散歩の途中

散歩の途中で観察記録、その後少し調べて書くノート

馬堀海岸から三浦海岸へ歩く その前半 浦賀まで

三浦半島の東京湾側、馬堀海岸から観音崎、浦賀、久里浜、野比などを通って三浦海岸まで歩きました。

なんだかんだで体が鈍ったような気がしたのでこの日はひたすらウォーキング。
とはいえ景色のよいところをめぐって歩き、スナップも撮りながらなので成果はそれなりなのではありますが。

スタートは京急線馬堀海岸駅、そこからまず海岸線の遊歩道へ。

市営プール入口交差点を渡って


すぐに海岸線、馬堀海岸遊歩道に出ました

海は東京湾、前方は横須賀市街地方向。富士山も写っているのですがわかりにくいです。

救命浮輪と猿島

猿島は東京湾の自然島では最大、周囲は約1600mあるそうです。

遊歩道の長さも約1600mあります

 

いちばん端からその先の海側

いったん右の国道に出ますがすぐに走水(はしりみず)水源地公園があります。

走水水源地公園内から

このあたり横須賀市上水道の水源地、海の近くですが真水が出ます。
近くの解説板によれば

走水水源地
明治9年(1876)走水の湧水を横須賀造船所に通水したのが始まりで、市内唯一の自己水源地です。明治35年(1902)に完成した煉瓦造貯水池と、その後に造られた国内で初期の鉄筋コンクリート造の浄水池は、いずれも国登録有形文化財となっています。
昔から走水の湧水は水量が豊富で、ミネラルを含んで美味しく、水温は17度とほぼ一定し腐らないと評判で外国船にも好評でした。
湧水は涸れたという記録はなく、水量は1日約2000㎥あります。現在は市の非常時用の水源地となっています。
また水源地は災害時の応急給水拠点としての機能を備えるとともに桜の名所ともなっています。

公園内には水汲み場(ヴェルニーの水)があります。
ここ〈但し書きがあれこれ多い〉

ヴェルニー(フランソワ・レオンス・ヴェルニー)はフランスの技術者で幕末から明治にかけて横須賀造兵廠、海軍施設ドック、観音崎灯台など近代施設建設を指導した人です。いわば横須賀のヒーローでその名を冠した公園や記念館も市内にあります。

 

水源地公園先の高台から

横須賀市街地、猿島方面が望めるのはこのあたりまで。

道を下ると走水漁港のある小さな湾を通過します。

正面小高い場所の先が「伊勢山崎」、湾反対側にはよく似た小山があってその先端は「旗山崎」。
伊勢山崎手前の建物などは防衛大学の海上訓練所施設です。

防大訓練所から旗山崎方面

なんでもこの訓練所のトレーニングとして、カッターボートで猿島まで漕ぎつけることがあるのだとか。

防大訓練所の隣りには観音崎ボードウォークがあります。
入口

数年前までホテルがありました(奥に写る建物)が、閉鎖されてます。

観音崎ボードウォークと元ホテルの建物


先へ


観音崎公園方面が見えてきます


公園手前の観音崎海水浴場から

右上に見えるものは東京湾海上交通センターの航行管制用施設、船の管制塔です。

観音崎一帯は幕末に台場が設けられて以降、旧日本軍によって砲台や要塞などが築かれ東京湾防衛の拠点となり、1945(昭和20)年の終戦まで軍用地でした。その土地はのちに公園等として整備され1975(昭和50)年に観音崎公園が開園しています。

公園に入ります。
園内には観音崎灯台をはじめ観光地として見るものはあれこれありますが、この日は海岸線の遊歩道をひとまわり。〈灯台などは以前訪れたし...〉
遊歩道上の洞窟「権現洞窟」

観音崎の由来となった観音堂があった場所だそうです。

観音崎灯台は下から見上げ


海岸方向

岩場の先にあるものは「観音崎水中聴測所跡」。1937(昭和12)年に設けられた軍事施設で、潜水艦を探知するソナーが置かれていた建物の跡だそうです。

素掘りのトンネル

こちらは1852(嘉永5)年に掘られたそうで、台場としての工事が行われていた頃。

トンネルを通過して公園展望園地からの眺め

このあたりビジターセンターや博物館もあって観音崎公園表側。

隣りのたたら浜手前に「黒船」

〈逆光で陰になってしまいましたが〉もくもくと煙をはく黒船が一艘。

小さな砂浜のたたら浜

白い砂が眩しかったです。〈写真に撮ったら案外黒くなってしまった〉

 

海に張り出した観音崎大橋上から
海側

古い岸壁と立派な蔵のある家


少し飛ばして
こちらはかもめ団地先の堤防上

海に張り出した埋立地が団地になって、岸壁堤防上には歩道があります。
下側、浦賀湾に入っていく船、手前には親鳥に餌をせがむ子も(イソヒヨドリの親子)。

 

団地を通り過ぎると浦賀です。

立派な鳥居は叶神社

叶神社は浦賀湾をはさんで東西2つあり、こちらは東叶神社。

鳥居の右にあるのは「日西墨比貿易港之碑」。
江戸時代初期(いわゆる鎖国前)、浦賀がスペイン商船の立寄り港やフィリピンとメキシコを結ぶ船の中継港であった時期があったことを示す記念碑だそうです。建てられたのは2019年とか。

ここから浦賀湾の周囲をぐるりとまわります。まず湾東側から湾奥へ。

さきほど湾に入っていった船がバースに着岸するところでした。
右の船がそれ


こちらは浦賀の渡し船と東側桟橋

湾の東西を結ぶ現役の渡し船、現在は多分に観光船的役割も。

乗り場

呼び出しボタンを押すと迎えにきてくれます。乗船時間は約3分、料金は大人400円〈昨年2倍に値上げされたようです(横須賀市民は200円)〉

のちほど西側の乗り場も通過するので船を使うのもありでしたが、『歩く日』と決めていたので。〈400円が惜しかった?〉

 

表通りに面して古い住宅

この周辺わりと古い建物が多く残っている印象です。
左側は通称浦賀ドックの造船所敷地を取り囲んでいる塀。浦賀船渠造船所は閉鎖されたけど壁はほぼ残ったまま、見通しが利かないのです。

壁際を歩いていくと湾の一番奥まできます。そこは京急線浦賀駅前。

浦賀駅前交差点から

右から歩いてきてここで左側へUターン、これから浦賀湾西側へ出て行きますがいったん休憩です。