相模川水系の目久尻川(めくじりがわ)
変わった名称だと思います。
流れているところの地名が川名の由来になることはよくありますが、周辺に『目久尻』という地名は確認できません。
Wikipedia::目久尻川にいくつか説が書かれてますがはっきりしたものでもなく、個人的に川名由来は『不詳』ということにします。
河川としての延長は19.2㎞
相模原市南区の相武台団地付近に水源があるようで、窪地の地形になっていますが水の流れは確認できず、となりの座間市にはいってから顔を出します。以降海老名市、綾瀬市、藤沢市と下って寒川町一之宮で相模川に合流しています。
今回は目久尻川全体の90%くらいの区間を下流からさかのぼりつつ歩きました。
最初は寒川町宮山の「いこい橋」から下流方向を見て
目久尻川が相模川に合流する地点から1.5㎞ほどさかのぼったところになります。
といっても目の前の青いチューブで何も見えませんね。
ちなみに同じ橋上から上流側も
橋の両側には水道管が渡ってます。
このあたり、目久尻川のすぐ西側を流れている相模川には寒川取水堰があって水道、工業用水を取水しています。堰近くには浄水場も複数あり、神奈川県内各地へ送水されています。
そんなところなのであちこちに水管橋が渡っているのです。
橋の上から川を覗くと菜の花がたくさん咲いていました
いこい橋から川沿いに少しさかのぼり
対岸は寒川神社への参道、大きな二の鳥居がみえます。
いこい橋へ出てくる前にその参道を少し歩いてました
〈神社までは行ってないです..〉
二の鳥居のすぐ先には端午橋
端午橋の脇にも大きな水管橋が渡ってます。
橋の向こうに見える建物は寒川神社参集殿。神社境内は参集殿のさらに向こう奥にあります。
端午橋の先へ
先に見えるのは宮山橋、その先の高架は圏央道寒川北ICあたり。
宮山橋を渡ったところには古い親柱が残されてました(右手前)
右側隣りは寒川大橋と名前が異なりますが、元は同じ道路で旧道(宮山橋)、新道(寒川大橋)の関係のようです。〈寒川大橋架けたけど最近宮山橋も架け替えましたといったところかなと〉
目久尻川その上流側河川敷
満開は過ぎた河津桜、河原は子どもたちがたくさん
こちらは県道の通る宮山大橋近く
菜の花、これより上流はおとなしく
次の寒川橋あたり
この先は当分田園地帯です。
〈しかしこの調子で歩いていたらなかなか先へ進まない。記事分割必至ですnya〉
寒川橋から1キロ弱、旭橋の先で
左右に四角く細長い箱状のものが横切ってます。
その真上から中を見ると
これ、相模川左岸用水という名前の農業用水路、相模原市内の相模川で取水した水が流れ下っています。〈現在は農閑期で水量はわずかですが夏場は流量も多くなります。あと、鉄塔で高所作業の方々ご安全に〉
目久尻川をまたぐ部分の用水路
水路が交差する水道橋、『掛樋(かけひ)』です。
寒川広域リサイクルセンター脇の広場(公園?)
その先で西の方角
こちら側は藤沢市、対岸建物などは海老名市という場所
境界を流れる目久尻川
少し先で東海道新幹線
この付近目久尻川の流路はまっすぐ。昭和初期にはすでに河川改修を終えて直線化されたようです。
その改修工事とともに設けられたものでしょうか、新幹線橋梁の先に古い取水堰が残ってました
転倒(起伏)堰というタイプ。流れの中にあるゲートを起立させると上流(右側)の水位があがって右端(半分見切れ)の取水口から外へ水が出ていきます。〈ゲートが起伏するときの扇形の跡が護岸などにみえます〉
こちら側にも同様の取水口があります。
周囲低地は古くから貴重な耕地(水田)だったと思われます。
近くの台地先端部には現在国指定史跡となっている弥生時代後期の神崎遺跡もあります。
〈ちなみに堰上部柵がある部分は通路(歩道橋)だった?、以前は渡れたような雰囲気がありました。渡り口は現在トラロープでがんじがらめにされてます。〉
堰の先100mほどで用田橋、用田大橋、2つの県道に橋が架かっています。
用田橋から先の用田大橋を見て、上にはまた水管橋
足元用田橋は県道45号(藤沢厚木線)、先の用田大橋は県道22号(横浜伊勢原線)
上は神奈川県内広域水道事業団の目久尻川水管橋で、小田原市内酒匂川で取水〈相模川じゃなかった〉された水が伊勢原浄水場経由藤沢市内の配水池へ送られているとのこと。
