見沼代用水歩き〈その4〉、上尾市の瓦葺分水工からさかのぼって現在地は鴻巣・行田市境に架かるちょっと古いけど新落合橋。
新落合橋、下流側から
橋上から上流方向を見て
この橋から上流しばらく流れの中央が鴻巣市、行田市の境界
左鴻巣市側、緑のヘルシーロードをさかのぼって歩きます。
すぐに「利根大堰まで10㎞」のポスト、道路上にはプレート
プレートの表示には「川里村広田」、川里町を経て現在は鴻巣市広田。
上尾市瓦葺分水工へ22.8㎞、行田市利根大堰へ10.0km〈距離は変化ないとおもいます〉
10㎞ポストから250mほど上流、関根伏越付近
背後に見沼代用水(星川)流れ
左正面向こうへ流れる水路は関根落(せきねおとし)という農業用排水路(用水、排水兼用水路)。ここ足元は関根伏越といい見沼代用水の下を関根落が伏越で潜り抜けています。
右に緑のヘルシーロード、水と緑のふれあいロード地図が掲げられてます。
どこまで見えるかわかりませんが拡大
左上解説部分のみ文字おこし
緑のヘルシーロード・水と緑のふれあいロードについて
見沼代用水は江戸時代に幕府の命により井澤弥惣兵衛為永によってつくられた歴史ある用水です。両ロードは見沼代用水と支線水路の改修によりできた余剰地を有効利用し、サイクリングや散策が楽しめる自転車・歩行者専用道路です。
緑のヘルシーロード 平成2年完成 延長56.5km
水と緑のふれあいロード 平成12年完成 延長42.0km
関根伏越から約500m、見えてきた水門ゲートは旧忍川分水工
古くは星川と忍川(おしかわ)の合流地点。のちに忍川は合流先が元荒川に変更、流路も大幅に改変されて旧下流部は旧忍川となった後に廃川となりました。
旧忍川川跡は現在も残り、上に写るゲートは時々開いて見沼代用水が分水され、灌漑期に周辺農地で使用されるとのことです。現在は流れる方向が逆なんですね。
旧忍川に沿っても自転車歩行者道が整備されています。左はそのポスト『ポタリングルート』と表現がわりと今風です。
向かう先として表示があるのが『さきたま古墳公園 4060m』『古代蓮の里 2970m』
表示の中にないのですが100mくらい先に古い伏越が残っているので少し寄り道してみました。
旧忍川から分水工方向をふり返り
背後に旧忍川の下を長野落(ながのおとし)が潜る長野落伏越があります。
旧忍川は水たまり状態、河道と周囲はどこも丈の高い草むらと化していました。夏の時期には見沼代用水からの分水があった証拠に護岸下部の色が変化してますがすでに農繁期でなく、分水工のゲートも閉じてしまいました。
伏越付近を通る道路、旧忍川にかかる旭橋
手前旧橋
その隣り(向こう側)に新橋が架かり、間に古い取水門(北根堰)が残ります。
北根堰の上側のみ
旧橋の下部にゲート板があり、それを上下するスピンドル〈ネジ棒〉が欄干を貫いてます。〈スピンドルを回すハンドルはなくなってます〉
旭橋を通る道路と並行して長野落の流れがその向こうにあります。
その下流方向を見て
向こうへ流れていく長野落、農業用排水路です。
手前のコンクリート構造物が長野落伏越の吐口(出口)側の欄干。
ここの伏越設備は1933(昭和8)年建造、欄干の反対側にまわると建物ファサードのような意匠の外観が吐口吞口両端で見られますが、残念ながら条件が良くなく吞口側を垣間見る程度しかできませんでした。
現旭橋の上から
手前、長野落伏越の上を流れるてない旧忍川、右前方の白いフェンス下には伏越吞口
伏越吞口側欄干あたり
欄干、親柱をつけて橋梁を模し、さらに飾りが施されています。
道路へまわり込みふり返って
〈写りが最悪ごめんなさい〉
