鉄へ歩く【横浜青葉】

相変わらずの過酷な暑さ
あまり外へ出る気が起きないこともあってまとめもついついさぼりがちになってます。

2週間ぶりの今回は、とりあえずあるいてきた『鉄』をまとめました。
『鉄』は横浜市青葉区にある地名で「くろがね」と読みます。さらに細かくいえば現在横浜市青葉区にある『鉄町(くろがねちょう)』のこと〈「てつまち」じゃありません〉

自分いつもの散歩では『通り過ぎる場所』になっていたのですが、この暑さに歩く距離を短くしていることもあって今回はてつまちまで行って折り返すことにしました。

 

はじめは往きの道中

いつもと違う道(木蔭が多くて少しは涼しそう)を通ってみました。
歩道にちょうちんが並ぶこのへんは「えだきん商店街」というところ(都筑区荏田南5丁目)


こぢんまりした商店街はイベントの前、後?


泉田向公園は園内樹木のお手入れ作業中(青葉区荏田西4丁目)〈同じ荏田でも区がちがう..そんなところはどこにでもあるな〈ひとりごと〉〉

 

先へ少し行って東名高速を潜って先をみる前方に横浜青葉ICの一部

 

IC近くで鶴見川沿いに出ます。

東急田園都市線橋梁を越えたところ(青葉区市ケ尾町)


さらに国道246号の下をくぐった先は青葉区役所や警察署、消防署、公会堂などいろんなものがかたまってるところ
でもその脇、鶴見川沿いはこんなかんじ歩道の草が勢い良すぎてあちらを歩けません。

 

その先鶴見川に架かる川間橋を渡る道路は旧大山街道江戸赤坂から相模大山を結び、さらに足柄矢倉沢を経て御殿場三島方面へ伸びていた『矢倉沢往還』とも呼ばれる古い街道。
昔からこの場所に橋がかかっていたそうです。

 

少し先、市ヶ尾高校のところで川から離れます。

こちらは『日野往還』にあたる道路、市ヶ尾高校東交差点ここは最近ひらかれた新道で道路名も「神奈川県道12号横浜上麻生線」ですが、日野往還は東海道神奈川宿と甲州街道日野宿を結ぶ古い道。
先ほどの川間橋近くで矢倉沢往還と交差しています。

また少し北側に日野往還旧道が通っていて、このあと鉄を通るそちらを少し歩きます。

 

市ヶ尾も端のほうまでくると田んぼや畑が目立ってきます。
小さめの田んぼ、稲に穂ができてましたもう8月下旬だもの〈これもひとりごと〉

 

北側の丘緑の濃いこの小さな丘は上に『稲荷前古墳群』があります。県指定史跡になっていますが、周辺の宅地開発時に多くの墳丘が失われたそうで現在は3基が残るだけ。

またここからそれほど離れていないところには「朝光寺原古墳群(消滅)」「市ヶ尾横穴古墳群」なども発見されています。
さらに先ほど通ってきた荏田西地区には古代の武蔵国都筑郡の役所にあたる「都筑郡衙(つづきぐんが)」が存在(長者原遺跡)していました。

古代の市ヶ尾、荏田一帯は有力な首長、豪族が存在していたようです。地名「都筑」も8世紀ころから郡名として定着したようです。

👆の写真で丘の下手前を横切る道路が日野往還の旧道です。〈見えてる車はすべて駐車中のものですが..〉

 

旧道に出て少し先へ行ったところ
河戸橋下を流れるのは黒須田川、この川がこの付近市ヶ尾町と鉄町の境界となっています。

旧道といっても車の通行量が結構あります。

 

渡って鉄町に入り、道をそのまま先へ

中鉄交差点付近『なかくろがね』交差点です。〈少し前まで違う名前でしたが〉

 

ところで「鉄町」って何があるところなのでしょう。

Wikipedia::鉄町によれば
鉄町(くろがねちょう)は神奈川県横浜市青葉区の地名。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示未実施区域。
横浜市青葉区東部に位置する、鶴見川左岸の地域である。
地域の中央に桐蔭学園、東部に横浜総合病院、南部に横浜市立鉄小学校があり、南部には横浜上麻生道路が横断する。また、横浜上麻生道路の環状4号入口交差点は、環状4号線の北の起点となっている。地域の南端を鶴見川、東端を黒須田川が流れている。
黒須田川沿いの部分を除いて桐蔭学園の校地も含め市街化調整区域である。

