武蔵水路元荒川伏越の近代的な設備と忍川(おしかわ)ののどかな合流風景が隣り合った現在位置は、鴻巣市川面と袋の境界ですが、2005年まで袋地区は吹上町(ふきあげまち)に属していました。同年、吹上町は鴻巣市に編入合併しています。
この先しばらく旧吹上町を歩きます。
忍川合流地点から
右の忍川、奥に橋が架かっています。最初から寄り道になりますが、まずそちらへ。
忍川・前屋敷橋
左岸下流側から。
橋は昭和初期に架けられ、鉄道の古いレールを再利用した3連アーチ橋です。
アーチ・リブやそこに結合された縦桁は鉄道のレールを加工したものが使われています。
道路の通る床版や欄干部分は更新され、橋幅も拡張されていますが、それより下の部分は当時のままのようです。
橋横に取り付けられているのは水道管です。(これも後から付けたものでしょう)
前屋敷橋、左岸上流側から
車は通行できますが、2tの重量制限があります。
この周辺には昭和初期の河川改修時に古レールを使用して架けられた橋がいくつもありました。
ここのように小規模な橋はまだいくつか残っていて、この先あと2つ出会うことができました。
再び元荒川沿いに戻ります。
忍川合流点から約200m。川面(かわづら)橋が架かり、通る道は日光脇往還(この付近では館林道とも)。
川面橋、下流側から
古道、橋も古くからありますが、何度も架け替えられ、以前の様子はうかがえません。
そこから1㎞弱さかのぼると国道17号三ツ木橋が架かります。この橋も実用一辺倒の橋で特記事項はありません。
その上流側100mほどの場所には古レールを利用した笹原橋が架かります。
笹原橋、下流側から
前屋敷橋と同様の3連アーチ橋。アーチ・リブは1本のレールを曲げたものが使われていますが、縦桁、斜材などはL字鋼が用いられてるように見えます。
竣工は1932(昭和7)年。橋の路面、欄干などは最近の改修で新しくされています。
笹原橋・左岸上流側から
かつて元荒川の流路はこの付近で北側へ大きくΩ字形に蛇行していました。昭和初期の河川改修でΩの下側をショートカットする水路を開き、その部分に設けたのが笹原橋です。
少し下流側から(上流方向を見て)
この橋も2tの車両重量制限がありました。
先には三ツ木堰機械室が見えています。
近づいて三ツ木堰、隣接する三ツ木堰橋と(鴻巣市三ツ木)
三ツ木堰は古くから存在し、周辺の農業用水取水のために設けられています。
農繁期にゲートを閉じぎみにして上流側溜井の水位を上げ、周囲の取水口から用水路に水を落とします。
昔の堰は少し上流側にあったようで、川の中に名残りが
川中の段差付近が堰跡でしょう。現在の堰ゲートがすぐ左にあります。
川向うの線路はJR高崎線。
三ツ木堰から約600m、古いコンクリートの橋が架かります。
アサヒ橋、左岸下流側から
1960(昭和35)年竣工、かつて橋の両岸に『アサヒゴム』(現、パーカーアサヒ㈱)の工場があったことからこの名前がついています。
橋手前側には何かを載せていた跡が残ってます。
飾り気のない質実剛健という感じの橋ですが、良いです。
対岸建物は現在、富士電機設備技術センターとなっていました。
アサヒ橋の上流100mで国道17号旧道の元荒川橋〈元荒川橋を名乗る橋は全部で5つ、こちらはその最上流にある〉が架かります。
国道17号旧道(埼玉県道307号)元荒川橋
1950(昭和25)年竣工でわりと古い橋です。のちに両側歩道が付け足され、車道部分は欄干しか見えず詳しい様子はわかりませんね。
その元荒川橋のすぐ上流側には小谷(こや)橋が架かります。
元荒川橋(歩道橋部分)と小谷橋
こちらも古いレールを利用した1932(昭和7)年竣工の3連アーチ橋です。