欄干の下に銘板『長野落伏越』と書かれ、銘板の下に穴があいて水が吞み込まれます。左右には飾り柱があります。
ここから旧忍川400mほど先には別の水路(小針落)との総レンガ造りの伏越があるようですが、寄り道今回はここまでにしました。
見沼代用水へ戻ります。
旧忍川分水工ゲートから見沼代用水(星川)水面
小魚の群れを見ました〈右下〉
遡上再開するとすぐに9㎞ポスト
前方には水位調整ゲート
道路上プレート、現在地は行田市小針
水位調整ゲートの先にある大曲橋
このタイプの古いコンクリート橋、見沼代用水でよく見かけますがどれも昭和30年代前半に架けられたようです。ちなみにここは昭和32年3月竣功とありました。
あっという間にあと8キロ(行田市藤間)
右側は改修で直線化された河道。左のほうに蛇行した旧河道跡が残りますが間は現在は〈一部見えてますが〉太陽光パネル。
先に見えるのは藤間橋。
藤間橋から下流方向
藤間橋から200mくらい上流で下流方向をふり返り
旧河道との分岐点
右へカーブする未舗装の道(轍)部分が旧河道。
現在の流路に改修された時期は不明です。
そのちょっと先から西方向
稲刈り終盤の田んぼ
正面のタワーは古代蓮の里公園。上にあがると隣りの田んぼアートがよく見えるそうです。
その右のタンクは行田浄水場。
流れがカーブした先にあった7㎞ポスト
木々でうす暗いところをぬけて下流をふり返り
そこからすぐ柳大橋、さらに250mほどで6㎞ポスト
水位調整ゲートの上流側から下流をふり返ってみる
流れの上流側からポストを見ると「利根大堰から」と書いてあります。〈逆側は『まで』〉
6㎞ポストから上流へ250mで次の須戸橋
手前には旧須戸橋
旧橋の向こうに現在県道が通る『須戸橋』が架かります。
旧橋正面から
この橋は周辺に架かる他の橋よりも古く、1930(昭和5)年頃の竣工
四隅の高い親柱が特徴、高さは3m近く上部に金具が残りかつては橋灯が取り付けられていたそうです。
現須戸橋も1961(昭和36)年竣工で決して新しくはないです。
また、かつて須戸橋と1つ下流側の柳大橋の間、見沼代用水の河道は逆S字に蛇行しておりその跡は航空写真で見るとはっきり残っています。〈6㎞ポスト地点が新旧河道の交わる点でした$〉
須戸橋の1つ上流、なかよし橋(人道橋)から
上流方向
さらに約350m、5kmポスト
よく日に当たってます。
徒橋近く
大きな木は手前神社(秋葉神社)の御神木?
徒橋も昭和30年代頃架けられた橋のようです。
そこから200mちょっとで次の六本木橋が架かります。
六本木橋上から下流徒橋方向
橋を渡って対岸、久しぶりに緑のヘルシーロードから離れます。
離れたことでヘルシーロード側にあるキロポストを見逃します。
対岸に4㎞ポストが実は写っているぞ地点
やや左に見える家の手前に見えます。
ヘルシーロードから離れたのは先を通る秩父鉄道の赤い橋を記録したかったからです。
その前に国道125号行田バイパス星川橋があります。
右前方が星川橋
川沿いの管理道は星川橋の脇、道路の下を潜ります。
国道の先へ出てそのまま進むと秩父鉄道の赤い橋梁が見えてきます
名称は秩父鉄道見沼代用水橋梁。
秩父鉄道前身の北武鉄道開業時1921年設置、ポニーワーレントラス形式の橋です。
トラスの部材同士をピンで結合した〈古い仕様〉になっています。実は橋梁自体はイギリスの会社が1887年頃に製作したものでここに設置される前にどこか他線で使用されていたものなのだとか。
電車がもうすぐ通過するはずですが、それまでしばらくお待ちください。
見沼代用水 瓦葺分水工~利根大堰
流路地図