廃藩置県直後、神奈川県都筑郡鉄村となり明治22年には周辺の村と合併して中里村大字鉄、昭和14年に横浜市編入ということです。

 

そしてこのあたり、詩人、小説家であった佐藤春夫が1919(大正8)年に発表した『田園の憂鬱』ゆかりの地でもあります。

田園の憂鬱が発表される2年ほど前、都内からこちらに移り住み生活をはじめたところでした。

この小説の内容をほんのひと言でいえば
主人公が都会の喧騒から逃れて田舎暮らしをはじめるのですが、そのうち倦怠、憂鬱ばかりの日常に神経衰弱となっていくさまを精緻、写実的に描写したものです。

佐藤春夫はこの頃小説の主人公と同じく神経衰弱を患っていたということで自身の心象をそのまま表した私小説であることは明白だと思います。

以前読んだとき、田園風景の情景描写が繊細かつ精緻、主人公の心境も赤裸々に表現されて暗く鬱屈した主人公の狂気は抜き身の刃が目前に迫ってくるように妙に生々しく印象に残りました。〈夏休みの読書感想文は以上〉

 

佐藤春夫旧宅跡というのがGoogleマップを見ると👆の中鉄交差点近くにあるのですがこのフェンスの向こう側に建物があったようです

向こう側にまわりこむとこのとおり何も痕跡は残っていないようです。

もっともだいぶ前からここは駐車場などに変わっていることは知っていました。
そして道路に面したところには「田園の憂鬱由縁の地」碑がありました。

この写真は2019年に撮影したものですが、今回ここを通りかかったときは碑もなくなっていました。

そもそもその碑も建立が1982(昭和57)年とそれほど古いものではなかったのですが...こちらでの佐藤春夫はあまり評判芳しくないのでしょうか??

周囲の風景も当時とはかなり異なって今は都心などへ通勤する人の大ベッドタウン、みんな他所から移り住んだ人ばかりです。小説の主人公(つまり佐藤自身)は地元の人々との付き合いもうまくいかなかったとも言っていますが、現在なら田舎暮らしに絶望するといった場所ではないでしょう。

 

佐藤春夫旧宅跡前を通っていた日野往還をまた少し先へいくと
桐蔭学園入口交差点

方向を変えて手前に鐵神社(くろがねじんじゃ)社号碑、奥に桐蔭学園看板 〈間の石碑は意識してなかった〉

神社参道でもある緩い坂道を200mほど行くと桐蔭学園の通学バス乗降所、その奥に鐵神社本殿があります。

現在鉄町でいちばん有名なのが桐蔭学園かと思いますが、幼稚園から大学まである私立の学校法人、特にスポーツ関連で全国に知名度あるでしょうか。この奥に広大なキャンパスが〈凸凹した地形の間に〉広がってます。

 

暑いこともあり、ここまでで引き返しました。

帰りは日野往還旧道の1本となりの畑の中道両側ネットがかかっているのは梨の畑。すでに収穫期で道端に小さな店を出している農家もありました。

一番端っこですがいちおう横浜市の範囲ということで『浜なし』というブランド名があります。

で、その梨の木の育て方ですが最近は木の幹を地上20㎝くらいのところで2つに分岐させてそれぞれ真横に伸ばし、その途中から出た枝をどれも真上(垂直)に2~3mくらい上げ、その途中に実をつけさせる方法があるようです。〈写真撮りましたがわけわからない画になったので割愛〉

 

こちらは小さな田んぼ向こうの道路は横浜上麻生道路。(新道のほう)

 

鉄町から市ヶ尾町にもどって鶴見川沿い左の建物は市ヶ尾高校校舎、その手前黒須田川と鶴見川の合流点がありますが見えない。

 

高校グラウンド脇あたり
鶴見川河口から25.0㎞標識


もうちょっと映える風景でもあるとよかったけれど今回はこのくらいで。