は列車の長さも短かったのでこの先に駅ホームはなく、ひと筋の流れが線路の下を流れているのが古い航空写真で見てとれます。(1960年頃)
手前の道路も暗渠化前までなかったようです。

現在は駅反対側へ歩道橋で渡ることができます。川の流れは暗渠でホーム下をぬけてるはずです。

 

まだ先がある菊名川ですが、長くなったのでいったん刻みます。

 

菊名川と旧鳥山川流路