前回のつづき
海老名市・北部公園から目久尻川上流に向かって歩きます。
公園脇の桜並木と
訪れたときはまだ開花前
海老名・座間市境界付近の目久尻川(海老名市柏ケ谷1丁目)
座間市に入って(座間市南栗原4丁目)
前方右、林になっている崖下の湧水を導いて親水広場にしています。湧水のある場所は「いっぺい窪」と呼ばれています。
いっぺい窪からの流れ
上の相模野台地に浸みこんだ水が湧き出しています。
池に導かれる湧水
その先で巡礼橋を渡り対岸へ
ふり返って
右側奥がいっぺい窪のあたり
正面奥の巡礼坂から橋を渡ってくる道は『巡礼街道』と呼ばれた坂東三十三観音霊場を巡る古い街道。ここは現在の横浜南区・弘明寺と座間・星谷寺を結ぶ道とされています。
巡礼街道星谷寺方向、川の流れが沿ってます
上の橋名も「栗原巡礼大橋」、最近の県道改修でできた橋で目久尻川が削ってつくった低地を一気に跨いでいきます。
流れは県道の大橋を潜ると右にカーブ、さらに左右に細かく蛇行していきます。
巡礼橋からは500m弱
橋場橋上から上流方向
正面奥から芹沢川(せりざわがわ)の合流。芹沢川は1㎞ほどさかのぼった芹沢地区の窪地に大量に湧き出す水の流れです。座間市の水道水としてそこの湧水、井戸水も使われています。また現在は芹沢公園としても整備されています。
目久尻川はここで左へカーブ
その先市道沿いに出て(座間市南栗原1丁目)
トンネルで市道を潜ってわたります。
市道の上を通る道は国道246号、この道路も目久尻川の谷を一気に高架で越えていきます。
前の信号機近くに「目久尻川の由来」が刻まれた石碑が置かれてました。皇国地誌(残稿)という明治時代の史料を抜き出したものですが、そこには現在の座間市あたりでは「本村ニテハ鷺川或ハ寒川ト唱へシヲ明治六年ヨリメクジリ川ト称ス、当川名ノ由緒詳ナラズ..」とありました。
それより上流はしばらく住宅地の間を通っていきます
ここは座間市栗原中央2丁目あたり。
住宅地の間には米軍座間キャンプの水道取水施設も
手前鋼矢板の下に目久尻川の流れ。フェンスの向こうが取水施設、地下水を井戸でくみ上げているのでしょう。
フェンスのまわりにはあちこち警告(WARNING)看板がたてられてます。
同様の施設がこの付近いくつかありますが、いずれも前身の旧陸軍士官学校の時代に設けられたものではないかと思われます。
そこから500mくらいさかのぼったところからは大規模な「栗原遊水地」にさしかかります。
遊水池内に3つある池のひとつ(左)と目久尻川本流
この遊水地は目久尻川の氾濫を防ぐために設けられたもので面積は5.5ha、洪水貯留量10万立方メートルとのこと。
こちらも遊水地のひとつ
上を通る市道、小池大橋。
残るひとつの遊水池はテニスコートなどになってました。
遊水地内へ流れ込む目久尻川支流の「かにが沢」
遊水池内には「第三水源ポンプ所」という水道水の取水施設(こちらは一般市民用)もあります。
座間栗原の目久尻川谷間は湧水、地下水の豊富なところのようです。
目久尻川栗原遊水地のすぐ上流側

👆道路とともに右にカーブするとすぐ小池仲橋があり
こちら側すぐ近くには「これより下流一級河川目久尻川」「これより上流座間市管理」と書かれた標柱が立っています。
ここが一級河川目久尻川としての最上流ということです。
同じ場所から上流方向を見ると
右にその標柱、水の流れは道路右側歩道の下暗渠になってます。
しばらく上流へ行くと
先ほどの道路と方向が分かれたところで流れが顔を出しています。
前方に見えているのは相武台東小学校校舎、そこを再び地下暗渠で流れて
そのまた上流側、住宅の間
川幅も水量もだいぶ小さくなりました。
その先座間市広野台地区にはいって
左のフェンス下に細い流れがあります。
渡れるところは上から観察
これがこの日最後に確認した水の流れです(座間市広野台1丁目)
水路はすぐ右に折れてその先数十メートルで小田急線線路になります。その線路手前の土手に口があいてそこから目久尻川最初の一滴の様子が見えます。
何年か前に辿ったときは左のマンション敷地にはいって立体駐車場の上からそれを見ましたが、私有地でもありますので今回はここまでとしました。
線路の上からそのあたりの様子だけ
手前右のほう切通しから左へ線路が盛り土の上を通るようになります。その窪んだ部分が目久尻川が横切っている部分です。
窪みの底、線路の左側すぐの場所に最初の一滴がみえる土手の穴あいてます。
線路右側から先へは一応暗渠っぽいものが続いていますが流れを目視することはできません。水源といわれる相武台団地南側まではあと直線で500mほどです。
今回の目久尻川探訪はここまでとします。