散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

九品仏から駒沢公園へ歩く 世田谷散歩

久しぶりに世田谷を歩きました。最近手近なところばかりではありますがある1日の散歩前半部分をまとめます。

最初はこんなところから

左は東急大井町線線路。背後は自由が丘、前方が九品仏(くほんぶつ)。

 

九品仏駅前まで線路に沿って歩き、右折して九品仏浄真寺参道へ。
総門手前の参道

駅前からのびる参道、とはいえ200mもない距離。松などの並木になっています。

 

九品仏浄真寺総門

門前の解説「創建の由来」日本語部分抜粋

当山はひろく「九品仏(くほんぶつ)」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念仏院浄眞寺(くほんざんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)」といい、浄土宗に属し、境内約12万㎡(3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。開山は江戸時代初期の高僧「珂碩上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に、奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の説相によって堂塔を配置し、この寺を創建された。「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とはほとんど変わりはないが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅板葺に改修した。

奥沢城は世田谷城の出城として16世紀中盤頃、吉良頼康によって築かれたとされています。1590年の小田原征伐で北条家傘下にあった奥沢城は廃城となり、その後珂碩上人がと上の解説文へつながります。

 

総門から中へ入るとすぐに「閻魔堂」があります。

「うそはつくな!」まず閻魔さまの前で現世の罪を告白するのです。

 

続いて奥へ。

総門、閻魔堂をふりかえって

 

山門である仁王門があります

仁王門
重厚荘重なる仁王門(山門)は別名「紫雲楼(しうんろう)」とも呼ばれ寛政5年の建立である。
一対の仁王像、楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置されているほか、風神・雷神の像もあって、寺域全体の安全が意図されている。

ここで仁王様に悪しきを断ち身体を清めていただきます。

 

仁王門に向かって左側には鐘楼堂があります。見事な彫刻が施されていますが残念ながら近づくことができません。

鐘楼堂

1708(宝永5)年の建立、楼の周囲には干支が刻まれています。こちら側は亥、子、丑が確認できます。

鐘楼堂の奥には奥沢城当時の土塁が残るということですが、暗くもありよくわかりません。〈土の高まりはあるように見えます〉

 

仁王門から奥へ進むと右側に本堂があります。現在工事中で足場を組んで屋根の銅板葺き替え中でした。

本堂正面へまわり込みます。

奥にいらっしゃるのが御釈迦様。〈9体の阿弥陀如来像とは別カウントですよ〉

本堂
本尊に珂碩上人御自作の釈迦牟尼如来(文化財)を安置し、当山第二世珂憶上人代、元禄11年(1698年)三仏堂ともども上棟した。世に珂憶造りと称せられ、雄大壮重なる茅ぶきの大殿である。近時、往昔の面影そのままの銅板葺に大修築を完了した。
本堂はまた「龍護殿(りゅうごでん)」ともいわれ、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、西面して穢土(此岸)をあらわす。
当山独特の行事である「来迎会(おめんかぶり)」は、この本堂(此岸)と三仏堂中央の上品堂(彼岸)とのあいだに橋をかけ、阿弥陀仏と二十五菩薩が、来迎・往生・還来(げんらい)と3回橋を行道するものである。

「来迎会(おめんかぶり)」という行事が毎年5月5日に行われています。

 

本堂と相対して三仏堂、3つの御堂があり、それぞれ3体の阿弥陀如来像が安置されています。〈3x3で九品仏〉
ただし2014年から〈なんと〉20年をかけてすべての像の修繕が実施されており、お留守の像があります。

先に解説を

九品仏と三仏堂
珂碩上人(1617~94年)は、念仏行者として一代の高僧であるとともに、また非常に彫刻に秀でられ、その彫刻された仏像も多数におよんだ。なかでも、18歳で発願、51歳のとき完成した九躰の阿弥陀如来像(九品仏)は上人畢生の結晶といわれる代表作で、未代衆生化益の尊い御仏像である。九躰とも文化財の指定をうけ、上品(じょうぼん)堂(中央)・中品(ちゅうぼん)堂(右)・下品(げぼん)堂(左)の三つのお堂(三仏堂)にそれぞれ三躰ずつ安置してある。
上品堂のうち、中央を上品上生仏、右を上品中生仏、左を上品下生仏とする。中品堂、下品堂と同様で、したがって阿弥陀さまには、上品上生から下品下生まで九つの名があり、それぞれ手の位置および印契が異なっている。なにゆえに阿弥陀さまに九品の差別があるのか、一つには私たちの浄土教入信の過程・段階を、二つには念仏によって浄化される私たちの心の様態を示し、三つには往生人たるわれわれの機根を分類したのであって、私たちが念仏信仰に入るときの動機から、段々念仏によって身と口と意(こころ)の三つが浄化されてゆき「生けらば念仏の功つもり死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、思い患うことぞなき」という念死念仏の心境に至る道程を示したものということができる。京都府下の浄瑠璃寺(九躰寺)とともにわが国における東西の九品仏像の双璧である。

 

こちらは下品堂

現在、中央の下品上生の像が御留守です。一躰2年ほどかけて修繕されるということでかえってくるのは2024年頃?
左右の像はいらっしゃいました。

 

隣りの上品堂

中央が上品上生、いちばん上階層の仏像ということになります。〈写真撮影してよいのか迷いましたがネット検索するとあちこち御姿がありましたので〉

 

最後のお参りとなりましたが
中品堂

 

中品堂内部

 

大きな木

正面は上品堂です。境内にはイチョウなどの大木が何本もあります。秋に色づく木も多く、特に紅葉の頃は訪れる人が多いです。

 

こちらは東門

こちらから出て外側を廻り、再び総門近くから

 

後ろ側はおもに墓地となっていますが、ぐるっとまわってそれより外側にねこじゃらし公園

ここはかつて池があったそうです。今もここが九品仏川の起点、暗渠になってますが流れの跡の遊歩道がはじまる場所でもあります。

 

九品仏川遊歩道のはじまり

白い建物の右側へ入っていくのが九品仏川遊歩道。

このあたりの地名は奥沢、これから歩いていくのが隣の深沢そして駒沢、地形の凹凸はありますがおもに沢地が連なっていたのでしょう。

 

途中坂道もわりと多いこのあたり

 

丘の尾根をいくのは環八通り、産業能率大学近くから
環八は先を横切ってる道路です

 

これはまた下って呑川暗渠の遊歩道上から
このあたりは深沢

 

駒沢へ向かう途中

この周辺一帯はいまや超のつく高級住宅地になっていますが、そのなかでもとりわけ大きな敷地をもつ個人宅をいくつか見ました。そんな豪邸の表門に掲げられた表札の名字がみな一緒。気になったのでちょっと調べてみるとかつての豪農、深沢や駒沢など一帯の土地を持っていた家と知りました。〈ちょっと羨ましい〉

 

そして駒沢公園へ

散歩はまだ続きますが九品仏で少し長居〈でもないけど〉、いったんここで小休止。
青空きれいだけどやっぱり暑いです。