近づいて下流側から
レールを利用したアーチ・リブ部分とL字鋼の縦桁、斜材、橋脚の一部はかつてのままですが、それ以外は最近改修されています。ただ、特徴ある意匠の親柱が残されています。
小谷橋親柱のひとつ
何を表したものかは不明ですが、残されている親柱はすべて同じデザイン。かつてはこの左側に同じ高さでコンクリートの欄干がつながっていたように思いました。
小谷橋付近も河川改修前は大きな蛇行があった場所で、流れを直線化したとき、分断された地区間を結ぶために架けられた橋です。
残った蛇行部は現在『水辺公園』になっています。〈未訪〉
小谷橋から上流側、元荒川の流れは吹上市街地、住宅の立ち並ぶ一帯へ入っていきます。沿岸は桜並木、遊歩道も整備され、架かる橋の装飾もいろいろです。
自由に蛇行していたかつての流れを整備して現在の街をつくったようです。
小谷橋から300mほど、次の砂山橋が架かります。
砂山橋左岸側から
この橋は四隅の彫刻が四季を表現しています。(以下、〈要所は〉鴻巣観光協会資料参考)
左手前、猿がのっているのは《冬》「さるみてる」。右は《春》「なまずうごく」、真上から見ないとなまず見えないようです。
対岸へ渡って
《秋》「つばめかえる」、右上を飛んで行きます。
《夏》「かたつむりひかる」
春夏秋冬、すべて産地の異なる御影石を使用しています。
砂山橋もかつては小谷橋とほぼ同じ、古いレールを利用した橋が架かっていたそうです。
砂山橋と筑波橋の間
早咲きの桜はすでに開いていました。そのほかももうあとわずかで咲き出しそう。
筑波橋の装飾は2ヶ所
次が遠所(えんじょ)橋
遠所橋と奥に水鳥橋
支流の前谷落合流部分に架かる水鳥橋
渡って振り返り、遠所橋と
屋根(四阿)と欄干に擬宝珠のある、和風の橋です。
橋の床面には地図や俳句のプレートが埋め込まれ、親柱もすべて意匠が異なるなど凝ってます。
その次は高砂橋
親柱は4つとも灯籠をイメージ、うちひとつには和歌が刻まれていました。
高砂の尾上の桜さきにけり外山の霞たたずもおらなむ
次が新宿(あらじゅく)橋、吹上駅前からのびる4車線道路が通る実用本位の橋ですが、欄干のフェンスには桜がデザインされていました。〈写真なし〉
桜橋を前にして、咲きはじめていました
桜橋
橋の上が広場になり、周囲川沿いの桜並木が続きます。
その次に佐賀橋が架かります。木橋をイメージしたデザインになっていました。〈写真なし〉
ちなみに明治、大正の頃、付近を忍(おし)馬車鉄道が通り、馬車鉄道の橋名が佐賀橋だったそうです。
続いて新佐賀橋
下流側から
上流側から
新佐賀橋は1933(昭和8)年竣工のコンクリートアーチ橋、さくら色に塗装されていたのですね。
欄干も花をあしらった装飾、ゴージャスな橋です。
吹上橋
こちらも1933(昭和8)年竣工と古い橋。当時は国道17号が通っていて、頑丈に造られたのだそうです。
その結果(?)、こんな武骨な姿になりました。新佐賀橋と対照的です。
吹上橋から約100m上流側には榛名橋、県道が通り交通量が多いです。わりと最近の橋でしょうか。欄干のフェンスにこちらも桜花びらがあしらわれていました。〈写真なし〉
その次が洲崎橋
下流側水辺から
右岸、たもとから
素朴なコンクリート橋です。架橋は1962(昭和37)年と、見た目よりは若い?…
洲崎橋の上流へ少し進むと次はJR高崎線橋梁が架かります。長い桜並木と遊歩道もその手前でとりあえず途切れています。
洲崎橋の先、下流方向を見て
いったんここで刻みたいと思います。
次回は元荒川の先っぽまで到達できるかと。
地図、今回分は《元荒川(5)》
前回分
元荒川を歩く その4 久喜・旧菖蒲町大御堂橋から武蔵水路元荒川伏越 - 散歩の途中