横浜市青葉区を流れる奈良川を歩いた同じ日、後半の記録。川から離れて東の方角へ歩いていきます。
奈良川源頭の谷間から高台の住宅地へ一度上がり
学園奈良団地、途中かかる橋の上から
前後左右は住宅地、この谷間だけ緑。谷底に細い流れがあり、先で奈良川となる流れと合流してました。
ここで谷底へ下りて奈良川をさかのぼって来た道を少し戻りました。
戻る途中に見た奈良川
さかのぼって歩いてきたときは正面上住宅の崖下を通る道を使いました。
前半部
こどもの国通り、こどもの国西側交差点まで戻って道路を渡り
背後に続く道路に入ります。
そちらの道路は通称こどもの国通りの旧道、現在も旧道側が都県道に指定されているものの車は途中までしか入れなくなっています。
緑山霊園駐車場入口、その先は車通行止め
車止めの先はうっそうとした森にも見えますが大したことはなく。Googleマップでは誰が付けたか〈緑山峠〉のピンが立ち
緑山峠あたり
右側はすぐにこどもの国の敷地。
左側は
手前は園芸農家の畑、果樹園? 右はTBS緑山スタジオの建物一部。
先へ進むと旧道が横浜市と町田市の境界線になりますが、そのままもう少し行くと
歩道端にこんなものが埋め込まれています
境界標
左側、左上から川・町・横の文字と区切りのラインが入ってます。これは川崎市、町田市、横浜市の3市境界点、ラインは交わる方向を表しています。
話それますが、隣り合う同じ組合せの3つの(市区町村)境界が交わる地点というのは通常1か所しかできません。幾何学的には複数も可能ですがほとんどできません。
ところが川崎町田横浜の組合せではこれが3地点存在します。〈なーぜだ?〉
答えは〈はやいな〉、川崎市に飛び地があり横浜市の上に帽子のように乗っかって接し、(川崎飛地と横浜市境界以外の)周囲を町田市が囲む形になるからです。
この飛び地東西の2か所、それと飛び地がない場合でも必ず存在する1か所の合計3か所、3市境界点があります。〈ちなみにこの地点は川崎飛び地の東〉
ややこしい〈話の〉境界がありましたが、しばらく町田市に入って先へ進みます。
三輪緑山住宅地の中へ
住宅中央通りのけやき並木
住宅地域からはずれ、谷戸の崖下に
西谷戸横穴墓群
東京都指定史跡 西谷戸横穴墓群(にしやとよこあなぼぐん)
所在:東京都町田市三輪緑山一丁目25-8
指定日:1992年3月30日
西谷戸横穴墓群は、三輪土地区画整理事業に伴って1983~1984年に発掘調査が行われ、9基の横穴墓が確認されました。横穴墓とは、崖面に横穴をあけて埋葬施設とした古墳時代における墓であり、多くは群集してつくられます。
本横穴墓群は、群集して分布するという横穴墓特有の景観が良好に残っており、1992年、東京都史跡に指定されました。
7世紀前半から後半にかけてつくられたと推定される西谷戸横穴墓群は、この地域において開発を主導した人々の墓と推定されます。特に5号墓から出土した7世紀初頭に製作されたと推定される金銅製圭頭太刀(こんどうせいけいとうたち)は、被葬者の社会的地位を表す威信財として注目されます。また、5号墓の壁面には、横穴墓が使われた当時に描かれたと推定される人物、船、波状文、三角文の線刻画が確認され、当時に葬送観念を理解する手がかりが残されています。
2016年、史跡を保護するために整備工事を実施し、1~3号墓は埋め戻し、4~7号墓には鋼製の扉付密閉施設を設置、8、9号墓は吹付コンクリートによる被膜で遺構を保護しています。
2016年10月設置 町田市教育委員会
この解説が設置された頃、ここを通りかかった時は吹付けたコンクリートが周囲に馴染んでなくて奇異に見えた覚えがあります。現在は色あいも変化してより自然になりました。
いったん平地へ下り、方向を変えて再び谷戸を奥に歩きます。
町田市三輪町あたりの谷戸風景
この谷戸にも崖地に横穴墓群があります(下三輪玉田谷戸横穴墓群)。こちらは埋め戻されておらず内部が観察できるものもあるそうです。〈未訪〉
さらに奥へ入ると切通しの道
ぬけて下り
きれいな風景ですが左の林、立ち枯れた木が目立ちます。この場所に限らず最近はこんな木を頻繁に見かけます。『ナラ枯れ』と呼ばれ、キクイムシの一種が媒介する病原菌が樹木内で増殖して枯死に至るのだそうです。
ゆるい坂を下るとまた横浜市青葉区へ戻り、周囲は『寺家(じけ)ふるさと村』と名付けられた自然公園。
田畑や里山、池などがあります。
いくつか池があるものの濁り気味
ここは釣り堀になってますね
稲刈りの時期になりました
うなぎ蒲焼のにおいに釣られて撮ってしまった1枚〈においは写真にのりませんね〉
総合案内所兼食事処
ふるさと村から離れつつ
渡る川は鶴見川
このへんでは谷本川という別称も。
寺家町から鉄町へ。鉄は『くろがね』と読んでください
テツ町の、また谷戸へ入っていくと森の合間にグラウンド〈ができてた〉
数年前通ったときは工事中、道路建設工事かと思ってたら
その裏側には池がありますが、なにやら看板が
ここは桐蔭学園の構内だそうで。先のグラウンドも同じく
学園は幼稚園から大学まで勢いよく周囲に増殖しつつあるようで、足元の道路ももはや公道なのか私道なのか
桐蔭学園小学校前を通過
ぬけると先は住宅地が続きます。
〈起伏の多い〉住宅地が続きます
住宅地内の地名は黒須田町、大場町など古い名前も残っているのですが、マンションやアパート名などに冠するのはほとんど『あざみ野』(〇〇テラスあざみ野、△△コートあざみ野など)、その隣りにあるたまプラーザもそうですが、ブランド地名ですね。
そして隣町名までどんどん侵食していくのは今にはじまったことでもありません。
あざみ野もたまプラーザも最初は東急線の駅名。
あざみ野駅前へ
少しクールダウンしてここから電車で帰ります。