また川の左側にみえる道はここからはじまる綾瀬市のサイクリングロード。市内目久尻川に沿って小園橋まで延長5,650mが整備されています。
サイクリングロードを先へ進みます。
用田橋から800mほど上流(綾瀬市吉岡)
さらに約400mさかのぼったところ
ここにも水管橋、これは横須賀水道の橋です。
相模川で取水した水を海老名の有馬浄水場経由で横須賀市内田浦配水場へ送っています。
向こうの送電線鉄塔も立派なのが立ってますね〈送電線の来し方行く末まで調べているときりがないので省略〉
横須賀水道の水管橋の先200mほどで道庵橋
この先サイクリングロード工事中
工事はもうすぐ終わりそうな雰囲気でした。〈年度かわると開通かな?〉
脇に橋の案内があるのでついでに読みます。
道庵橋
三代将軍徳川家光に仕えた典薬医(てんやくい)半井驢庵(なからいろあん)が有馬のハルニレ(県指定天然記念物)の近くにあった屋敷から通ったことによって名づけられた橋です。
ろあん橋がいつの間にか、どうあん橋となまって伝えられてきたものです。
平成二十年一月 綾瀬市教育委員会
迂回して左岸側
サイクリングロードでない方は未舗装
工事区間どこまでだったかわからなかったけれど次の村野橋を渡って右岸へ復帰
村野橋上から上流方向
そこからさらに2つ上流側の橋、堀之内橋
軽トラ後ろの道がちょっと変です。
この橋を渡って向こうの丘へ上がっていく道は「横須賀水道みち」と呼ばれる、およそ100年前の日本海軍によって建設された横須賀市の上水道となる水(当初は軍用水道でしたが)が通った道。現在は廃止されて水は通っていませんが、愛川町半原の中津川から横須賀市逸見(へみ)浄水場まで送水管がのびていました。送水管は地下に通されてますが川を渡る部分は地上に出てこの橋は脇に鉄管を抱えてます。
横須賀水道みち、この付近を歩いたときの記録miwa3k.hatenablog.jp
堀之内橋より先はしばらく丘陵の谷間が狭まってます。増水時など流れが滞りやすいので現在は遊水地が設けられています。
その遊水地内が広場になって早咲きの桜も植えられていました。
通路から
右下が目久尻川。
遊水地内を通る水路と花
遊水地の北(上流)で武者寄橋を潜ってその先、古矢橋上から
小さな流れが2つ合流しています(綾瀬市早川)
いずれも右の丘陵(城山公園となっている)から流れてくる水のようです。
目久尻川は全体通してさほど大きな支流はなく、近くの台地丘陵の裾などから湧く水を集めて流れています。
その先のサイクリングロード側の道から
左側は森が迫ってます。
先へ行くと綾瀬西高校正門まん前へ出て流れは急カーブ
そこには学校建設に伴って発掘された「宮久保遺跡」〈旧石器から近世にかけてというからかなり長期間の遺跡〉の案内板がたってました。
虚空蔵橋手前から(綾瀬市早川)
奥を横切るドームは東名高速の防音壁。
東名道の下を潜ってから5~600mほど先
対岸に和ろうそくみたいなモニュメント
後から調べてみると『目久尻川の日時計』とのこと〈なぜここに?〉
日時計から200mほどで小園橋
用田橋から続く綾瀬市サイクリングロードの終点、ということで市の境界ですね。
ここからは海老名市に入り、サイクリングロードだった道は未舗装のでこぼこ道に戻りました。
次の「通学橋」から上流方向(海老名市国分南4丁目)
橋名に反してここを通学に使いそうな学校が周囲に…地図をみると西に直線で500mくらい離れて海老名小学校がありました。
先にはその次の「目久尻橋」(バスが渡ってる)がみえます。あちらは交通量の多い県道なのでこっちを渡りましょうということかも
目久尻橋を過ぎ、その次伊勢下村橋手前
足元は歩きにくい道〈細かく砕いたコンクリート片なんかが敷き詰められてありがたくないです〉、対岸一般道は歩道がありません。
伊勢下村橋の欄干にはカッパの像がありました。橋の先には相鉄線の線路も
ザレ場みちを2キロとちょっと歩きました。
北部公園親水広場まで到着(海老名市上今泉6丁目)
左側には公園、とりあえずひと息つけるところへ出てきました。
ダレてきてここで実際に休憩をとりましたので、記事のほうもいったんここでひとやすみ。
実は目久尻川、2017年から19年にかけて河口から源流まで2年がかり(?)で歩きましたが、それに拘らずまた歩いてます。